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【エッセイ・ほろほろ日和5】32歳クライシス ~小笠原逃亡記②

 29時間半もかけて、荒波を超えて来た。そのせいか、陸に上がっても船酔いが抜けない。地面が揺れている。あぁ、気持ち悪い。
 ふらつく足でたどり着いたのは、
「戦争でな、輸送船が撃沈され2000人が死んで、そのうち3人しか生き残れんかったんだよ。俺が、その3人のうちのひとり」
 と尋ねもしないのにしゃべりまくる元気なおじさんと、その奥さんが営んでいる自炊式の小さな民宿だった。
「す、すみません。体調悪いんで、しばらく休みます」
 青い顔をして告げる私に、民宿の奥さんは、
「はいどうぞ。好きなだけ寝ててね~」
 と素っ気なく答えた。
 案内されたのは、扉のない4畳半ほどの部屋。出入口らしき場所に、のれんだけが下げられている。尋ねると、男性の宿泊客が3人。女性は私だけ。「鍵、ないですか?」と尋ねる私に、「大丈夫、誰も襲わんよぉ」と奥さんは笑った。そういうことじゃないんだけどなぁと思ったが、覚悟した。そういう場所に来てしまったのだ。郷に入れば郷に従えだ。私は、薄い布団を自分で敷いて、目眩に耐えながら寝た。

 誰も訪ねてこない。当然だ。私は、逃亡者だもの。けどな、何やっているんだろう、私。どうしてこんな場所で、うめきながら寝ているんだろう。

「私、みんな捨てて来たんです。ひとりです。逃げて来ました。どなたかお友だちになってくれませんか」

 誰かれ捕まえて、そうお願いしたくなるくらいに、心細い。異常に元気なおじさんと奥さんは、ちょっと逞しすぎて友だちにはなれそうもないし。
 夕方、島に一件しかないスーパーにでかけた。夜の食材を買い出しに行かなければ、飢える。誰も助けてくれない。
 スーパーの店内は、島の住人や旅行客でごった返していた。新聞も雑貨も食料も、一週間に一度だけ小笠原丸で運ばれてくるのだ。新聞は、一週間分まとめて販売。決して毎日配達されるわけではない。菓子パンや生鮮品は、ほぼ凍っている。凍らせないと、次の船便がくるまで鮮度が保てないからだ。何もかもが、新鮮な驚きだった。
 スマホも、携帯もパソコンもない時代の小笠原。テレビは、NHKしか放送されてなく、当然民宿の部屋にテレビはない。部屋に戻り、菓子パンをかじりながら暮れて行く海を見る。しなければならないことは、なにもなかった。聴こえて来るのは、風と波の音だけ… ウトウトと時が流れて行く。
 目が覚めれば起き、お腹が空けば自分で調理して食べ、日が沈めば眠る。ただ、それだけの生活。まるで療養生活。
 ふらりと民宿を出ると、目の前に浜が広がる珊瑚の浜。打ち寄せる波に洗われて、珊瑚が透き通るような音を奏でていた。

「いつまで滞在ですか?」
 浜でぼんやり海を眺めていたら、女の子に声をかけられた。原宿のサンドイッチ屋さんに勤めている20代の女性だった。
「えっと…… 別に、決めてません」
「そうですか。この島はそういう人が多いんですよ」
 彼女も、一人旅だった。翌日、彼女が滞在しているペンションに移った。こちらは女性の宿泊客も多く、二段ベッドの大部屋でも心安く過ごすことが出来た。知り合う人たちは、ほとんど一人でこの島まで来ているという。友人が増え、夜通しとりとめもないことを語り合った。毎日、どこかの浜辺に出向いて泳いだ。野生のイルカに囲まれて波を漂い、無人島を探検した。沈む夕日を飽くこともなく眺め、日が暮れると暗闇の中で満天の星空に流れ星を数えた。
 私は、歩き方を憶えたばかりの子どものように、目を止めるものに立ち止まり、耳を澄まして風を追いかけた。戯れること、遊ぶこと。こんな当たり前の喜びを、なぜ今までしてこなかったのだろう。普通に呼吸する、普通に歩く、普通に生きる。ただ、それだけのことだったのに。太陽の光が、真っ直ぐに私の中に入ってくる。
 それは、私にとって初めての宿題のない夏休みだった。

 島に降り立ってから1ヶ月。私が抱え込んでいた数々の症状は、全て跡形もなく消えた。仕事は辞めてしまったけれど、もしもご縁があるならば、いつかまた歌える日が戻って来るだろう。それくらい、気楽に考えられるようになっていた。私は立ち止まったことで命を救われ、本来の自分を取り戻すことが出来たのだ。

 ある日、島の人に誘われて無人島に渡った。夜明け。轟々と風が吹く中、大空を大河のように雲が流れ、月が沈み星が瞬き太陽が昇る瞬間を見た。海と大地と宇宙のシンフォニー。そこに私が一人でたたずんでいた。

「全てはここにある。何も心配はいらない」

 誰かの声が、聴こえたような気がした。

 秋も深まるころに貯金が底を突き、私は小笠原に別れを告げることにした。
 小笠原丸出航時、去り行く小笠原丸をたくさんの船が追いかけて別れを惜しむ。私も何度も船に乗り、去り行く船を追いかけた。そして今度は、私が去る。私は誰にともなく、大きく手を振りながら「さよなら~!」と何度も叫び、心ゆくまで泣き続けた。

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 小笠原は、疲れ切った私がたどり着いた天国の島。人間は自然と切り離されたままでは、けっして幸福に生きることはできないと教えてくれた。
 私は、擦り切れて苦しんでいる人にささやくことがある。

「逃げなよ。小笠原、おすすめだよ」と。

 歌は、ゆっくりとしたぺースで私の元に戻り、小笠原から戻った3ヵ月後、私はひとりの人と出会い家族になった。

 あれから、25年の月日が流れた。
 小笠原は思いのほか遠く、再び訪ねることはまだ出来ないでいる。だが、島の輝きは今も私の中に生きている。
 どんなに逃げても、悲しみや辛いことはやって来る。どうすることも出来ない痛みに襲われ、迷いは雲のように湧き上がる。
 そんな時、私の心は小笠原に飛ぶ。どんなに辛くても、なんとかなるさ。世界は全て、あの紺碧の海につながっているのだから。


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