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僕の好きな詩について。第四十二回 鈴木ユリイカ

お久しぶりのこのコーナー。第42回目はH氏賞詩人で翻訳家の鈴木ユリイカさんです。

今回ご紹介する作品は現在の僕の理想とする詩で、このような詩が書けたら良いな、と思いながら日々勉強しております。

では、どうぞ。
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「海のヴァイオリンがきこえる」
鈴木ユリイカ

海のヴァイオリンがきこえる
遠く遠くの方から水晶の肩をふるわせ
浜辺に鏡のような潮が満ちてくる
月光の足をつかまえようと魚たちが踊りきらめく
海底に匂うような白い花たちがゆれ
古いなつかしい童話(メルヘン)がひっそりと目をさます
海のヴァイオリンがきこえる
ゆるやかに川の水流と海の満潮の間ですすり泣く
春の若い風をひき連れて
牧場の馬たちを走らせ
田んぼのまだら雪を溶かし 木々をゆすり
線路を真直ぐ走り わたしの窓辺の
夜の都会いっぱいにひろがる
風景はやわらかい顔のようだ
わたしの耳は白い帆のようだ
海のヴァイオリンがきこえる
遠く遠くの方でのびやかにクラリネットか立ちあがり灯台の光がぼおとかすむ
死者たちの乗せた船が静かにすべり
遠く遠くの方でみんなみんなちいさく手をふり合図する
海のヴァイオリンがきこえる
夜明けのバラ色の楽譜が開かれ
すきとおった波の半音階が踊る
かもめたちが朝の食事にまいおりる
海のヴァイオリンがきこえる
花の木の下をすきとおった死者たちがすれちがい陽光のゆらめきのなかでゆるやかに抱きあう
今年は桜の黒い幹がしとど濡れた
まだ死者たちの生活に慣れていない
子どもの死者たちが小さな手で花の木にすがりついたからだ
桜のはなびらも白いモクレンのはなびらも黄色いミモザのはなびらもみんな散った みえない子どもたちにふりそそいだ

海のヴァイオリンがきこえる
お父ちゃん あなたも海の青い部屋でヴァイオリンを弾いているのですか?
アルコール・ランプの青い炎で珈琲を沸かしているのですか?
海はうつくしいですか?
生きているときに郵便切手や草花を大きなルーペで一心にながめたように
海草や貝や魚たちや珊瑚を観察しているのですか?
それとも写真を現像したり海底牧場や海底都市の設計図を引いているのですか?
海を散歩する自転車やスクリューを研究したり新しい生物や新しい鉱物を発見しましたか?
海のヴァイオリンがきこえる
わたしはあなたが正しい姿勢で優美にヴァイオリンを顎にはさんで立つのをみるのが好きだった
あめ色の石で弦の手入れをするのをみるのが好きだった
生きているときにあなたは憂鬱な天使にとりつかれていたのであなたがあんなにたくさんの仕事をしたなんてわたしは知らなかった
あなたの造ったダムや橋や無人灯台はどこにあるのですか?
あの憂鬱な大きな女の天使はいまでもあなたにとりついているのですか?
アルベルト・デューラーの「メランコリア・I」という銅板画(エッチング)をみたとき
わたしはあっと驚いてしまった
あの銅板画のなかにあったコンパスや魔方陣、砂時計や秤、鋸、のみ、金槌、釘、ふいご
それから暗い海の向うで
にたにた笑っている蝙蝠
あれはあなたの部屋そっくりだったから
あなたが生きているとき
わたしたちにはあの憂鬱な天使はみえなかったのです
わたしにあんなにはっきりみえたのは
あのコンパスなのです
あのコンパスであなたは何もかも測った
わたしが学校からもらってきた進駐軍のチョコレートケーキでさえ四つに測って切り分けた
あなたがダイダロスように何もかも造ったので
わたしはイカルスのように毎日落ちなければならなかった
海のヴァイオリンがきこえる
物たちに対してあんなにデリケートだったあたは
ことばに対してなぜあんなに無神経だったのでしょう
食事のときあなたの罵詈雑言にうちのめされてわたしたちは魔法にかかった森の妖精のように身動きできなかった
きっと長い長い軍隊生活があなたの神経をズタズタに引き裂いたのでしょうね
わたしが死ぬまで戦争を憎むのはたくさんのひとが死ぬだけでなく残った者の神経もズタズタにするからです
ときには 人間はことばによって
死ぬこともあるのですよ
いまは小学校や中学校の子どもたちがことばによって死ぬこともあるのです

