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その鏡に映るのは―『ヴィドック』

ヴィドック VIDOCQ 2001年 フランス

『ヴィドック』は、この作品の主役であるピカレスクヒーローの名だ。
悪政が続き街は混沌とし、民衆は苦しめられるばかりだった19世紀のフランス。黒いマントを翻しながらどこからともなく現れ出でたヴィドックは、権力の名のもとに行われる暴虐を錬金術により殲滅してゆく。毎夜のように行われるヴィドックの粛清に人々は恐怖したが、横暴な権力者のみを残虐なやり方で葬る事に、一方では快哉を叫ぶのも事実であった。警察はヴィドックを逮捕しようと躍起だが、彼らにもたらされる目撃情報はただひとつ。
『鏡のような仮面を着けた怪人が、パリの夜を血に染めたのだ』

とまあ、以上のあらすじは全部嘘なわけだが。
と言うか、DVDを見るまで私は、ヴィドックはそんな話だと勝手に信じて疑わなかった。CDをジャケ買いしてしまうように、この『ヴィドック』はさしずめジャケ借り(TSUTAYA)。だって荒木飛呂彦氏が推薦文書いているのをどうして見過ごすことが出来ようか。
そうしてあらすじも読まずに借りたため、ヴィドックが探偵(元犯罪者の!)であることも、仮面の怪人とは別人であることも知らなかった。
それで、先ほどの嘘予告編が脳内先行上映されたわけである。

だから、ヴィドックが本当は誰なのかを知った時は結構ショックを受けもした。この風呂入ってなさそうな濃い顔の暑苦しいおっさんがヴィドックだなんてそんなバカな!
名優ジェラール・ドパルデューを暑苦しいおっさん呼ばわりとは、バカは私の方なのだが、何かこう、クールな切れ者であって欲しいんだ探偵というやつには。ホームズともまた違う、見かけで言ったら例えば詩人のイェイツみたいな、彼はまあアイルランド人だけども、とにかくそんな感じでひとつ、頼むよ君ィ(誰)。

と、探偵に対しての偏った理想があったため、キャスティングにビックリするやらガックリ来るやら。
でも主役だしタイトルロールだし、見続けていればきっとカッコ良く見えてくるに違いない。そう期待してはみたものの、ファーストインプレッションもあってどうしても仮面の方に肩入れしたい気分。
しかも開始早々、ガラス工房で業火の燃え盛る釜に落ち、いきなりヴィドック死す(あらすじにも書いてある)。
何だそりゃー! と思う間もなく、ヴィドックの死を告げる号外が街に飛び交い、その謎解きのために彼の死と真実を追いかける役目は、専らボワッセという若い作家に託される。
ヴィドックは、ニミエという相棒と共に探偵社を開設しており、ニミエもまたヴィドックの死の謎を解く為に奔走している筈なのだが、全く見せ場なし。そういや相棒はどうしているのかなあと観ている間に何度も思った。そしてこのニミエも年中酔っ払ってんじゃないかと疑わしい感じの、これまた濃い中年。フランス映画らしいといえばらしいが、画面の温度と湿度がちょっと高い。つまりやっぱり暑苦しい。

とはいえこの映画で出色となるのは、やはり映像美。
凝りに凝ったセットやマットアート、猥雑で不潔な、それでいて美しく見えてしまう街の映像、そして色だろう。
パリの街は常に不吉な空模様の下か夜の中にあり、7月革命直前という時代を暗示しているようでもある。生活のためのインフラもろくに整備されていない場所で、人々は貧しく暴力は日常、いつ大きな火の手が上がるか分からない。そこで生きるということが、肌身に迫るように感じられる。

登場人物たちの関係もキナ臭く、全員が腹に一物潜ませているような印象。誰が何を考え何の目的で動いているのか、どういう役割を果たすのかという事が肝になってくるので、ヴィドックを殺した犯人やその正体については割と早い段階でどうでもよくなる。
と言うかだな、探偵小説ならあの犯人は反則中の反則じゃないのか。

話としては大して珍しいつくりでもなく、ラストまでほぼ予想通りの展開を見せて終わるこの作品だが、決してつまらなかった訳ではない。惜しむらくは、ヴィドックの設定が生かしきれていなかった事か。主人公にヴィドックという実在した人物を使うのなら、彼でなくてはならない理由やエピソードが欲しかったところだ。
ヴィドックの知名度など無いに等しい日本での公開にあたり、映像と時代背景に随分救われたのではと思うが、だったらいっそケン・ラッセルあたりが撮れば良かったのではないだろうか。お前の趣味だろと言われたらそれまでだが、ケン・ラッセル版『ヴィドック』だったら、ストーリーが全く同じだとしても、物凄いものを見せてもらえるんじゃないかという気がしてならない。興行的にはまあ、どうか知らんけど。

―――

■ヴィドック,フランソワ-ウージェーヌ(Francois-Eugene-Vidocq)
1775年(安永4)、フランスのパ・ド・カレ県アラス生まれ。
犯罪者であり、警察官、私立探偵。
紙幣偽造の罪で懲役8年の刑を宣告されるが、脱獄と投獄を繰り返す。
1809年(文化6)に密偵となり、1812年(文化9)には犯罪社会の知識を買われ、刑事となった。
1817年(文化14)、保安部特捜斑の主任捜査官に就任。
1822年(文政5)、バルザックと交友を結ぶ。
1827年(文政10)に辞任し、1829年(文政12)には『回想録』を出版。
1933年(天保4)、パリで世界最初の私立探偵事務所を開設。
ポーが創造したデュパンや、ガボリオ、ディケンズ、コリンズに影響を与え、”探偵小説の父”ともいわれる。
1857年(安政4)、死去。
   (『探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち』より)


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