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SNSでの存在の重さに関する分かりづらい考察

人ひとりの「存在の重さ」ってどうやって測るのだろう。

殺人事件で亡くなった1人と、津波に巻き込まれて亡くなった1人、前者は名前を出されて報道されるけど後者は何千人のうちのひとりとして報道される。

有名人が亡くなればたくさんのファンが葬儀に参列することもあるし、有名人の子供が産まれればたくさんのファンに祝福される。

たくさんの人に知ってもらう、ことが「存在の重さ」につながるのだろうか?


自分の存在を認められたい、だから有名になりたい。そのために力を持ちたい。

これは大昔から人間が持つ性なんだろう。

天下を統一したかった織田信長だって、天下を統一した豊臣秀吉だって、自分の存在と力を認めてほしいという欲求は少なからずあったはず。

たくさんの人に存在を知ってもらえることで「何者か」になれたかのような、「存在の重さ」が増したかのような気分になる。


でも本当は、「何を為したか」のほうが大事なのではないか。たくさんの人にその時点では知られていても、何も為さなければ、残さなければいずれ風化してしまう。溶けたらちいさくなるわたあめみたいに。

なんのためにSNSをやっているのかを忘れ、有名になりたい、それだけでは有名になった時点で止まってしまう。中身のない、スカスカの存在だけが残る。

だから、なんのためにSNSをしているのかを忘れずにいたい。そうしないといつの間にかSNSの波に飲み込まれてしまうから。

見せかけの「存在の重さ」に踊らされ、中身を置いてきてしまわぬように。

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