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あたしの人生、人の役に立つか?7

仕事をやめて
季節は過ぎる。

冬は夫の気分の沈みがあって、
ふさぎこみがちで、
薬も合わなくて、
週に1回の受診を定期的に
続けていた。

このころは、
最初にかかった病院の通院はやめて、
県内の都市部にある
心療内科に通っていた。
そこは家から下道で40分くらい
かかるところで、
国道を走って、いくつか曲がって
大きなスーパーのすぐ近くの
心療内科であった。

スーパーの有料駐車場に車を停めて、
歩いて3分くらいのところにある、
新しくもない、大きくもない、
こじんまりしたビルの2階に
その心療内科はあった。

ドアを開けると
靴箱があり、左手に受付がある。
受付と待合室は木目を基調とした
茶色で統一されており、
椅子は3列に並んでいた。

受付をして、席に座る。
まわりを見ると、
親子らしき二人がいる。
子どもというか若い男性と母親。

よく見ると、
その母親らしき人は
接点はないのだが私の勤め先の
先輩であった。

かといって、
お互い話しかけるでもなく、
静かに待合室で
名前を呼ばれるのを待っていた。

15分から20分位経った頃、
名前を呼ばれた。

夫が先に診察室に入り、
私が後から入って横に座る。

先生は、年は何歳くらいだっただろうか。
60歳くらいか。
元々そんなに混んでいない病院であったため、
ゆっくりと相談することはできる。
この先生は、患者と家族の目を見て
ゆっくり話を聞いてくれるので
私は好きだと思える先生であった。

このころの夫の薬の調整は
眠剤の調整だったと思う。

寝つきが悪い→少し強めにする
と、起きてからも薬が残って
昼間も寝てしまい、
昼夜逆転というより、
めちゃくちゃな生活リズムになっていた。

寝つきをよくする→導入が早い薬
にすると、次は中途覚醒と言って、
夜中に目が覚めて、眠れない。

元気なときだったら、
眠れないのだったら
他のことをすればいいけれど、
うつ病やうつ傾向の人は
みんなが寝ているときに
起きて、眠れないと、
嫌なことを思い出したり、
余計なことを考えて不安になったり、
ろくなことを考えていない。

この状態が続くと、
睡眠不足や精神的不安定になって
しまうので、なるべくしっかり
眠れるように薬を調節する
必要があるのだ。

大体薬が薬が合い始めると、
夜が眠れるようになり
活動量も少しずつアップしてくる。

受診するタイミングも
週に1回から、2週に1回、
1か月に1回と伸びていった。


1か月に1回の受診が
継続できるようになったころ、
夫が、
「ちょっとアルバイト行ってみようかな。」
と言い始めた。

私は、
「え? 何するん?」と聞いてみたら、
「バイクが好きだから
バイク屋さんの
アルバイトをしてみたい。」
とのことだった。

もう少し詳しく聞いてみると、
どうも以前に付き合いのあった人が
お店を出していて、
それをSNSにアップしていて、
その写真を見て、
「かっこいい!」と
思ったようである。


アルバイトをするのは
全く問題はないのだが、
そのバイク屋が
バイクで40分くらいかかる。

病み上がりで、
片道40分かかるところは
負担になるだろうし、
運転するだけで
おそらく疲れてしまうだろう。

「もうちょっと家から
近いところはないん?」
と私は聞いてみる。

すると、夫は、
「大丈夫。
ここのオーナーの
技術がめっちゃすごいねん!」

と、もう心は決まっていて
ここ以外はないという
感じでうれしそうに話す。

働く時間や
通勤距離、そのほか
諸々心配していることを
本人に伝えるが、
聞き入れられず。。。


「様子みていくしかないな。」
と私は思った。


今思えば
そう状態の時だったと思う。

週1か2くらいのペースで
アルバイトをしてはどうかと
勧めていたが、
話を聞かなかった。

結果、
週5くらいのペースで
アルバイトに行き始めた。

さらに、
アルバイトじゃない日も
お店に行っていた。

何をしていたかというと、
バイク屋で部品を磨いたり、
整備したり、
どうもそんなことを
していたと思う。


それでお金が増えてくるなら
良かった。
仮に時給低くても
夫の医療費やたばこ代を
まかなえるならそれで良かった。


短期期間しかアルバイトに
行っていなかったが
色々なことを
バイク屋で教えてもらったら、
困ったことに、本当に困ったことに、
どうも自分でバイクを
いじりたくなってしまったのだ。


家を買うときに買った車を
売って、バイクを買っていた。
そのバイクで通勤していたのだが、
そのバイクを分解し始めたのだ。

この頃になると、
アルバイト行くより
バイクをいじる方が楽しくなったのと、
バイト先で何か言われたようで
バイトに行かなくなってしまった。


ピンポーン♪

とチャイムが鳴って
出てみると、バイクの部品が届く。

「え?何、また買ったん?」
「え?バイクどうすんの?
大丈夫なん?」
と私は夫に言った。

夫は、
「大丈夫。ちゃんとするから。」

そんなことを繰り返していると、
通勤に使えていたバイクは
分解され、新しい部品がついていた。

新しい部品がついて
動くならそれはそれでよかった。

今回の状態は
そう状態であった。

そう状態にやり始めたものは
病的に「やりたい、やらないと
落ち着かない。」というような
コントロールが効かない場合が
多いと思う。


その後悲しいことに病状は
うつにシフトして寝たきりの生活へ。

このままバイクは
中途半端に部品がついたまま、
動かないバイクになってしまった。


「このバイクどうするん?」と
夫に言うと、
「言わんといて。
責めんといて。」
と耳をふさいで拒否してくる。


会話がもうできなくなっていた。
思考をやめていたと思う。
私が何か言えば、
「責められている。」と
思い込んでいるため、
話が通じなくなってしまった。


お金がない中でのこのやりとり。
私は泣き叫びたい気持ちで
いっぱいになり、
バラバラになったバイクの部品と
本体をさびないように
シートをかぶせて保存した。


この後二人目の妊娠が分かる。
「子どもが生まれたら
変わるかもしれない。」
とかすかな期待をしたことは
今でも覚えている。


次回は、「私の転職」です。
お楽しみに

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