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【掌編小説】ふりかえらずにさようなら

卒業式は、明日にせまっている。
小学校の教師である私にとっては、イレギュラーな対応が多くなり、たとえ準備がどれだけ十分でもなんだかソワソワしてしまう時期である。また、今回の卒業式は私にとってとても特別なものだ。

なぜなら担任として初めて迎える卒業式となるからだ。
卒業生は一人だけ。
その子の名は、鈴原あかねちゃん。

明日、あかねちゃんは、どのような表情を見せてくれるのであろうか。また、その時、私自身どのような心境になるのであろうか。私は自宅の風呂で湯船につかりながら、過去の彼女との思い出を時系列順に整理していた。今日はいつもより早めに寝ようと心に決めつつ、少し気になるムダ毛を今のうちに処理しておこうかと考えたが、やはり人目に付く部分のムダ毛ではないのでそれはやめた。



卒業式当日、私は卒業式会場であかねちゃんの座る席の近くに座ることになった。あかねちゃんは長い時間同じ椅子に座っていられないのでそれをフォローするためだ。今日のあかねちゃんとても頑張ってくれて、私の知る限りの一番長い時間、椅子に座っていてくれていた。

卒業証書授与式がはじまった。

あかねちゃんとは、卒業式前に何度か卒業証書を受け取る練習を行ってはいたが、練習とは違う本番の雰囲気によって、彼女はとても不安げになっていた。そのうち、彼女の名前が呼ばれる順番がやってきた。

「・・・鈴原あかね」

名前を呼ばれると、彼女は席を立ち、不安げな表情で「あー…」を小さく声を出した。卒業式会場が少しだけ静かになった。そのあと彼女はすぐに私の手を掴んできた。

私は、彼女と手を繋ぎながら、卒業証書を受け取るために、校長先生が待っている体育館のステージ側に向かってゆっくりと歩いていった。彼女はその間ずっと強く私の手を握っていた。私は、女の子にしてはとても短く整えられた彼女の髪の毛をポンポンとたたきながら彼女を落ち着かせようとしていた。物理的にツンツンと感じられるほどに、まわりからの視線が私たち2人に集まっていた。

私のフォローで卒業証書を受け取った後、彼女の不安げな表情はなくなっていた。

席にもどる途中、「6年生ありがとう」という文字が書かれた在校生が作成した大きなメッセージ飾りが気になったのか、いくら促しても、彼女はその飾りの前から動かずに自分の席に戻ろうとしなかったが、既に他の子どもたちが次々と卒業証書を受け取っていっていたので、まわりからの視線はほとんど感じられない状態になっていた。

その時、ふと卒業式に参加していたあかねちゃんのお母さんの様子をみてみた。あかねちゃんのお母さんは感極まって大粒の涙を流していた。

そのあとも、感動的な卒業生のことばや在校生からのことば、そして心に響く合唱を経て、平成11年度杉田小学校の卒業式は無事終了した。



卒業式が終わった後、あかねちゃんにとっての最後のホームルームが教室で行われた。

教室の黒板には大きく「あかねちゃん そつぎょうおめでとう まいにちげんきに ひらがな カタカナ さんりんしゃ パズル がんばったね ちゅうがくせいになっても がんばってね!!」とカラフルに文字が描かれている。

ホームルームは、あかねちゃんとあかねちゃんのお母さん、それと同じクラスの3人(たかし君、めぐみちゃん、あゆむくん)と保健の先生、校長先生と教頭先生のメンバーではじまった。

まずは、たかし君・めぐみちゃん・あゆむくんの、あかねちゃんへの卒業メッセージの時間からはじまった。3人のメッセージは端的ではあるが、とても感動的なものだったのだが、当のあかねちゃんは卒業式で疲れていたのか、そのメッセージをそっけない態度で聞いており、あかねちゃんのお母さんはそれに半分呆れた様子だったが、とても嬉しそうな表情をしていた。

その時、突然教室の扉がガラッと開いた。
「あかねちゃん、ゴメン!おまたせ!」

大きな声で教室に入ってきた女の子は、矢代ユイちゃんだった。ユイちゃんはこのクラスの生徒ではないが同じ卒業生だ。あかねちゃんとは保育園の頃からの友達で、クラスは異なるが、時折あかねちゃんと遊びにこの教室に来てくれていた子だ。

ユイちゃんが来たことで、あかねちゃんの表情は急に明るくなった。ユイちゃんは、あかねちゃんを抱きしめながら「卒業おめでとう」と伝え、そしてあかねちゃんにお手紙を渡していた。これは、いいタイミングだなと思い、ユイちゃんがあかねちゃんに手紙を渡すタイミングで、私も同じく卒業メッセージをあかねちゃんに渡した。

ホームルームは終了し、教室では和やかな雰囲気が続いていた。
こどもたちは教室で遊んでいるところだったが、私はあかねちゃんのお母さんに伝えなければならないとことがあったので、子ども達は保健の先生と教頭先生に見てもらい、教室から出て個別にあかねちゃんのお母さんと話をする時間をとってもらった。

