ひと口ってどれくらい?
「ひと口ちょうだい」が苦手だ。
みんなでシェアするご飯が苦手だ。
ラーメン屋に行った時、ケーキを買う時、パスタ屋に行った時。これとこれどっちも食べたい!ってことはよくある。
その時に、私はこれを頼むけど、あなたのもひと口ちょうだいね、って言われると何となく心がざらっとする。たとえ、相手からひと口もらえたとしても。
ある時、友だち4人でパスタ屋に行った。1人が、4人それぞれで食べたいものを頼んでそれをみんなでシェアしようと言い出した。内心、自分のは自分で全部食べたいなと思いつつも、空気が悪くなるのを恐れて黙っていた。
ひとりひとり、食べるスピードも量も違う。結局、食べるスピードが早く大食いの人がほぼ食べてしまい、シェアしようと言い出した子は少食なので満足そうだったものの、私は何となく物足りない夕食になってしまった。
食べ物の恨みは恐ろしい。
もう絶対に食べ物をシェアしたくないと思ったし、そのメンツでシェアすることはその後断固拒否するようになった。
ひと口ちょうだい。
そのひと口は、何グラムなのだろうか。規定してほしい。と思う自分ががめつく感じられて嫌だから、ひと口ちょうだいはしたくない。
人のをもらう時も、もらうのがなんだか申し訳なさすぎて味がよく分からない。
だから、ひと口ちょうだいは言いたくない。
「ひと口ちょうだい」をここまで嫌う原因は、育ってきた環境によるものなんだと思う。
父が、食べ物に関してがめつい人だった。そして、人一倍それを気にしていた。
みんなが大好きであろうメインディッシュは、必ず皿に小分けにされていた。大皿に盛られていると、父は遠慮して食べないうえに食べてる子どもたちにチクチクと「食べすぎじゃない?」とか言ってくるから。
みんな平等に。周りを見て、自分が独り占めしないようにしよう。
まだ食べたい人がいるかもしれないから、一気に同じものを食べてはいけない。
でもそんなことをしていると、食べるスピードが早くて遠慮もない人がいると様子を伺っているうちに料理が消えてしまう。
家族以外と食事をシェアした時に初めて知った。そして、ひと口ちょうだいが「みんな平等に。」の天敵であることも。
ひと口ほど平等でないものはない。
感染症の影響で、「ひと口ちょうだい」はタブー視されるようになった。
心置きなく「ひと口ちょうだい」を断れる。
この不便になった世の中で、そのことだけはとても嬉しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?