2008年の日銀総裁人事の混乱を振り返る

殆どの人にとっては、どうてもいい話ですw

主に経済クラスタ、日銀ヲチャー系の人々の当時の記憶の再確認、というようなことでしょうか(いえ、主に当方の自己満足の為ですw)。


08年と言えば、金融界や投資に関係してた方々なら忘れることのできない、リーマンショックという百年に一度級の、1929年大恐慌以来という経済危機が起こった年でした。

若年世代だと実感がないかもしれませんが、日本人は97年から金融危機とIT(ドットコム)バブル崩壊、そしてリーマンショックと立て続けに大打撃を受けたわけです。

その危機直前08年4月の福井日銀総裁の任期切れに伴い、次の総裁人事を巡る混乱が起こったのです。


その背景は、当時与党だった福田自公政権が参院選で敗北した為、当時最大野党だった民主党が参議院第一党に躍進し、政権与党が少数派となってしまう所謂「ねじれ国会」となってしまった事ですね。旧民主党は事ある毎に、何でも自民党に反対したのです。その象徴となったのが、国会同意人事の一つ、日銀総裁のポストでした。


(第一次アベ政権崩壊後の)福田政権は、当時最有力候補と目されていた武藤元財務次官(最近では東京五輪招致委員会の事務局長を務めてました)を野党民主党に提示しましたが、猛烈に反対され候補者選定に苦慮することになったのです。

武藤財務次官時代は、小泉政権下で信任も厚く、次官交代時期が到来しても異例の任期延長で次官に留まり、次の日銀総裁最有力候補の温存策かと目される程でした。日銀派の人々や、債券村・短資会社系、経済アナリストらからの支持も最も多く、妥当な人事案だと考えられていました。

これを民主党が拒否したわけです。理由は元官僚だから、という難癖のようなものでした。


参考記事:08年3月


もう一つ、官僚機構にありがちな人事制度の一つに、所謂「たすき掛け」人事というのがあります。トップの座を、2つ乃至3つの勢力から交互に出すというもので、組織内の派閥(勢力)均等化のようなものですかね。

日銀に限らず、合併した省庁の事務次官人事や、合併した大銀行の頭取人事等でも旧来はよく見られた、ありがちな人事慣行でした。


日銀総裁ポストで見れば、概ねこのたすき掛け人事で就任してきており、大蔵出身の次は日銀出身、次は大蔵に戻って…ということで、98年松下総裁まで来てたわけですね。ところが大蔵解体(ノーパンしゃぶしゃぶ問題)時期以降は、速水・福井総裁と2回連続で日銀出身者だったわけです。

そこで律儀な福田政権は、古い慣行に倣い大蔵系=財務次官だった武藤さんを総裁候補に挙げてきた、ということなのです。当時の諸条件から見て、多くの人の目には妥当な人事案だと思われていたわけです。


これを完全に無視してひっくり返してきたのが、当時の民主党だったということです。一般の国民には、日銀総裁なんて何処の誰がなろうと大して関心もないし、はっきり言って何をやってる・揉めてるのかさえ殆どの人には理解できなかったろうと思います。

が、民主党は反対することに勢力を傾けており、特に「官僚バッシング」に精を出していたわけです。何故なら自民党が何かと攻撃材料にしてきたのが「官公労」、公務員の労働組合みたいなもの(公務員はストができない、など労組活動の制限があったが、長年民主党の支持母体とされてきたらしい)で、逆に「我々は公務員に厳しくあたる」姿勢みたいなのをアピールしたかったのかもしれません。


公務員バッシングをすると、当時のデフレ環境下で「安定した高収入」の公務員を憎んでる人々は少なからずいたので、マスコミ煽動も相まって人気が出ると思っていたのかもしれません。橋下維新がその波に乗ったのも、大阪府・市の連日公務員バッシングでしたから。


で、民主党は大蔵官僚だった武藤さんを拒否して、他にしろと要求したが、自身では決して適任者の名前を挙げては来なかった。天下り官僚だからダメだ、みたいな変な反対理由しか言わなかった。


福田政権は元財務官の田波・渡辺氏(副総裁ポスト)らの候補も挙げたが、事前提示を拒否か不同意で弾いたわけです。
民主党は総裁人事には不同意だったが、副総裁人事にはOKとしており、3月末時点では白川方明・西村副総裁の2名が先に決まっていた。


4月に入り、止む無く白川副総裁を日銀総裁代行として暫定的に過ぎましたが、遂に白川総裁を副総裁からスライドさせ昇格という異例の措置となった。
代わりに空席となった副総裁が決まる(生え抜きの山口日銀理事が就任)のは、何とリーマンショック後の10月という政治的駆け引きの犠牲となったわけだ。


こんなことは、特別国民が望んでいたわけでもなければ、関心が高かったとか強い支持があったわけでもなかった。ただ単に民主党側による嫌がらせ的な、自公政権与党を「何とかして、何でもいいから追い込みたい」というようなサボタージュ的な手法だったろう。


因みに、08年3月時点で、当方の推してた総裁人事案は、何と後の総裁となる黒田さんとか植田さんでしたw



現在の植田総裁が、かなりの期待外れになっていることは否めませんがw


もうちょっと発言とか理論武装とかを昔みたいにキッチリやってきた方がよいのでは。20年も経つと錆びつくというのも分からないではありませんが、これまでの所、総裁発言によってあらぬ波風を立てていると思いますねw

日銀側で少し考え方やデータへの評価(印象)を以前とは違う意見に変更したならしたで、背景や理由を説明した方が誤解を与えずに済みますね。

政策判断は情況に応じて適宜変更せざるを得ない場合もあるのは理解できますが、根底となる理屈や考え方とこれまでの説明などの論理矛盾が目立ちますと、不信感を与えこれを増幅することになりかねませんから。


一方、白川副総裁については、総裁昇格前から「日銀セントラルドグマ護持派」と見做しており、日銀理論の体現者的な存在かと思っておりました。



色々と批判や意見はあれど、リーマンショックや東日本大震災を乗り越えてきた日銀に対し、海外中央銀行界隈からの評価は概ね高かったと思いますね。それゆえ、BIS副議長に指名されるなど異例の厚遇だったと思います。




因みに、当方が08年当時に推した、黒田・植田総裁で連続14年とかやって、脱出できなかったとか惨敗だと、私の立つ瀬がないわけですw

今はまだ、日本経済の体質的にはリハビリ的な段階でしかなく、インフレ率が2~3%程度の上昇ですらビックリしてるような有様ですから、持続的なプラス圏維持を見込める状態ではないかと思います。

弱った老人みたいな体質では、少しの助走でもゼイゼイしてしまって走り続けられない、に似ています。まだまだアシストなり、周囲の手助けが必要ですね。

常時1~2%の物価上昇率を受け入れるのが「普通」という体質に戻るには、まだ時間を要するのではないかと思います。
それは、日本人の考え方や受け止め方に起因するもので、染み着いた「デフレ思考、デフレ体質」を払拭してゆく必要がある、ということです。


何とかおたの申しますぞ、日銀さん!


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