自然の凄さを噛みしめて
2014年9月27日に木曽御嶽山で噴火が発生し、58名が亡くなりました。日本戦後史上最悪と言われた火山災害で、いち登山者として、またかつて学生時代に登ったことのある山だったので、かなりショックを受けました。
それから6年の月日を経て、2020年の9月28日に木曽御嶽山へ登ってきました。
1、噴火日の翌日に登った
本当は前日に登ることはできたんですが、噴火発生日とあって慰霊登山の邪魔になってはならないと思い、その日は松本へ立ち寄ってのんびりと過ごし、松本を深夜に出て、28日の朝に登山口へ。
今回は黒沢登山口、通称中の湯という御嶽山の6合目から午前6時30分にスタート。近くには御岳ロープウェイがあり、7合目まで行くことができますが、営業時間は8時30分からと登山を始めるにはだいぶ遅い時間なので、利用しませんでした。
中の湯の小屋には張り紙があり、報道自粛の旨が書かれたものもあり、山に向かう姿勢を改めさせられた感じがしました。
2、快晴の御岳山へ
登り始めて1時間半ほどで八合目の女人堂が見え、奥にそびえる御嶽山が快晴の空の下一気に広がりテンションもかなり上がりましたね。本当に良い天気に恵まれた登山日和の日でした。
3、噴火の爪痕を目の当たりにして
9合目の石室山荘に近づくにつれ、荒々しく真新しい噴火の爪痕が徐々に姿を見せ、疲れの中にも少しの緊張が生まれてくるのを感じましたね。
山頂近辺ではヘリが周遊してました。報道関係かなと思いましたが、わからずじまい。
山頂への鳥居。最後のひと踏ん張り。
登り始めて3時間半。途中石室山荘で御朱印をいただいたり、何度も振り返って景色を堪能していたため、想定より遅くなってしまいましたが、快晴の内に山頂へ立つことができました。
中央アルプス・南アルプス・北アルプスと日本の屋根を見渡せるこの迫力の景色は登山やっててよかったと思う瞬間です。
学生時代は天候が悪く強風の中立ってるのがやっとだったため、早々に立ち去った記憶しか残っておらず、この快晴の中山頂に立てたことを感謝しました。
山頂直下にはシェルターと噴火の記録が書かれた碑がおかれており、シェルターは風よけの休憩所として使えましたが、噴火の犠牲者を改めて目の当たりにしたような感覚に陥り、しばらくしんみりと過ごしました。
右側に続いているように見える登山道ですが、噴火の影響で今も通行止めとなっている王滝からの登山道で、噴火による崩落をまざまざと見せつけられ自然の驚異を体感しました。また王滝ルートは学生時代に登ったルートで直下にあった山頂小屋など利用していたこともあり、切なくなりましたね。
火口湖である一の池と下にある二の池です。噴火から5年以上も経過してなお火口恐怖を感じる場所となってます。反面御岳山の雄大さを知ることもできる貴重な景色です。
二の池まだ降りてきました。一面の灰色は正しく火山灰が降り積もったもので、ここでも山頂の山肌のえぐさを実感できます。
噴火の当日発生時間はちょうど正午くらい。山頂へ続々と登山者が到着するタイミングです。そんな中での噴火。今発生したらと思うと足がすくむのを強く感じました。
4、登るなら早朝から
下山を開始した11時時点でかなり雲が出ていて、8合目に着いた辺りではでは山頂が見え隠れするくらいに雲が広がっていて、やはり登山は早朝から昼くらいまでに着けるのがベストだなと実感。
いくら快晴でも山の天気は本当に変わりやすく、実は深夜4時くらいに向かってた国道では普通に曇っていて、周りの山々も見えないほどだったので、今日は駄目かぁとがっかりしていたのに、登山口に着くころには雲一つない快晴に変化していて、驚きと笑みが隠せなかったくらいです。
また、13時くらいに下山したのですが、途中ロープウェイ方面から明らかに軽装で山頂へ向かおうとしてる方がいて、登山はあくまでも自己責任ですが、冷静になって引き返してほしいと心の底から思いましたね。
5、下山して
改めて終始天気に恵まれた良い登山となって良かったです。ただ、やはり山頂へ近づくにつれ絶景とは裏腹に噴火の爪痕が至る所に見られ、こんな快晴の中登っても不安は拭えませんでしたね。
改めて山への敬意と畏怖を感じた登山になりました。
コースタイム 登り3時間20分 下り2時間15分
中の湯 6:25
八合目女人堂 7:55
九合目石室山荘 9:00
剣が峰(山頂) 9:45(45分休憩)
二の池 10:45
八合目女人堂 11:55
中の湯 13:00
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