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50代就活 怒涛の四日連続面接で分かったこと

 以前書いた履歴書1000本ノックをやっていたのが10月の末。1000本ノックは大袈裟ですね。実際は最終的に37社に応募し、11月初めに3つの面接がありました。

 その前に様々な就職サイトに登録し、それぞれ履歴書や職務経歴書の仕様が違うのを根気よく入力し、一番件数が多いというサイトのエージェント登録もしました。そのエージェントからは、メールでこう言われました。

「恐れ入りますが現在ご紹介できる件はありません」

 これはこれですごいことですね。もとの業界に特化したエージェントに登録すればそれなりに紹介があったかもしれませんが、もとの世界に戻るのは気が進みません。こうなるともう、前に進むしかないです。

 で、コツコツと志望動機を書いてメール、あるいは郵送してみました。封書の表書きのバランスは初期に比べてかなり上手になったのではないかと。

 11月、怒涛の3社連続面接がありました(4日連続は、二次面接を含めてです)。9月に1件面談があって決まらなかったのですが、まったく違う業界の面接官に前職を辞めた経緯をとてもうまくまとめて話すことができていました。

 今回もその点は自信を持って大丈夫。あとは志望動機。この3件はまったく違う仕事内容なので、それぞれイメージトレーニングして臨みます。

 1件目の時、自己紹介などして、一瞬間が空きました。先方が「思ったより静かな方ですね。ご経歴を拝見して、もっと活発な方かと思ってました」と言われ、はっとしました。ぷちっとスイッチが入った瞬間でした。

 仕事がなくて、しょんぼりしたキャラクターになっちゃってた。前職でプレゼンする時の感覚、自分の意見をぐいぐい表明する気迫が以前の私にはあったじゃない! すっかり忘れてた!

 その後、採用面接をする側の友人の経験談で、採用するご縁のある人は入ってきた瞬間のオーラでわかる、と聞きました。大事な面接の時は、気分をあげて朗らかに、という励ましをいただきました。

 一度調子を取り戻すと、2件目、3件目も活発にやり取りできます(営業だったし、ショールームの説明員だったし)。

「こんなこともやってもらいますが、大丈夫ですか?」
「大丈夫です、前職もそういう職場でした」
「大丈夫です、始めにやり方を教われば、実際の作業は想像出来たので、問題ないと思います」

 面接をしていて、徐々に分かってきました。私が呼ばれた理由です。私の強みは、30年同じ会社に勤めていた、ということでした。ちょっとやそっとじゃ仕事を諦めない。いろんな仕事に、対応していける。年下の上司でも嫌じゃない。

 面接はいずれもクリア。それぞれ、まったく違う仕事をする会社でしたが、共通項がありました。

 まず、人数が少ない。人がすぐ辞める、経営が一度行き詰まっている、あまり知名度がないなど。そういう職場では、一人でいろんなことに対応できる。若い人もパートのおばさんとも仲良くできる。前向きになんでもやってみる。すぐ辞めると言わない私のような50代でも正社員で雇ってくれるのですね。期待してくれる人がいる、ということは本当に嬉しかった。

 しかも前職の給与の話をしたら、いずれもそこそこ同じくらいの金額を提示して貰えました。募集要項の給与条件が良くなくても、興味のある仕事だったら応募した方が良いのだな、と発見しました。

 もっとも、前の仕事場でもそんなに給与が高かった訳ではないので、大企業に勤めていた方から見たら、たいした額ではないと思います。しかし失業手当で息を詰めるように暮らしていたことを考えると(着付け教室などにお金がかかるので生活費はなるべく抑えていました)、雑誌を買ったり、新刊書を買ったりはできそうです。

 前向きになんでもやってみる。とはいえ、興味を持てる仕事のほうがやはり良い仕事ができますよね。3件の中で面談で仕事内容を聞いて、一番ワクワクする気持ちを感じた仕事先に決めました!

 正直、その業界を希望して同業の仕事をいくつも応募する、という正統派の応募ではなく、数打った中からやりたいと思える職場を選んだことになりました。面談で話を聞かせて貰った、トップの方のお話がとても心惹かれるものだったのが決め手です。

 その仕事場には、志望動機に「目の見えない子供たちに茶道や、着付けを教えることが夢です」と書きました。ちょっと筆が滑った感じです。でも、たくさんの応募書類を書いている中で自分の本音が出た、と思いました。

 視覚障害者の同行援護資格の研修に参加した時に、盲学校の生徒たちはあまり伝統教育を受ける機会に恵まれていない、と聞きました。その後、高校茶道の先生方の研修会に参加した際、学校茶道(がくちゃ、という略称が使われていました)の現状を聞いたり、今の小学校の道徳の授業には、茶道であらわす思いやりのかたち、というような教材が取り入れられていることも知りました。

 また、着物の仕事をしている友人は、子供たちに着物に馴染んでもらうために、小学校にボランティアで浴衣の着付けを教えに行っているとも。

 1年近く、何をやったらいいのかジタバタもがきましたが、そうやって得た経験の引き出しの中身を、全部取り出したような形になりました。新しい仕事場は、ボランティアやNPOのコーディネートをする事務所です。

 仕事としてはまったく初めての世界なので、通用するのか、ここからが本当の冒険の始まりです(試用期間もあることですし)。しかし、初めてのことにこの年でチャレンジさせて貰えるのはありがたいですね。

 着物や、お茶は当分趣味として続けます。人生100年時代、定年になってからそれらが仕事になるかもしれないし、人の繋がりが仕事に活きることになるかもしれない。着付けも茶道も、教えるにはまだまだ修行が必要ですしね。

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 唐突ですが先日、レゴを使った気づきのワークショップに参加してきました(興味のある方にはご紹介します)。手を動かしてまず形を作り、自分の無意識を言語化する、というものでいろいろ発見がありました。写真は私が「仕事をする」というイメージで作ったもの。なんかこう、ハードワーク過ぎますよね! こういった仕事観を今後はもう少し柔らかくしていきたいと願います。

 最後に。この就職活動期間に、本当にたくさんの方に時間をとっていただき、話を伺うことができました。一人で悩んでいたら、どうしても悪い方に考えてしまいがちなところを、たくさんの手を差し伸べていただきました。聞かせてもらったお話は私の財産です。

 そして、同じような状況にいる方もたくさんある、ということもわかりました。自分の仕事が好きで、やりがいがあって、ある意味天職だったところから引き剥がされたカサブタはなかなか治らなかった。

 できれば、同じようにもがいている50代就活中のひと同士で、ゆるく繋がる。話を聞いたり、情報を共有したり、さらに可能なら仕事を融通する(?)ような互助会的な活動ができないかなあ、と思います。具体的な案があるわけではないのですが‥‥‥。アイディアや、参加したい方がありましたら、お申し出ください。

 

 

 

 

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