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両親は、理想の夫婦像であり反面教師でもある

私の両親はとても仲が良い。

まず、ケンカをしているところを見た事がない。小さかったころ、「パパとママって、ケンカしたことあるん?」って聞いたことがある。そうしたらなんて言ったと思う?「桃鉄してる時にケンカしたことがある」って。それ以来、2人だけでゲームはやらないらしい。かわいいかよ。
お父さんはどんな時でもお母さんの味方だ。私は言うことを聞かないのでよくビンタされていたが、お母さんが暴力を振るわれているのは見たことがない。お母さんが会社で理不尽に休みをなくされた時もお母さん以上にお父さんが憤激していた。
お母さんは地元を出たくて出たくて、やっと東京で仕事を始めた時にお父さんと出会った(だったはず)。関西出身のお父さんは、ノリがよくオモロい人でそこが良かったらしい。娘にとってはウザイくらいのノリだけど。

私が小学生になるタイミングで、東京から新潟に引越してきた。お父さんは単身赴任で東京に残った。会社からの帰宅時には必ずお母さんに電話をしていた。これは17年間変わらずに続いている風習である。

子どもにとって、両親の姿が「夫婦とはこういうもの」というイメージになる。だから私は、毎日家にいるお父さんは想像できないし、ケンカしている両親も想像できない。子どもができてもいつまでも手を繋いで歩いてもいいと思っているし、何歳になってもデートしていいもんだと思っている。


お父さんは料理や家事を全くしない。お母さんが全部やっている。昨今では、家事や育児を両親で分担するのがあるべき夫婦の姿!!と言われているが、いざ家庭をもった時に私は私のお母さんのように、家事や育児の負担を一手に背負い込んでしまうのではないか、と思う。それは手伝わない男性側だけに問題があるのではなく、幼いころから見てきた「母親像」から抜け出しきれない私にも原因があるのだ。

人の意識というものは、何世代にも渡って少しずつ変わっていくものなのかもしれない。
一昔前のお見合い結婚から恋愛結婚が段々と主流になってきたように、さまざまな恋愛の形も知られるようになってきて、だんだん育休をとる男性も増えて、と長い時間をかけて変わっていく。来年から全お父さんが育休をとるなんてことは起こりえないが、すこーしだけ育休をとるお父さんは増えるだろう。変化とは、気長に待つものなのかもしれない。

こんなことを書いたのは、両親は私にとっての理想の夫婦像であり反面教師でもある、と確認しておきたかったからだ。現状はどうであれ、男女平等が謳われるようになり、年長の人たちは納得していないような顔をしながらも一応、世間の風潮は「男女平等」のほうに動いている。「こういう時代だからねぇ」と言いながら。

でも、これからの新しい時代を作るのは若い私たちだから。古き良きものを理想としつつ反面教師としつつ、時に敬い時に戦い変化の流れにのっていけたらと思う。

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