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内田樹「だからあれほど言ったのに」を読んで (前編)

フェイスブックの広告で見かけたこの本がふと目に止まった。
「不自由な国への警告の書」というキャッチコピーの不自由な国という部分が引っかかったのだ。
内田樹さん、名前を聞いたことがあるけど著作を読むのは初めてだった。どこかのコラムかネット記事で読んだことがあるかもしれない。

広告をクリックして本書の説明文を読んで、「これは今まで自分が中途半端にこのnoteに書いていたことを、プロのジャーナリストがフォクトを持って書いている」とわかった。

早速Amazonで購入し、翌日配達された本書を一気に読んだ。

まさに、自分が思っていたこと、ファクトもない私の代弁者が現れたな・・と思った。
すべてのことに「うんうん、そうそう」と頷く。

本書の第一章に「だめな組織の共通項」という文章があり、管理するということと創造するということはお互いに相反すると書かれている。
簡単に言うとクリエイターを管理しようとしても、(クリエイターは感覚/直感で仕事するものなので)なかなか難しく、うまく行かない場合は中間管理職の能力が問われ、ますます管理体制が強くなるものである=だめな組織

これは、本当にその通りで、私も何度かnoteに書いてるけど、上司というものは冒険を恐れ、管理する立場の人間は創造する人間の直感を信じることはなく、特に経験のない決断は100%OKしない。

また、新規事業に中間管理職を担当させてはいけない。
その中間管理職は新規事業を作りたいわけではなく、責任が自分に回ってこないように悪賢くクリエイターの邪魔をするだけ。
「やってみなはれ」と言える取締役が担当するべきだと私は思う。

同じく第一章に、「貧乏と貧乏くさいはちがう」という文章がある。
貧乏は経済的貧乏(収入が少ない/地位が低い)であって、貧乏くさいは自分中心で排他的な考え方(自慢する/自分が優位に立ちたい)を持つことである。

これは私も「この人田舎っぺだ/田舎臭い人だ」と表現していたことと同じだ。
もちろん、田舎から出てきた人のことを指しているわけではなく、「人より上でありたい」「自分すごいだろう」と、いろいろなことを自慢したりする事があるけど、心が貧しいことに、本人は気が付かない。
貧乏くさい人なのだ。


第二章には、人口問題が扱われている。
本書では、韓国、日本では人口減少が激しく、その弊害は都市集中と地方の衰退であり、その主な原因は経済上昇を第一の目的とする政治と行政である・・とある。

noteでもこちらに書いたが、
私が生まれた1950年代の世界人口は30億人に満たなかった。
それが先日(22年11月15日)80億人を超えたというのですよ。
なんと、2倍以上の50億人も増えている。
https://www.hns.gr.jp/sacred_place/material/reference/22_02.pdf

私が育った頃は人口増が激しく、人口問題というと人口増の問題だった。
ところが急速に人口が減少し、今では人口減が問題になっている。
内田氏が言うように、人口問題はもっと早く対応できるはずなのに、見て見ぬふりをしてきたためということがわかる。

本書では政府は都市集中を進め、地方を切り捨てるということをすでに確定しており、政府もメディアもその事に触れないようにしていると切って捨てている。
これは私も知らなかったが、納得できる話である。
地方を活性化させるにはコストが掛かりすぎ、リソースもない。
したがって都市集中を進め、金もリソースも都市だけにするわけだ。

地方が衰退していくのも、人口が減っていくのも、大家族が核家族になっていくのも、すべて、経済発展を第一優先に考えたためにほかならない。

かわぐちかいじ氏の漫画だったと思うが、日本の政治に愛想がつき、アメリカの属国をやめ、人の幸せとは何かを問う名作があった。

大家族を復活させ、老人には孫の面倒を見させ、子供が老人の世話をする、昭和には当たり前の生活を取り戻すことが人の本当の幸せにつながるというもの。

長い間、沈黙の艦隊だと思いこんでいたが、違っているらしい。


身近な経験だが、老人の世話ができなくなり施設に入れて任せてしまうというのは、現代らしさではあるが悲しい。
大家族で複数の人間が老人と幼児を見てあげられれば皆が幸せになるはずだ。

後編へつづく


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