情熱
「はまのには、情熱がない。」と言われたことがある。
「あんたは勝ち進めるほど情熱がない」と中学のスキー部でのラストレースのスタート前にも言われたことがある。
わたしはそんなに能天気にみえるのか?と悩むこともあった。
でもいま思えば、そういうことを言う人になりたくないと思っていたから、私には「情熱がない」と言われるのかもしれない。
一生懸命なのはいいことだし、頑張っているのも尊敬する。だからといって、それは八つ当たりしたりイライラしたりしていい理由にはならない。
他人に「あんたは本気じゃない」とか「情熱が足りない」とか言ってくる人に限って、一生懸命やりすぎて自分の限界を見失い、ぶっ倒れて周りに迷惑をかけたりする。周りにも「情熱的であること」を望む。周りがちょっとでも情熱的でないと感じると怒る。
「情熱的であること」が正しいと周りにも分からせたい、と思うのだろう。周りが情熱がなかろうと、黙々と努力すればいいのに。
彼らは、情熱をもって何かをやりたいのではない。情熱的である自分が好きなだけなのだ。そしてそれを周りに認めてほしいだけ。
でも、あなたのその価値観を押し付けないでほしい。情熱がないなんて、勝手に自分の尺度で決めつけないでほしい。私には私の、尺度がある。
誤解を生まぬように言っておくと、情熱があるアツい人がいやなのではなくて、情熱的であることを押し付けてくる人が気に入らないというだけです。
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