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寝室より未来に宛てて


化粧台と聞くと、なんだか古いにおいが漂ってくるのは、祖母の家をイメージするからだろうか。

増築されたキッチンの隣。洋服だんすの隙間を埋めるように配置された化粧台は、いつも幕が下ろされている。そこからレトロな絵柄のミニーの櫛をスッと取って、ヒーターの前に陣取るのが、お風呂上がりの私の常だ。
ドライヤーなんてないから、なかなか乾かない髪を丹念に丹念に梳かし続ける。パジャマが熱に照らされて熱い。寝る支度の整った母が横に座って、櫛を代わってくれる。細い櫛の先が後頭部を掻いて、まだまだ濡れている毛先にしずくを集める。私はそれをタオルでゴシゴシと拭く。

ローカル番組を小さく流しながら、ヒーターの灯りをじっと見る。ふすまを隔てた向こう、真っ暗な部屋の畳に、埃じゃない何かがしんしんと降り積もっているような気がする。

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伯母、という字面を見ると他人のような感じがするので京子姉と呼ぶが、京子姉があの化粧台を使っている姿は、少なくとも記憶には無い。お風呂上がりにニベアの青缶を取ってきて手と顔に薄く伸ばしているくらいだ。
私も母もそれを借りて、ヒーターで火照った頬に塗る。いろいろと無頓着なのは母ゆずりということにしておきたい。

我が家の化粧台とて、今では本棚と化している。何かのレシピが載ったエッセイだか小説だかが見つからないと言うので、代わりに探しに行ったら、鏡が三分の一しか見えないほどに積み上がっていて断念してしまった。

最近は母も歳ゆえにあまり化粧をしなくなった。するとしても洗面台でおしろいを塗る程度。化粧台の幕が上がっているのを見たのなんて、はたしていつが最後だろうか。
あの鏡に向き合っている母の姿を想像するけれど、どうしてだかセピア色だ。


クリスマスプレゼントにコンタクトレンズを買おう、と母が言い出した。来年から社会人なんだから。あんたもみんなコンタクトで羨ましいって言ってたじゃない。
いやまあ、そうなんだけど、それでも延ばし延ばしにしてきたのだ。なんか手入れがメンドくさそうだしさぁ、裸眼でもなんとなく見えてるし、読めない文字があったら友達に教えてもらったらいいんだし。それにホラ、怖いし。
迫られつつも眼科の予約をまだ渋っている。何が嫌という訳でもないし、きっと便利なんだろうけど、なんとなく気が乗らない。そういうものってあるのだ。

お出かけ前に洗面台で母がコンタクトを入れるのを、今より一回り幼い私は廊下からじっと見ていた。支度しなさいと急かされながらも、なんとなく、特に何の感慨もなく、洗浄液の入ったコンタクトケースを観察していた。あれはなんでだったんだろうなぁ。よそ行きな感じがしたからかもしれないし、大人っぽかったからかもしれない。私にとってコンタクトはちょっと特別な時のもので、いまだに普段使いという感じがしない。


最近はコンタクトしないね、と母に訊いたら、老眼だから遠くは見えると言った。近くの方が見えづらいなんてヘンテコだなぁと感覚的に思う。
母はどれくらいの距離で私の顔にピントが合うのだろう。どれくらい私のことが見えるのだろう。私だって裸眼じゃシミひとつ見えないのだから、お互い様だけれど。

見えているようで見えていないのが親子、なんて都合のいい言葉で押し流してしまうのが、きっと正しい距離感なのかもしれないな。でもいまいち見えない自分にもどかしさを感じてしまうよ。
親子だからって隠しておきたいことも、隠しておかなきゃいけないことも、たくさん抱えてはいるけれど、相反して聞いてほしい自分がいるし、母の弱さを見てやりたいとも思う。

大人になりたくないし、コンタクトもしたくない。
だけど母と対等になりたい。



化粧が薄くなった。肌のつやは変わらないけど、たるみは増えたし、目も少し窪んだ。髪が薄くなって、白くなった。
イワシを食べると髪が黒くなるという民間療法じみた情報を母は信じていて、定期的にイワシの味噌煮が食卓に並ぶ。水を差してもきっと何にもならないから、私はスーパーで安いイワシ缶を見つけたら母に報告しにいく。

私は銀髪の母も変わらずかわいいなぁと思うのだけど、きっとそれは女性としての矜持だから。


四十手前で結婚するまで実家暮らしだったという母も、私が物心ついたころには寝たきりだった祖母も、祖母のお世話を十年続けた京子姉も、あの化粧台を使っていたんだろうな。
私はまだ化粧台に幻想を抱いている。化粧台は女性に魔法をかけるのだ。垂れ幕をめくったら、テクマクマヤコン的なチカラで大人の女性になれる。

いつかあの鏡に自分を映したら、私も母と対等な大人になれるだろうか。


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なぜか今も自室に置きっぱなしの、キティちゃんの化粧台の引き出しを十数年ぶりに開けてみた。
記憶ではドライフラワーにしたバラの花びらとかクレヨン王国のフィギュアがあったはずだったけど、実際にはコインと缶バッジと、金魚の水槽に入れるようなプラスチックのきらきらした石が入っていた。

化粧っ気のない私らしくて、少しだけ笑ってしまう。


きらきらした大人になんて、なれるとは毛頭思っていないけれど、せめて胸を張れる大人でいたいと思う。鏡に自分を映せる人間でありたい。母の積ん読を下ろして、いつかは私もこの化粧台を使うんだ。
そのときに良い顔をしていたらいいな、と今は思う。

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