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したたる秘密にまほうをかけて

目次

 頭上に広がる空がゆったりと赤みを帯び、誰もが穏やかな夕暮れだと感じる頃、わたしはいつもより強めに、きみの家のドアを叩いた。
「こんにちは! 起きていますか、それともお昼寝中? 起きていても、起きていなくても、今日だけは外に出てきてくれないと困っちゃうよ!」
 そうドアの向こうにいるであろう人に声をかければ、しばらくした後小さな音を立ててドアが開く。髪の毛が少し跳ねているところを見るに、おそらくわたしがドアを叩くまで眠っていたのだろう。本をアイマスク代わりにしてないといいのだけれど。
「……どうしたの」
「たまには冒険、したくない?」

 怪訝な瞳を後ろに引き連れてわたしは電車に乗る。そして電車を降りると、道端の石ころを蹴っ飛ばしながらあの丘へと続く道を歩いた。
 今日のわたしのポシェットには方位磁石、懐中時計、はちみつ色をしたお気に入りの水筒――そして、宝の地図と少しばかり錆びた紐付き鍵が入っている。どれも今日の冒険に必要なものばかりだ。その中から、わたしは何日かかけて描いた、お世辞にも上手いとは思えない宝の地図を取り出して目の前に広げた。
「まずは、ここ。あんまり人が通らなくて古ぼけてる街道に〝夏の終わり〟を置いておいたから、それを取りに行きます」
「何、それ」
「まあまあ、見れば分かるよ。きっと!」
 それからくだらない話をきみにいくつも浴びせかけ、ざりざりと靴の裏を鳴らしながら街道を歩いて行くと、色のすっかり抜け落ちたレンガの上に夕日を受けて眩しく光るものを視界に捉える。眠たげな隣人もそれに気がついたようで、視線をその光るものに向けた後、ゆっくりとこちらに顔を向けて言った。
「――〝夏の終わり〟?」
「別名は〝サイダーの瓶〟ってところかなあ。ちょっと古く見えるでしょ? そう、古いの! そういえば、サイダー好きだよね? あ、もちろん……中身は空なんだけどね。じゃあ、これを持って先に進もう!」
「これ、持ってくの」
「それは今日の冒険に必要な……いわばキーアイテム! それがないとね、次、見付けることになる――〝ポケットの星〟――が輝かないんだ」
 もう一度ポシェットから宝の地図を取り出して、地面に広げた。普通ならきっと、こんなの馬鹿のすることだ、なんて言われて笑われるようなこの冒険も、なんだかんだできみは付いて来てくれる。やっぱりきみは優しいのだと、不恰好な地図を眺めながら思った。
「次の〝ポケットの星〟はこの先の小さな森に隠してきたの。もう空が紫色になってきたけど、大丈夫。方位磁石も持ってきたし、あれは浅い森だから。それに……小川も流れているから、もし迷ったら川の流れる方に歩いて行けば外に出られるよ」
「ねえ、何処まで行くの」
「それを答えるのことは、本を最初の一ページだけ読んで……ラストが気になるからって一番最後のページに飛んでしまうことと同じ……って、昔よく父さんが言ってたの! でも、もうちょっと、あと少し」
 きみの片手にある瓶は、服の裾を撫でる秋の空気を吸い込んでほんとうに夏の終わりを感じさせた。それがどこか少しばかり寂しかったものだから、無意識にポシェットに手を入れて、錆びた紐付き鍵に指先だけで触れ、そしてそれをやっぱり無意識に取り出して首から下げた。

 森に入ると、夜の匂いを葉に染み込ませた木々がさわさわと音を立てながら私たちを迎え入れた。近くから水の流れる音が聞こえる。〝ポケットの星〟の在りかまで、もうすぐだ。
「何か……光ってる。あそこ」
「よく見るとほら、あれはホタル。ここには、昔からたくさんホタルが集まるの」
「へえ、詳しいね」
「へへへ、うん、ちょっとね。〝ポケットの星〟はあれだよ。ホタルが集まっている中心に、ブリキのじょうろがあるでしょ? あの中に、星がつまってるの」
 ホタルたちの放つ光に心音を速めながら、ブリキのじょうろに手を伸ばす。ふと、顔を上げれば、きみのカラメル色の瞳がホタルの光を受けてきらきらと輝いていた。それが何だかひどく嬉しいことのように思えて、けれどもやっぱり眩しくて、わたしは思わず目を細めた。
「小川の水を少し拝借しよう。そうした方がきっと、これが綺麗に見えるから!」
「……ビー玉?」
「そう! これが〝ポケットの星〟の正体だよ。このじょうろにつめておいたの。星を好きな友だちがね……零していたの。ビー玉は、ポケットに突っ込んだままで忘れてる、ひとのいちばん近くで輝く星だ、って。本人は忘れろって言ってたけど……ちょっと、素敵でしょ?」
「……うん。そうだね」
 瓶の中に小川の水と、ビー玉をひとつずつ落としていく。それらは月とホタルの光を抱いて、ほんとうの星みたいに輝いた。
「宇宙みたい、なんて思うのは変かなあ」
「いや。――ほんとうに、そうかもしれない」
 小川の水とビー玉を詰め込んだ、さながら星の川のような瓶をきみに手渡し、わたしはブリキのじょうろを抱え、やっぱりまた、いつものくだらない話をひとつかふたつ鼻歌に乗せながら森を抜けた。

