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10年前のこの日。

10年前、私は中学一年生だった。

5時間目の社会の時間、校舎がゆるーく揺れ始めた。長い長い横揺れで、今まで経験したことがないほど長く揺れた。

それでも、中越地震、中越沖地震を経験していた私は、(この地震はそんなにおっきくなかったな)と思っていた。


授業が終わって職員室で掃除をしていたら、テレビで津波の映像が流れ始めた。
生まれて初めて見る映像だった。

この黒い波はなに?
この流れてるのは屋根?

さっきまで走っていた車が流れている。
もしかしてこの中には人がいるんじゃないか…?

そんなことを話しながら友だちとテレビを見ていたら、先生がテレビを消して言った。

「今日は部活はなくなったから、もう家に帰りなさい。」


初めて、本当に大変なことが起こったんだと思った。

部活が何よりも大事で、熊が出没しても猛吹雪でも部活をやる学校だったから。


家に帰っても、テレビからはずっと地震の放送が流れていた。
日本地図の右側海岸部に赤い線と黄色い線が点滅していて、相変わらず黒い波の映像が流れて、どこかのコンビナートは燃えていた。

その日はなんだかひとりで寝るのが怖くて、母親と妹たちと同じ部屋で寝た。
明け方、また地震が起きた。長野県北部地震だった。

次の日のスキー大会は中止になった。部活もなくなった。その日はずっと家族でテレビに張り付いていた。

テレビでは津波の映像が流れ続けて、亡くなった人の数はどんどん増えていって、亡くなった人たちひとりひとりの重さが薄れていっているように感じた。

遠くの国で起きていることみたいだった。
隣や隣の隣の県で起きている事だなんて信じられなかった。


10年前のことを私がこうして書き残すことに抵抗があった。
私自身はなにも失っていないから。
あの日、もっと辛い経験をした人はたくさんいるから。

それでも、残しておきたいと思ったから書いた。

大学生になって、初めて被災地を訪れた。

整地された、けれども何もないだだっ広い陸前高田を見て、かつてここに住んでいた人たちがいて、ここまで津波が来て、家も人も何もかも流していったことを本当の意味で想うことが出来たのはその日が最初だった。

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