唐突な私との面談にあかねちゃんのお母さんは驚いていたが、私はどうしても、今日までに伝えなければならないことがあったのだ。最後の最後まで悩んだが、やはりあかねちゃんの卒業するこのタイミングで伝えなければならないと感じたのだ。



それは2年ほど前のことだった。

私は、その年初めて特別支援学級の担任となり、かなり不安定な時期を過ごしていた。担任としての不満があったわけではないが、自分や学級が学校から置き去りにされているような孤立感を感じていた。私生活でも当時の彼氏といろいろなトラブルで別れ、そして、何よりあかねちゃんとの関係もうまく築けていなかった。

あかねちゃんには、当時、強度行動障害とみられる部分もあり、どんなに対策をしていても、手が付けられない場面が時折あった。どんなに注意しても、言うことを守ってくれない時期だった。

あかねちゃんは当時、椅子や机をいきなり倒す癖があった。何度も注意し、注意の仕方にも様々な工夫を凝らしてみたが、どうもうまく言うことをきいてくれなかった。

私は、一度、それにどうしても我慢できず、言うことをきかない彼女の腕を爪の跡が残るくらいの強い力で、彼女に痛みが伝わるように強く握った。
彼女は、「いたい!いたい!」と叫び、手に持っていた色鉛筆を私に投げつけてきた。

私の顔に当たった色鉛筆が教室の床に落ちるくらいに、私は強くあかねちゃんを押して倒し、彼女に罵声を浴びせた。

その時の私の罵声は、自分でも、自分自身に対して恐ろしい違和感を持つほどの汚い言葉だった。あかねちゃんにその言葉を吐き出したあとに、自分はこんな人間だったのだ、これが私の本性なのだと、酷く自分自身に落胆した。それからというもの、私は無意識にあかねちゃんに心の底から触れ合うことを拒むようになってしまった。


私が当時思っていたあかねちゃんへの想いや、そしてあの行動に関しての詳細をあかねちゃんのお母さんに伝えた直後に、私はすんなりと覚悟ができた。それは、私のこれからの教師生活が無くなってしまっても構わないという覚悟だ。私は全くもって構わない。このモヤモヤを誰にも伝えずに教師生活を続けることの方が、私には耐えられなかった。

長い静寂が続いた後、あかねちゃんのお母さんは、厳しい表情で私の顔を睨みながら、私にこう言った。

「私は、あなたを許します。話してくれて本当にありがとう。」

私は何度も謝り、頭を下げることしかできなかった。

みんなの待つ教室に戻った。あかねちゃんのお母さんは、教室に戻るころには、私に会ったときに見せてくれるいつもの微笑みに代わっていた。

そして、ついにあかねちゃんとのお別れの時間になった。
私は、あかねちゃんに「卒業おめでとう。中学校でも頑張ってね!」と伝えたが、あかねちゃんはやはり卒業式で疲れていたのか、私のその言葉もそっけない態度で聞いていた。



教室の外であかねちゃんのお見送りをした後、教室内に戻り、私は、卒業式用に飾り付けられた華やかな装飾を名残惜しつつ片づけ始めた。


その時、教卓の上に手紙が置かれていたことに気づいた。
それは、あかねちゃんから私への手紙だった。私は片づけの手を止めた。


手紙を開いた。中をみると、あかねちゃんの頑張って書いた文字でこうメッセージが綴ってあった。


『これから あえなくなるね せんせい ありがとう』


文字の大きさはまばらだが、キレイな色鉛筆で書かれたその文字をみた瞬間、その日1日中、我慢していた涙がいっきに頬をつたって流れ出した。

私は、声を出して泣きながら教室を出て、まだ、さほど遠くへは行っていない、あかねちゃんを急いで追った。私はまだ伝えてなかった。彼女に「ありがとう」を。それを伝えなければ。伝えなければならない。




走りって学内を探したが、既にあかねちゃんは学校の敷地外に出たようであった。それでも、もしかしたら会えるかもしれないと、いつも彼女がお母さんと通る帰り道の方へ向かった。


そこでようやく、あかねちゃんとあかねちゃんのお母さんを見つけることができた。

しかし、もうすでにかなり遠くに2人は離れていた。
彼女の通いなれたその通学路には、まるで映画のワンシーンのように桜が咲き誇っていた。


私は大きな声で「あかねちゃーん!!」と何度も呼んだ。
しかし、私の周りには他の卒業生とその保護者達も多くいたので、雑音に消され、彼女たちの耳には届かなかった。


離れていく姿がどんどん小さくなっていく。
そして、その姿は私の涙で滲み、さらに見えづらくなる。

ただ、あかねちゃんの独特な動きから、今彼女がお母さんの隣で笑っていることだけは、その後ろ姿から想像してわかった。


「輝く彼女の明日よ、この今日の温かい光のように高く舞い上がりますように。神様。どうか彼女を素直で素晴らしい今のありのままにしておいてください。」


彼女は最後まで振り返らず、そしてみえなくなったが、穏やかで滲んだ景色だけがそこには残っていた。私のさようならの景色。


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