見出し画像

自分との関係を作りなおす。


最近は、自分のことも他者として扱うようにしている。


私は私なのだけど、私の体は私のものではなくて、私の心も私のものではなくて。でも実際私が使っているもの(というか使わせてもらっているもの)だから、とても大切に思っている。


つまりは、私とは、「大切な他者」なのだと。


もともと、私は人に対して優しい。家族も恋人も友人も、大切に扱いたいと思っている。でも自分に対して厳しかった。


私にとっての私とは、ボクシングのコーチみたいな立ち位置。


「お前、まだまだいけるだろ!」(イメージ)


「こんなもんじゃねーだろ!立つんだ!!立つんだゆいー!!!」(イメージ)


私はコーチの私に、もういいよってタオルを投げてもらいたいんだけど、いつでも「まだまだいける」と投げてくれそうな気配はなかった。それによって、叶えてきた夢もたくさんあるんだけど、コーチがもっと優しくしてくれていても叶えられた気がしている。



「こうあるべき」って、私が言ってくるんだ



そう、私と私の関係は、厳しいコーチとボクサーだった。


コーチは私のあり方に指示を出してくる。


「このグループの中でお前が一番年上なんだから、みんなに優しくしてやるんだぞ。みんなに慕われる、いい姉貴にならなきゃダメだぞ。」


そんな指示が来るから、たとえば私は大学時代、頼られる自分でいようと頑張っていた。年下の友人たちの役に立たないと「年上なのにな…」って感じた。


実際は、年下の子ですごい頼りになる子が現れて、私の姉貴時代はすぐに幕を閉じた。私より何倍もご飯つくるのが上手で、飲み会のセッティングとかすばらしい子だった。(私は飲み会幹事とか、すこぶる苦手だ。)


そしたらコーチは


「お前、恥ずかしくないのか!もう、恥ずかしいから、ペコペコしとけ!」って言うから


「〇〇ちゃん、頼りになるね。ありがとうね、ありがとうね!」とペコペコしてた。「頼りにならないお姉さん」みたいなポジションが出来上がって、みんな可愛がってくれたけど、あえてそのポジションを作り上げた自分に疑問が残った。


誰も、私にそんなポジションとってなんて要求してないのに、私が私にそんな指示を出してくる。つまりは自分で作りだした「こうあるべき」に翻弄されていたんだなと思う。


(ちなみに大学時代の友人は、いつまでもみんな良くしてくれる。誰も、「こいつ頼りにならないな」とは思ってもいないのであーる。)


自分との付き合い方を変える。


社会人になったって、私というコーチは厳しかった。


「新人は新人らしく振る舞え!」とか


「リーダーになったら弱音は吐くな!後輩を守れ!」とか


「定時で帰ってていいのか!!!」とか。笑



数年前、当時読んだ本がきっかけで初めて自分を第三者として意識してみた。


なんとも不思議な感覚。この心も体も、借り物だとしたら?80年くらい使って、返さなきゃいけないものだとしたら?私はこんな雑な使い方をしていていいのだろうか。


私は私という存在を全然大事にしてないようだ。もっと、我が子のように、妹のように、恋人のように、扱ってあげるべきではないだろうか…。



その日から、私は私と友人になった。



ボクサーコーチの私は解雇した。その後さらに時間がかかったけど、だんだん私は私をとても大事にするようになった。


「疲れてるね。今日は絶対定時であがろうね。」


「今日は研修に行くのやめて、私と一緒に好きなことして過ごそうよ。」


「あの人、あなたのこと大事にしてくれてないよ。もう会うのやめたら?」など。


友人の私は、私をゆるめてくれて、ほめてくれて、大事にしてくれた。ちゃんと、私自身が大切にされていると感じることができた。一人で過ごすことも、さみしくなくなった。


まだまだ、関係は作りなおせる。


ここ最近、友人の私はさらにゆるくなった。もう、ふにゃふにゃだ。ボクサーコーチだった頃の筋肉など、どこにも見当たらない。


「自分のやりたいようにやってごらん。」


「やりたくないことは、やめときな。」


私が何か新しいことに挑戦すると、「あらー、偉いわね。すごいパワーだね。尊敬しちゃう。」とやる気なく褒めてくれる。



彼女を私の友人として迎えたことで、私は今まで気にしていたものがどうでも良くなった。


集団のリーダーにならなきゃ!とか、キャリアアップしなきゃ!とか、もっと多くの人を救わなきゃ!!!(誰)とか、なんであんなに必死になってたんだろう?




友人の私は言う。


「まず、今食べてるご飯をちゃんと味わいなさい。」



「旅は疲れ切ってするものではないのよ。元気な時に行きなさい。」



「だから食って寝ろ。」



これは、私の頭の中のスイッチを切り替えただけで起きた、嘘みたいな本当の話。



他者である私との関係は、作りなおせる。



私に厳しい先生やコーチの設定でもいいし、私に激甘なお姉ちゃんの設定でもいいのだ。大事なのは、どんな風に自分に寄り添ってあげたいか。



自分という他者の存在を感じてほしい。



自分の体を軽視しないで。自分の心を軽視しないで。その心と体は、これから死ぬまで一緒に生きていくパートナーなのだ。その後は燃やして自然に返す、借り物なのだ。


むしろ誰よりも大切にしてほしい。誰かに「私を大切にして」とお願いしなくても、自分で自分を大切にできるのだ。というか、するべきなのだ。


今日はそんな話。


画像1

HP
https://yui-hmd.space

Twitter 
https://twitter.com/hamada_sw2020

stand.fm
https://stand.fm/channels/5fbcfaa6c6465465904bb277

みてねー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?