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そうそう、誰もが『いつか来る死』

『いつか来る死』 糸井重里・小堀歐一郎著

しみる、、

・「死は『普遍的』という言葉が介入する余地のない世界である」(小堀)

・患者が食べ物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲み込む力がなくなったから。食べたり飲んだりしないから死ぬのではなく、死ぬべきときが来て食べたり飲んだりする必要がなくなった、と理解するべきだということ(小堀)

・退院しても通院を選び、その途中で亡くなると、そうなってしまいます。患者本人と一緒に家族も最期のための心の準備をしていく。でも通院の予約を入れているうちは、まだ本人も家族も治癒を目指してしまう。死ぬとは思わないまま死んでしまう人が、多くいるんです。(小堀)
・医師にとって、死は敗北なんです。(小堀)

・それでいうと、僕はどういう死に方をするんだろう。お通屋のにぎやかな人でありたい、とは前に思ったことがあります。みんなが楽しく、くだらない話でわいわい盛り上がるようなお通夜。それができたら、人生として最高だなと思うんです。「バイバイの前まで笑っていたね」って言われたい。(糸井)

・僕が犬や赤ん坊が大好きなのは、とにかく現在を生きているから。そっとあるかないと転ぶ、なんて全く思っていないじゃなないですか。あれはもう、たまらないですよね。無限に先がある。そういう子に対して、「いつか死ぬんだよ」なんて言わなくてもいい。(糸井)

・先がそんなにないと思うと、ピリッとするんですよ。「なんでもはできないんだから、好きなようにやろう」と度胸が出る。ささいなことですけど、少し遠出して鰻を食べに行ったとして、ふと「俺、ここまで来て鰻食うこと、二度とないかも」と思ったりするんです。(糸井)

・けっこう楽しく生きてきたから、今死んでも平気だって思います。それは、ありがたいことですよ。感謝したい。楽しく生きてこれた理由の一つは、自分自身なんだと思います。みんなに感謝できる人生にするために、僕もそれなりの努力をしてきました。(糸井)

・ぼくは、カッコいいなと思う人を、真似して生きてきたんです。「あれはいいなぁ」と思ったら、すぐ「できないもんかなぁ」と考える。小堀先生の、本当のことを言いながらお互いを傷つけないところを探し、自分の腕を磨いて仕事をする生き方、これまたカッコいいなぁと思います。(糸井)

・そうそう、ぼくは自分のやっている仕事を、使命だとか、人のためにやるべきだとか、思っていないんですよ。・・・訪問診療を始めて15年ですが、まだまだ新鮮な気持ちなんですよ。ここ最近の発見でいうと、「生かす医療」と「死なせる医療」のターニングポイントがある、と気づきました。(小堀)

・この対談では死についていろいろ話してきましたが、死についての話って、「生きる」についての話だと思うんですよ。・・・1年生きたということは、1年死に近づいたということ。でも、それがありがたい。やっぱり死について考えるのと、生きることについて考えるのは似ているんですよ。(糸井)
→激しく同意。自分の死、家族の死、それを考えることは、生きることを考えることであると。

・看護師から僧侶になった玉置妙憂さんと対談したとき、彼女が「平穏な死はない」「どんなことをしても、残されたものは後悔する」と言ったんです。これは至言だと思います。・・本人の希望を叶えても、叶えられなくても、残された家族は何かしら後悔するんです。(小堀)

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