下北沢を歩く
下北沢はやさしい。優しくて易しい。
そんな下北沢を歩くのがクセになっている。
土日にウロついている大多数の人たちと同じように、ヴィレバンや無印やTSUTAYA書店を物色したり、買い物したりもするが、目的は異なる。
馴染みの店の友人に会いに行くためにウロつく。
よく行くのは「ろくでもない夜」というライブハウスのBARカウンター。
”ろくでもない”は形容詞ではなく、名詞(店の名前)だが、「名は体を表す」とも言う。そのくらいのスタンスがちょうどいい。
名は体を現す、とは言っても、絶対売れるぜ宣言している名前のバンドで人気のあるバンドを知らない。売れているバンドの初め聞いた時の「???」感と言ったら驚きである。一見、どんな楽曲なのか見当もつかないようなバンドばかり。「Official髭男dism」というバンドが音楽シーンのど真ん中に成ると誰が想像しただろうか。
それはともかく、今日はSHAKEという店にも行った。
店名の由来や意味はまだ知らない。
パフォーマーでもある店主は店主はタダモノじゃないオーラをいつも放っていて、いつ見ても「表舞台の選ばれし側」だと感じてしまう。
育ってきた環境どころか、育ってきた次元が違うような気がする。
うまく言えないのだけれども、選ばれし側と凡人の差は「物事に対峙した時の漠然とした無力感を感じる頻度」ではないかと思う。
おそらく、選ばれし側は生まれ持った才能や環境や努力から、漠然とした無力感を感じにくくなっているようなそんな気がしてならない。
今日は定期イベントで常連さんばかりの中、店主は孤独な僕への気配りも欠かさず声をかけてくれる。
食事をしながら、ツイートの文言を考えていて、内心言葉選びに忙しかったのだけれど、こういう場に足を運んでおきながら独りスマホは御法度である。(と、後になって気が付くあたりが未熟者です。)
素面だと気を遣いすぎるというか、顔色を伺いすぎる性格が禍いして、常連さんたちに圧倒されたままに席を立つことになるのだけれど、次こそは感じ良く振る舞いたい、それこそ”無力感を感じることなく”振る舞いたい。
いつか叶えたいという願望を心にしまったまま、酔い足りない下北沢を後にする。
HAL=tonny
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