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虹の小瓶に歌を乗せ

目次

 海辺では光が踊っている。
 少年の開いた視界の端で虹の色が瞬き、それは小さな不思議――さながら水路を泳ぐ、透明に美しく光さざめく水晶の魚のような――の気配を連れてきた。
 黄金の髪の少年は潮風にその髪を遊ばせながら、砂浜に下ろしていた腰を上げ目の中で瞬いた小さな光の元まで歩き、その光の正体を手に取った。手のひらほどの透明な瓶が、少年の手の中で傾きはじめた陽の光を浴び様々な色に輝いている。
 少年は手の中で小瓶を転がしながら再び腰を砂浜に下ろし、胡坐をかきながら瓶のコルク栓を抜いた。その中から出てきたのは丸められた一枚の紙と、親指の爪ほどの小さな石。少年は首を傾げながら、よく見てみようと小さな石を瞳の前まで掲げた。すると、砂の流れる音と共に金の光が石の中に閃き、少年は口元に緩く笑みを湛えて後ろを振り返った。
「――ノイさん」
 そう声を掛ければ、いつの間にか少年の後ろに立っていた少女は何かを閃いたかのように笑う。光に照らされるその金の髪が、少年にはまるで金糸雀の羽のようにも見えた。
「また何か見付けたんだ、ニケ?」
「ふふ、よくお分かりで」
 ニケと呼ばれた少年は片手で透明な瓶を小さく揺らして目を細めた。それをみとめた少女は瞳にぱっと光を浮かべて少年の隣へ腰を下ろす。瓶もまた暖かな陽光に照らされて何色かに輝いていた。
「それは?」
「メッセージボトル――ですね。中に、これが」
 少年は先ほどに眺めていた小さな石を少女の手のひらに置いた。置いてから、その石がつるつるとしているがただの白い石で、宝石やそういった高価な石の類ではないことに少年は気が付く。それでも、光を浴びて白く輝くその姿は綺麗だと少年は思った。たとえそれが、道端に転がるただの石ころの一つに過ぎないものだとしても。少女の手のひらで水晶の魚が笑った気がした。
「綺麗――綺麗な石だね」
「たぶん……これを流した人もそう思ったのでありましょうね。きっと誰かに届けたかったのですよ」
「うん、それでちゃあんとニケの手に届いたってわけだ!」
「はい、そして今はノイさんの手に」
 少女が笑い、少年もつられて笑う。ふと、少年は穏やかな波の音が日暮れの時を告げているのを感じとり、水平線の方へと目線をやった。赤く燃えはじめた太陽の強い光が眩しくてそこから少し顔を背けると、少女がもつ金糸雀の羽が少年の瞳に映る。金の髪が赤い陽に照らされては、その所々が虹の光に煌めいていた。少年は心の中だけで微かに笑う。綺麗なものを見付けるのが得意な人間、そういう風に人から言われたことがあった。ああ、確かにそうなのかもしれない。髪に虹が、と少年が少女に声を掛けようとするより早く少女はこちらを振り返り、少年の手にしている小さな紙切れに目を向けた。
「ね、それは? 何か書いてあった?」
「ああ――そういえば、まだ見ていなかったであります」
 言いながら小さな紙切れを開いてみると、そこには此処ではない土地の言葉で詩が綴ってあった。少年はその、意味を知らない言葉の一つひとつをどこか拙い発音でゆっくりと読み上げる。そうしてすべてを読み上げても、やはりその詩の意味は分からない。しかしその言葉の音たちに、少年は一つ閃くものがあった。この詩を、何処かで確かに聴いたことがあるような気がするのだ。記憶を手繰るように少年は瞼を閉じ、いちばん最初の言葉に節をつけて発音してみた。そうしてみれば、千切れた手紙の切れ端と切れ端がくっついていくような感覚が少年の中にわき起こる。ああ、そうだ、そうだった。これは歌だ、歌なのだ。いつだったか旅の途中で訪れた街、そこで一人の歌い手が歌っていた歌――。
「ノイさん」
「ん?」
「――虹、見えましたか」
 少年ははにかむように目を細めると、やさしく打ち寄せる波とその中へと下りていく太陽に向けて、この小さな歌を歌った。紙切れ一枚、手のひらの中に収まる短く簡単な歌。歌いながら少年は、この歌は何の歌なのだろうと思った。恋の歌か、愛の歌か。夢の歌か、光の歌か。空か、海か、風か、野か。友へと伝える歌なのか、家族へか、それとも恋人へとか。そのどれでもないかもしれない。また、そのすべてなのかもしれなかった。
 少年は寄せては返す波のように繰り返し歌う。そして、歌いながら、自分が以前よりも高い声を出せなくなっていることにも気が付いた。潮が満ちては引くように、陽が昇っては沈むように、そのようにして時は進んでいくのだろう。自分の上にも、隣のこの人の上にも、等しく朝が訪れるように。
 今はただ歌に身を任せるだけの少年の睫毛も、また、少女の髪と同じように虹の光に煌めいている。少女の手のひらで白い石が輝き、水晶の魚は波にたゆたう光として海へと帰っていった。それでも、今は歌を。ただ、歌を。虹が夜に溶けていく、その最後の瞬間まで。


20160603
シリーズ:『仔犬日記』〈ドッグ・イヤー〉
※ノイちゃん(@hiroooose)をお借りしました!

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