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トホホな死語

KAWADE夢文庫「その言葉、もう使われていませんよ」を読んでいる。いわゆる雑学系文庫として面白くどんどん読み進められるだけでなく、知らなかったことも多いので参考になる。

本書によると「国民体育大会」(国体)は2023年から「国民スポーツ大会」になり、略称も「国スポ」になるという。「この名称、果たして定着するのでしょうか?」と書いているが、まったく同じ懸念を感じる。

別項目では「日本体育協会」が2018年に「日本スポーツ協会」となったことも紹介して、「『体育』という教育的意味合いの強い言葉が、時代に合わなくなってきたことが背景にありました」としている。

そういえば「体育の日」も「スポーツの日」になった。なんだか国をあげて「体育」という単語を抹殺しようとしているようにも見える。日本体育大学の関係者はどう思っているのかな?

個人的には確かに「体育」というワードにいい思い出はない。「体育教師」はおしなべて乱暴っぽさがあってビビらされてきたし、「体育会系」という言葉は「汗臭く」「上下関係が異様に厳しい」というイメージだ。

上から押し付けられた言葉が浸透されずにあえなく死亡した例として印象が強いのは「E電」というやつだ。

Wikipediaによれば、国鉄民営化にあわせて「国電」の代替語としてJR東日本が提唱したが普及に失敗、すでに3年後の90年の日経の紙面で「もはや死語」と書かれていたという。アルファベットと漢字の乱暴な結合といい、いかにも「愛称として可愛いでしょ」というオヤジ的すり寄り感といい、確かに不愉快なイメージしかなかった。

言葉は生きているのだから時代につれて変遷するのは仕方がない。これからも上から押し付けようとする言葉は、成功したり失敗したり、ドラマを起こしてくれるのだろう。

とにかく「国スポ」には、「E電」と同じ運命の予感がする。
(21/11/16)


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