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みんな、変わっていく。

「早く大人になりたいな」

高校生のころ、学校から駅までの帰り道で友達が言った。

私は全くそう思わなかった。
可能ならずっと高校生のままでいたかったし、仲のいい友達とずっと変わらず一緒にいたかった。

大人になんてなりたくなかった。

でもそんなことは土台無理な話で、追い出されるように高校を卒業し、仲のよかった友達とはバラバラになった。


自分を変えるには

①時間配分②付き合う人たち③住む場所

を変えるしかないという有名な言葉がある。

逆に言えば、その3つを変えようとしなければ自分は変わることはないということだ。

この言葉は知らなかったけれど、私は無意識にこの3つを変えないように実践していた。

変わることが怖かったから。
友達や、恋人や、高校時代の思い出たちと離れたくなかったから。


でも同じくらい、変わりたかったのかもしれない。

そのままのあなたでいいよ、って受け入れてくれる友達や恋人は優しかったけれど、そこは優しい諦念の漂う世界だった。

自らの意志を持って変わらないんじゃなくて、変われないと諦めている。
そしてそんな自分を受け入れてほしい、だからあなたも変わらないでね、という人たち。
まさに、共依存の関係。

ぬるま湯のように優しかったけれど、それは自分たちに優しいだけでしかないと気づいた時に、私の周りの世界は音を立てて変わり始めた。


具体的に言おう。

一緒の所に就職しよう、あなたがいるなら私も同じところに就職する。と言った友達がいた。

違うと思った。私にはあなたの人生を背負いきれない。
いつまでも、一緒にトイレに行く高校生みたいではいられないでしょ?私たち。

私は1人でも就職すると言った。友達は一緒に来なかった。

共依存の関係は終わった。
友達との関係も、終わった。


恋人と、就職したら一緒に住もうと話していた。
一緒に住むの?って聞いたら、きみが一緒に住もうって言うなら住むかなって返ってきた。

違うと思った。あなた自身の意思はどこにあるの?
一緒に住むなら自分でその選択をしてきてよ。

そう言ったら、それは選べないと言われた。

共依存の関係は終わった。


これは休学期間の終わり間近のことだ。

私は休学するにあたって、時間配分も付き合う人も住む場所も全て変わった。

新潟に引越し、バイトと任意団体の運営をかけ持ちし、たくさんの人に会った。

やっぱり私は変わった。
そして、変わることはそんなに怖いものではなかったことを知った。

思い出は消えないし、友達と合わなくなってもまた他の友達はできる。恋人もできる。

「変わることを恐れないで」

そんなふうに言ってくれた友達とは、皮肉にも私が変わったことで疎遠になってしまったけれど、その言葉は心に残っている。

それでも、変わらないものもあると信じている。
根っこの方で、ずっともっていた何か。
何年もかけて築いた絆。

変わらないものだって、きっとあるはずだ。

変わることも、変わらないことも同じくらい大事なことだ。

必要以上に変わることに執着しないように、そして変わることを恐れすぎないように。

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