海のヴァイオリンがきこえる
お父ちゃん わたしはあなたを愛したのですよ
でも あなたは女の子というものが全くわからなかった
女の子というものは体のなかにちいさな花や星や貝がらや何かをたくさん持っていて
いつもやさしくゆすっているのです
体のなかに深いよろこびや痛みやかなしみを持っていて ずっとたってから少しずつ
子どもたちに分けてあげるのですよ
それは何かとてもデリケートなもので
ある神経に触れるとズタズタに引き裂かれてしまうようなものなのですよ
もちろん それはあなたのような男のひとのデリケートさと全く違うものですけれど

海のヴァイオリンがきこえる
あなたはきらっていたけれど
わたしは詩人になりそうです
わたしのたったひとつの仕事に力を貸してください
いつかわたしはことばで無人灯台を造りたいのです
ことばのテトラポッドを埋め
そうして どこか知らない海にかすかなオレンジ色の光を昼も夜も放っている無人灯台を

海のヴァイオリンがきこえる
それでも あなたのヴァイオリンはやさしかった もう だまってあなたの音楽をきこう

……

みんな元気です
お母ちゃんは糖尿病と白内障から回復しました
まだまだずっとお母ちゃんを呼ばないでください
海のヴァイオリンがきこえる
風景はやわらかい顔のようだ
わたしの耳は白い帆のようだ
遠く遠くの方でのびやかに灯台の光がぼおとかすむ
死者たちを乗せた船がゆっくりと遠のき
みんなみんなちいさく手をふり別れを告げる
このふりそそぐものはなになのか? 死者たちにも生きているものにもふるはなびらなのか? 目にみえない音楽の雪なのか?
チェス盤に降る雪は降りつもり降りやまじ

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泣けます。ポエジーと情感と音楽が美しく詰まった写真を綴じるアルバムのようです。

鈴木ユリイカさんは、この「僕の好きな詩」シリーズ第41回の吉原幸子さんと第34回の新川和恵さん合同で創刊したラ・メールの第一回新人賞受賞者で、「海のヴァイオリンがきこえる」が収録されている同名の詩集は詩歌文学館賞を受賞しています。この詩集は集録されたそれぞれの詩の終わり方に統一感がもたらされ、こんなやり方があるんだ、と驚いたものです。

ユリイカさんはこの作品の後、もう一作詩集を上梓されましたが、その後は絵本の執筆や翻訳業に専ら精を出されているようです。

僕が「海のヴァイオリンがきこえる」の詩の中で一番好きなことばが「お父ちゃん」です。戦前生まれの、封建的で、(時代のせいもあって)がさつで、ナイーブで、詩人がきらいな、ヴァイオリンを美しく奏でる(恐らく)設計士だったお父ちゃん。この「お父ちゃん」が「お父さん」でも「パパ」でも「父」でもダメでした。ヴァイオリンや戦争や恐らく海で亡くなった事実や、それらにふりつもるもの、そして生きているお母ちゃんへの思いを表すには「お父ちゃん」でなければならないのです。この一語に愛の一切がこもっているように、僕には感じられます。そして素晴らしい詩にはいつも、このような「ギリギリのことば」が置かれているものだと僕は思います。

#詩 #現代詩 #鈴木ユリイカ #海のヴァイオリンがきこえる #ラメール

いつか詩集を出したいと思っています。その資金に充てさせていただきますので、よろしければサポートをお願いいたします。