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【採択者紹介】ティントラボ『伝わらない記憶のプロセス 』①~

全国・世界・地元から、福島県浜通り12市町村にて芸術家が滞在制作をする「ハマカルアートプロジェクト」(経済産業省令和5年度地域経済政策推進事業(芸術家の中期滞在制作支援事業)。

その採択プロジェクトのひとつ、三塚 新司 さん(ティントラボ)による
・「伝わらない記憶のプロセス」
につきまして、三塚さんがこの12市町村(東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う避難指示等の対象となった12の市町村)内において、どういったプロジェクトを実施し、現地活動、および制作物が出来上がるのかまでをシリーズでご紹介します。

今回は第1回目として、三塚さんご本人について、ご紹介したいと思います!(一枚目画像提供:岡本太郎美術館)

ー 三塚 新司さん ー

1974年、長野県生まれ。高校を卒業後、スキーのパトロールの隊員など、複数の職を経たのち、東京芸術大学美術学部 先端芸術表現科へ入学。
在学中より、子供番組の放送作家として映像関係の仕事に携わり、その後は雑誌編集者、テレビ局ディレクターを経て、2016年に千葉県鴨川市に工房を設け、サーフボード制作技法を応用した作品制作を行う。
2018年からは公募展への出展や作品展示を始める。

中学生の頃、郷里信州の旅館に旅行滞在していた折、描いていた絵を「買いたい」という人が現れほどで、当時から絵を描くことが得意だったという三塚さん。

「でも長い間、美術の世界には進みたくないと考えていました。他の人と自分の感受性が違っていることに不安を感じていたので、それを治すには美術を避けなければいけない。と思っていました。」との言葉通り、高校卒業後はスキーパトロール(冬)、ライフガード(夏)といった、季節ごとの住み込み仕事を転々としながら、いくつかの職に就かれたものの、結局は24歳で東京芸大に進まれます。

初めて美術展に作品を出されたのは芸大進学後の大学1年の時だそうですが、一方で大学在学中から、子供番組の放送作家として映像関係の仕事に携わり、雑誌編集者やテレビ局のディレクターとして活動されます。

【「青」の追求から、巨大なバナナ皮の制作者へ】

しかしテレビ局で働いていた頃、ふと「空の青さ、海の青さを表現出来る技法」として、サーフボードの制作技法の応用が出来るのではないか、と気づいてしまいます。
三塚さんは2016年に千葉県鴨川市に工房を設け、作品の制作方法を研究しはじめて、2018年に平面作品シリーズ『DELIRIUM』を発表。『DELIRIUM』とは、精神医学用語で「譫妄(せんもう)」(意識が混乱し、幻覚や妄想に取り憑かれた状態)を指すそうで、現代社会が自ら様々な問題や課題を作り上げてしまったのではないか、という三塚さんの解釈を反映させたものだそうです。

DELIRIUM 2016年制作

これまで様々な作品を作ってきた三塚さん。なぜ制作をするのか、との質問に、「モノづくりへの衝動というのは、何か一種の病(ヤマイ)なんだと思います。生まれた時からいつか発病することが決められていたヤマイで、それを、自分は普通の人と同じように生きられる筈だ。と抵抗するものの、結局逃れることが出来なかったヤマイのようなもの。」と説明下さいました。
高校卒業後、すぐに美術の世界は目指さず、しかし結局は芸大に進学した三塚さんから聞くと、相当な説得力があります。

そして、2020年のコロナ禍の中、「豊かさとリスクの交換」と「それでも前向きに生きてゆかなければならない現実」などを表現する巨大なバナナの皮「Slapstick」(ドタバタ喜劇の意)を発表されます。

(画像提供:岡本太郎美術館)

そうした作品のことを三塚さんは「アートそのものは言語化の出来ない解釈を形にする面があるので、なかなか説明し難いのですが、その一方で社会に存在する階層構造になった疑問のレイヤーを強引に剥がし見るモノでもあるので、言語化出来ない面と、疑問を強引に顕わにしようとする面とが同居している。」と言います。確かに巨大なバナナの皮である「Slapstick」は、何かを象徴しようとしているように見えます。

そんな三塚さんが今回、福島県の12市町村エリアで、どういった制作活動を展開されるのでしょうか。

次回はティントラボの採択プログラムついて、ご紹介します、お楽しみに!