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花咲く5月

いろいろなものが部屋から消えていく。

 コロナ自宅待機が長かった2019年、長期休暇にも旅行に行ったりせず、断捨離し、ほとんど納戸のようだった自室を片付けて書斎らしくしつらえました。ものをずいぶん減らしたのですが、前職の職場から捨てられずに持って帰った古い生地の見本(会社としては捨てるしかない資料)がずいぶん場所をとっています。

とはいえ、いくらなんでも重要なものがなくなりすぎる。

 ここ数ヶ月で無くしたもの。年末に着付け教室でもらった、きれいな和服の柄の写真や着用時期の注意書き付きのカレンダー。早めにいただいたので、新年に掛けるのを楽しみに、折れたり曲がることのないようにとどこかに平らにしまった覚えはあるのですが、どこだったのか思い出せず、それ以来見当たりません。とはいえ広い場所ではないのでいろいろ探したのですが、消えてしまったまま。

 新しい職場の給与振り込み用に開設した銀行の通帳。職場で振り込み口座をお知らせするので、しばらく通勤の際に使うバッグに入れて持ち歩き、やっと持ち帰りどこかにしまった。なぜか他の通帳と一緒にせずに。それ以来、見当たりません。

 さらに、口座開設2週間後くらいに送られてきたクレジットカード。これがあれば職場のビルにあるキャッシュディスペンサーで引き出せるので便利、と思っていたので書留で送られた封筒ごと大事にしまい、これも行方不明。「大事なものだから、すぐに自分の部屋に持っていくね!」と家人に言った記憶はあります。

 そんなわけで、私はまだ新しい職場でいただいた給料を引き出せていません。まあ、生活費は別の口座の預金から引き出しているので、実質問題はないのですが、さすがによろしくないので、カードは再発行してもらいました。通帳は、支店に出向かないと発行してもらえないのでまだ先のことになりそうです。

 こころここにあらず、というのでしょうか。忙しい、という漢字は心(りっしん偏)をなくす、と書くといいます。

 そんなに残業しているわけではないのです。前職のように平均21時まで残業というような働き方ではありませんが、心のキャパが埋まっているというか、やらなくてはいけないことが次から次へと頭に浮かび、緊張感が抜けません。新しい仕事に慣れるまではまだまだこんな調子だろうなあ、と思っています。

 オンラインで大学同級生の「女子会」を仕切ってくれている友人があります。30年ぶり?くらいにオンラインですが顔をあわせて大盛り上がりした第1回目の後も、3ヶ月に1回くらいでしょうか、まめな幹事さんが声をかけてくれて続いています。地方に住んでいる同級生とも話ができるし、往復の時間も不要。面白がってほぼ毎回参加しています。失業中は、みんなの仕事について聞かせてもらったりして助かりました。

 同級生の参加者はデザイン科の出身のひとがほとんど。私は学校では油絵を描いていたので、話しているうちに学生の頃の違和感を思い出しました。一般論ですが、デザイン科の人たちは作品全体のイメージを作ってから図面をひたすら描いていくイメージがあります。私は油絵だったので、ざっくりと全体を考えて、段々小さい部分を描いていき、時どき全体をみて、細部を潰してやり直したり、その行ったり来たりする感じが、私のやり方でした。どこで終了にするかはやってみないとわからない。

 前職の時にもカラーコピーのイメージをたくさん集めてマップを作るのが好きでした。並べてみて答えが出るまで、結果をイメージしないで始め、手を動かしながら考える、というのが。途中まで進めて、一晩置いておいて翌日また新鮮な目で眺める。そのために、なるべく早く手をつけておく。

 職種が変わっても仕事の考え方や進め方は自分の「 型 」がありますね。短時間で集中して一気に仕上げる、というのがあまり得意ではありません。洋服のサンプルを工場に依頼する時は必ず短時間集中の作業がありましたが、その場合も自分なりに徐々に準備を進められるような段取りにアレンジしていました。周りのひとを巻き込みながら。

 新しい仕事では、全体像がわからない(知らない、または理解できていない)まま進むこともあり、突発的な問題が起きたりすると、なかなか厳しいです。マインドフル瞑想をしながら、おっちーさんのvoicy(最近は「メンタルトレーナーポジティブおっちーの心を整える部屋」という番組名になっています)を聴きながら、お茶のお稽古に通いながら。なんとか乗りきっています。ゴールデンウィークも、途中まで動画制作の勉強をしていましたが、途中から、いいや、一度、休もう。と思い直し、これを書いています。

 仕事そのものは様々な新しい知識を得たり未知の世界を知ることが出来て面白い。周りの方たちが嫌がらず助けてくださるのもありがたいです。

 仕事をしている時にいただいた言葉で心に残ったものがあります。簡単に出来ることは、簡単な解決でしかない。本当に大切なことは、時間がかかる、というのです。

 今まで、結果、結果、と言われて働いていたので(多くの方がそうだと思いますが)すぐに結果が出るようなやり方しかしていませんでした。本当に時間がかかっても、失敗しても、やらなければいけないことはなにか?を考えなくてはいけない。または、考えても良い。失敗することもあるかもしれないけれど、失敗しないことに注力するより、遠い目標に向かって、ちょっとずつ、進めるといいなと。

  4月に、お茶のお稽古で床の間に掛けてあったお軸の言葉で「 百花為誰開 」というのがあります。百花(ひゃっか)誰(た)がために開(ひら)く、と読みます。今は木にも地にも花が多くて、色とりどりに咲き乱れていますね。花は、誰のために咲いているのでしょうか。

 禅語なのでいろいろ解釈がありますが、今の季節のたくさんの花は、きれいに咲いてやろうとか、こうすれば虫が来て受粉しやすい、とか考えているのではなく、ただ無心に自然のちからに沿って一生懸命生きている。ということかなあと考えています。

 今の職場に入職してから注力していた仕事がもう少しではじめの山を超えます。うまくいくと本当に嬉しい。遠い目標への、一歩となるかもしれません。

 もう少しのあいだ、いろいろ物をなくしたり、なかなかリアルな人付き合いが出来なかったり、サッカーの試合を観にいけなかったりするかもしれませんが、じわじわと前に進めるように、なんとか頑張っています。というご報告でした。

 




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