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プレオポリス24.5.30

 ひたすら、プレオポリス。
 ジェイドリック・バルカーとカイン・ザンベルクは身長2メートルを越す。この二人が歩いて話をする風景。
 例えば、「クリムゾンリバー」で、ジャンレノともう一人の、高身長の二人が歩いて話すシーンが、ただ印象に残ったというだけのことでもあるけれど。
 ハマーン・ファイラー実働部六課とは、戦闘部隊である。この部隊の高身長の二人が歩いて話すとなると、何を話しているのだろう。

 アニーナ・シェリプッスは逆に身長が低い。二十歳前の金髪の少女である。しかし、真っ黒なミッションスーツを着ると、いくらか凛々し気な顔に見えてくる。そうとだけ書いても「多分、美少女なんだろうね」と、誰かに言われた。そうなのかもしれない。
 情報部十四課のアニーは、何を仕事にするということもない。ただ、「ハマーンファイラー」に雇用されていることで、身の安全を確保されている。

 人間、とどのつまり、短期的にも長期的にも大切なのは、生きることである。
 それは、瞬間的には事故や戦闘から、死を回避する必要がある。また漠然として生きる目標を失い、死ぬことを考えてしまうこと。病気にかかったり経済的困難に直面して、生きられなくなること。それも生きることに失敗していると言える。
 いつ、どんな状況においても「生きて行く」と言う思いを失っては人生に失敗したと言える。

 人間は何があっても生きて行かなければならない。その生きて行かなければならないをという実際を放棄しているのが、現在の日本人には多く見られるように思う。これは本来の人間としての人生に失敗している例に他ならない。
 人身事故が毎日のように起きているが、自分から言わせれば、ただ負け犬たちのニュースを聴く、ただそれだけのことである。
 どんな手を尽くしても、生きる希望を持ち、生きて行く道を模索して、寿命まで生き続ける覚悟を持たなければ、あなたは人生に失敗している。
 「死にたい」と願う。あなたの思い。何が、あなたの人生を失敗に導いているのか。

 そう言ったことも、作品「プレオポリス」では考えていく。社会の闇を「ハマーンファイラー」が解いていく。
 じっくりと考えて、この作品は創っていくことになる。

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