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信じるかどうかが大切だ~善光寺の御開帳

善光寺の御開帳が始まった。新型コロナウイルスの影響で「記録にある限り初めて」1年延期されてのスタートだという。


ひとくちに佛道といっても、日本だけでもさまざまな宗派がある。善光寺はホームページで「当寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られます」としている。私は真言宗なので、それ以外の宗派の教えをリスペクトはするが、「帰依する」ことはない。

あえて失礼を承知で書く。

一般的に「御開帳」とは、秘仏の扉を開いて直接拝むことができる行事のこと。善光寺の御開帳で扉が開かれるのは、絶対秘仏のご本尊ではなく、その代わりになっている「前立本尊(まえだちほんぞん)」だ。

そもそも直接拝むことができないご本尊の「代わりとして拝むためにいらっしゃる」のが前立本尊だろう。その前立本尊ですら、「数えで七年に一度しか扉が開かない」とは、どれだけ勿体つけているのか。前立腺肥大症に悩む当方としては、すぐに「まえだち」と訓読みすることも難しいぞ。

それでは、ご本尊の御開帳なら「ありがたく」、お前立ならば「それほどでもない」のだろうか。そもそもキリスト教徒やイスラム教徒にしてみたら「どっちも同じように、どうでもいい」ことになるではないか。

聖なるものがその聖性を帯びるかどうかは、帰依する者が対象をありがたいと思うかどうか、それだけだ。イワシの頭も信心から。お前立を尊崇してきた歴史と先達はしっかり存在する。傍からどうのこうのと言うことではないのである。
(22/4/3)


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