エッセイ 父と息子と 父親編

自分の中で息子との距離感を考える時、いつもまず父親のことを考える。

父は友達の多い人だった。

週末になると、結構な確率で仲間を呼んで、家で徹夜麻雀をしていた。広い家に移り住んでからはほぼ毎週。でも、父が麻雀を始めるとテレビを自由に観ることができるので、姉と私は嫌ではなかった。
ただ、翌日リビングがタバコ臭いのと、父が起きてこないので家族で出掛けることが無いのが、少し残念だった。

父は旅行好きだった。

お金を貯めては、年に一度友人と海外旅行に出掛けていた。滞在期間は一週間、その間は、やっぱり父がいないので自分たちでテレビを自由に使えるし、必ずお土産を買ってきてくれるので楽しみだった。

父はペットが好きだった。

常に犬や猫を飼っていた。父の膝の上は常にペットの居場所になっていた。
ある日、父がペットショップで子犬を見かけ、どうしても飼いたいと言ったが、既に猫を飼っているからと母が珍しく抵抗した。
それから暫くは、父に近づくと何で爆発するか分からないので、近寄らないようにした。
それでも何発かは理不尽なヤツを食らった。
父は、よく私を殴る人でもあった。

父は商売が上手い人ではなかった。

宝石販売の会社を40半ばで独立し、自分で海外での小売を始めた。当時はまだ珍しさも手伝い、かなりの儲けを出していたが、そのうち手を広げ過ぎて経営が傾き、海外にいる父と突然連絡が取れなくなった。日本に残っている我々家族は、売れるものを売り払い、何とか借金を返済した。

父は責任を取れない人だった。

しばらくして、父が帰国したことを知った。
父方、母方の親戚が集まり、話し合いが持たれたが、当時中学生の私は二階にいろと言われた。リビングから聞こえる怒号や泣き声に震えながら、それでも自分の力では何も出来ないことを思い知らされた。
後で聞くと、父は一度も謝らなかったらしい。
まあ、そう言う父親だからな、と何故か思えた。
それから、父は仕事を廃業し、親戚の元で暮らすことになり、我々も借金で家を取られるので別の借家に引っ越すことになった。

父は懲りない人だった。

親戚が来て話し合った時、父が私と二人で話がしたいと言い、二階に上がってきた。
父が何を言うのか、私には計りかねた。

父は徐に言った。
家族は一緒に暮らしてこそ家族じゃないか。もう一度、家族四人でやり直すべきじゃないか?

父は、おそらく生真面目な私なら、理想を述べれば乗ってくると踏んだのだろうか。私は相変わらず、父の思惑を計りかねていた。

そりゃそうだよ。だけど、お父さんはその前に、母さんに謝らなきゃいけないじゃないか。

私は、泣くわけでも喚くわけでもなく、きわめて冷静に、今思えば少し諭すように父にこう答えた。父は、何も言わなかった。

そのまま、父とは数年間会わなかった。

私は、この最後の話し合いの前日の夜、母と姉と三人でどうしたいか話し合っていた。
正義感の強い姉は、絶対離婚だと言い、母ももう再構築は無理だと言った。
私は、何故か目から涙が溢れながら、母と姉に言った。

お父さんと、もう一度一緒に住めないかな。

その時に、何でこんな事を言ったのか自分でも分からなかった。心の中では父は許し難い存在だったはずだった。
なのになぜ…。

その答えは、後半の息子編で書きたいと思います。
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