 それからいくつかの街道を通り過ぎ、だんだんと道が消えて土ばかりが顔を見せるようになってきた頃、微かな花の香りが目に染みた。花の香りはこの先にある小さな丘から漂ってきているのだ。この間来たばかりなのにも関わらず、随分と懐かしく感じるこの香りを追った先に、この冒険の終わりがある。
 そのことを知っているのはもちろん、今のところわたしだけだ。
「此処は?」
「目的地!」
「……勝手に入っていいの」
「やだなあ。冒険、するんだよ!」
 赤く錆びた小さな門。後ろから聞こえる溜め息を聞こえないふりをして、わたしはそれをゆっくりと開ける。そうっと耳を澄ませば、夜明けの音が聞こえた気がした。
「此処が?」
「そう、目的地。ただの……花畑。ただの、丘。他の人にとっては、たぶん。私がもっと小さかった頃、父さんとよくここに来たの。そう、今日した冒険みたいにしてね!……朝日が顔を出したら、この冒険はおしまい。今は、小説でいう最終章ってところ!……実は、近道があったんだ。ほんとはここに来るまで一時間もかからないの。帰りはそっちを通ろう」
「花、萎んでる」
「だいじょうぶ。陽が昇ればいいものが見れるよ。ちょっと、こっちへ来て」
 そうきみを手招きして草むらから取り出したのは、少し大きめのお菓子の缶。この缶はお店に並んでいたころ、それは立派なお菓子の缶だった。わたしが駄々をこねて父さんに買ってもらったと、母さんから聞いた。缶の中のお菓子を食べ終わった後、父さんは、この缶にちょっとした改造をした。鍵を付けたのだ。わたしとの冒険の戦利品をここに入れておくために。そして、こっそりとこの場所に隠しておくために。
「鍵はここにあるんだ。開けてみようと思って」
「そう。本とか、入ってそうだね」
「あ、開いた!――へへ、よく分かるね。いちばん好きな本の初版をしまっておいてあるの。後は、綺麗な色の石ころとか、何かの種とか、誰かが置き去りしたスケッチブックもね……いろいろ。今日の冒険に使った瓶とビー玉もここから出したの!……そう、この本、きみにあげようと思って」
「え――何で」
「だって、今日、誕生日でしょ? せっかく懐中時計持ってきたのに、壊れてたから時間は分からないけど。だから、お誕生日おめでとうございますってことで、ね! あ、これはひとりごとだけど……その本、アイマスク代わりにちょうどいいかも」
 そんな風に言っていれば、ふと、きみの手の中にあるビー玉の詰まった瓶がちかちかと光るのが見えた。そう思うのと同時に、急いで光のある方へ振り向く。朝が、やってきた! 花の香りが強まった空気を肺に溜めて、吐き出してわたしは叫んだ。
「見て! 花が咲く!」
「あ……」
「――朝になると咲く花なの。黄色い花。名前はちょっと、分からないんだけど。でも、この花たちが咲いて、きらきら輝いて、宝石みたいで……これを見るたびに生きるって嬉しいなって思うんだ。どうしても、見せたかった。迷子になって間に合わなかったなんてことがなくて、ほんとに良かった……」
「……うん。すごい」
 朝日を浴びてきらきらと輝きながら揺れる、黄色い花の海から一輪だけ花を摘み取った。それをきみの持つ瓶の中へ挿してわたしは、心臓から出たがった言葉だけを伝えた。
「――生まれてきてくれて、ありがとう」
 そう言ったわたしはまた、朝日が照らす花畑の方へ体を向けた。もし今、振り返ったならきみが笑っているといい。そう思った。


20140923
シリーズ:『仔犬日記』〈ドッグ・イヤー〉
※のぞくん(@tori_mitsu)をお借りしました!

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