死臭かろやかに躱す風



どうやらこの季節、よそ見をしていては歩けないと気付いたのは、四連休が明けた今朝のことだ。



駅を降りて、ちょっと遠回りだけど他の職員があまり通らない、線路沿いの道に迷わず足を向ける。
オハヨウゴザイマスから歩調を合わせなきゃいけないのが嫌いな性分だ。

日傘を取り出し、さて、今日のマイリスト。

うきうきと流し始めた曲のテンポで大きく一歩踏み出して、その足をあわてて右にずらす。

コンクリの上に、干からびてかりんとう色になったミミズ。

うげっ。

その先にも、乾いてぺしゃんこのミミズ。

そのまた先にも、ミミズ。

そこから先はもう、シューティングゲームの敵みたいに迫ってくるミミズ(だったり、よく似た色味のただの枝だったり)を必死に避けるゲームになった。

踏みたくない。絶対に踏みたくない。
できるだけ足裏の感覚を想像しないように意識を飛ばして、右へふらふら、左へよたよた、はたから見たら千鳥足だろうが、当人は懸命に職場をめざす。

いつの間にか、お気に入りの曲は流れ尽くしていた。


コンタクトレンズを使い始めて半年が経ったというのに、私はいまだ、絵画みたいな入道雲を見上げては感動している。

ものごとのディテールが見えるようになった視界は、おもしろい。

私は今、まさに、はじめての夏を過ごしている。

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そんな中で突如湧いて出た弊害こそが、虫。

地面をのろのろと歩くダンゴムシ。

腹をむけてひっくり返った蝉の生死。

渦を巻いて干からびたミミズは、まるでドイツのソーセージ。


うげぇ、である。


見えないものが見えるようになった結果、見たくないものもずいぶん見えるようになってしまった。

道の端に無惨に散らばる、白くやわこい羽根と赤っぽい何か。

カラスの嘴に挟まれて、ジジッと断末魔の声をあげる蝉。

いやー、マジで、見えなくていいリアルがそこらじゅうに転がっている。

気づいて慌てて目を背ける。その反応速度をだんだん諦めてきた頃。足元のミミズをしっかり見ないととても歩けない今朝。

どうやら私は、とうとう気づいてしまった。


見惚れていたいものも、瞼に張りついてしまうものも、等しくある。

ある。


ずっと見えなくて安心してたけど、見る覚悟さえ決まれば、リアルはそこにずっとあったんだ。

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そんなつもりじゃなかったのに、と照り返しの熱気にさらされたコンタクトが乾いた声をこぼした。

リュックの底の目薬が、千鳥足に揺られて、落ち着かなくちゃぷんと波打つ。

夏がこんなにむごいものだったなんて、知るつもりではなかったのになぁ。



やだなーやだなー、ばかり思っちゃうけど、いっこくらい良いこともあるよね。

死臭のかおりたつ道。小さいけれどリアルな死が一面にあって、あの世とこの世の陽炎を踏みしめているような錯覚すらおぼえる。

マジで、想像以上にミミズと蝉の死骸だらけ。

でもその死骸を踏まずに歩くっていうのは、私にできるささやかな供養かもしれない。

虫の命を悼むわけじゃない。

命の終わりを冒涜せずにいられるということが、私のこころの平穏のために大切なことだという、まぁ言うならエゴなんだけどね。


薄っぺらい靴底に、死臭の移り香を残さないように、歩く。

歩く。

出勤時間まで余裕があるから、あえてゆっくりめに、歩く。


軽やかに風が吹けばいい。

今日のいのちが、今日のうちに空へ還ればいい。

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