雑記20/06/27土 岡真理先生の本、パレスチナ、イスラエル、徐々に事態が取り返しのつかないところまでずれていくこと


岡真理『ガザに地下鉄が走る日』読んでる。2018年刊。

岡先生の本は『アラブ、祈りとしての文学』(2008年刊、2015年新装版)を、映画評論家・書評家・翻訳家の柳下毅一郎さんが激賞(「一字一句書き写したいくらいの」とか)していたのを見て手に取った。
これは率直に言って、読んではみているが何も語れるほどわかっていない。

ただ重みはきている。

パレスチナについての本だ。
パレスチナ、すら、「あそこだろ?」と言えないほどあやふやだ。
それでも、イスラエル、は、聞いたことがある。
ユダヤ、は、もっと聞いたことがある。
ホロコースト、は授業で習う。

ものすごく雑なことをいえば・・・第二次大戦でユダヤ人はナチス、ヒトラーから大変な虐殺をうけた、
その戦後、ユダヤ人の国、イスラエルが建国された、
それは、すでに住んでいる人たちの場所に、無理くりに作ったわけで、
ユダヤ人が「我々の土地を取り返す」と作ったイスラエルは、
それもまた、パレスチナの人々の土地を、国を、奪う行為だった、
「中東戦争」というのが第1次~第4次まであった、というのも読んだ、
その後も、今も、延々と、パレスチナ人は虐待を受け続けている。。。

なんて、基本的なことすらわかっていないくせに、書きつづけると、

この本が脳をパンチしてくるのは、知らなかった事実を知らせてくれるから、だけでなく、
こちらの思考の枠組みについてパンチしてくるからだ。

たとえば、「ホロコーストでの死者が何百万人」と聞いたとき、
それを「こんなに被害が!」と高らかに伝聞するとき、
それはユダヤ人への同情であっても、
その影で、
「死者200人の事件」はどうなってしまうのか。
パレスチナへの攻撃が、毎年数百の命を奪っているとき、
その累計が何万人にのぼっても、
それが「一度に起こった数字」でなければ、「虐殺」とは捉えられない、
世界への報道はされず、
「いつものこと」「つづいている紛争」として、既成事実が築かれていく。

紛争、続いてちゃいけないんだけどね。

発端から、最初の一歩から、やり方が間違っていたのだと、
犯罪なのだと、
一貫して言い続けること、
何も既成事実としないこと、

虐待事件など見るにつけ、「なんでこうなるまで放っておいた?」と思ったりする、
だけれど、1日、また1日と、徐々に事態が進行していくとき、
それは、「昨日」が基準点になって、
「最初からどれだけ来てしまったか」は、あまり省みられない。
気づいたら、とんでもないところまで連れてこられてしまう。
どうして放っておいた?


まあこんなものより先に、読んでください。



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