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30年ぶりに履歴書を書いたら1週間で断られた話

 もう、タイトル通りなのですけれども。

 31年会社勤めして、入社前に履歴書を作成しているから厳密には32年ぶりくらいです。みなさん最近いつ履歴書書きましたか。私、再就職支援セミナーで履歴書の書き方から教えてもらい、学歴を小学校から書いたのを添削されてかなり恥ずかしかったです。同じような方もコロナ禍で沢山いらっしゃると思うので書いてみます。

 会社を辞めてから、しばらく好きなことをして暮らしていこうと思って茶道の研修に参加したり、あらためて着付け教室に行ったりしてました。着物歴は10年くらいでしょうか。お茶会などの際に着るのですがうまく着れたり着れなかったり。習うより慣れろ、で着ていましたが一度きちんと習おうと思いました。

 今から思えば、仕事と同じテンションで何かしないとおかしくなってしまう、という防衛本能のようなものがはたらいていたのかもしれません。ちょっとハードルの高い京都のお茶の研修会に参加したり。着付け教室に1日おきに着物を着て通ったり。その時こんなことを思い出していました。

 亡くなった母の癌が分かったとき、医者だった叔父が癌を受容するには5つの段階があると話してくれたことがあったのです。

 1、否認 そんなはずはない
 2、怒り なんだって私が
 3、取引 お酒をやめたら、なんとかならないか
 4、抑うつ もう生きている甲斐がない
 5、受容 がんのおかげで、残りの日々をどうすごしたいか、考えることができて感謝している

 そんなはずはない、なんだって私が。今までだって評価してもらっていたのに。

 それくらい突然に感じられる退職でした。「コロナによる業績不振による早期退職」というやつです。私の所属していたファッション業界は、得意先が倒産したり、早期退職者募集でテレビのニュースになったりしていたので、今から思えば突然ではないのですが。私は仕事では頼られている、と思い込んでいたのです。他の部署でなんとか、とも考えましたが(3の「取引」ですね)、正直なところやりがいがあるとは思えませんでした。

 離職4ヶ月目の今年5月ごろ、私が出来る仕事って、何にもないんじゃないの?? と、求人票をスクロールしながら無力感に苛まれました。

 4の「抑うつ」状態ですね。

 ウェブデザイン? やったことない。直近の部署はセールスプロモーションでしたが。

 ウェブマーケティングって何?? テキスタイルデザイナーの仕事は20年以上やりましたが、イラストレーターは使えない。フォトショップで柄を作ったりしていましたが、一般的なグラフィックソフトの使い方ではありませんでした。

 そんな時、お茶の団体の求人がありました。事務職で、お給料はマンションのローンを払っていくにはちょっと厳しい。でも、お茶のことを毎日考えながら暮らせるなら。うーん、とはいえかなり生活は厳しいくなりそう。悩みます。

 以前、所属していた会社の給料が全社一律大幅ダウンしたことがありました。会社の経営が行き詰まった時です。リーマンショックの頃、と言えば共感して下さる方も多いと思います。新刊書を買わず、図書館の本ばかり読んでいました。

 少し前に街中から郊外のマンションを買って引っ越していました。クロスバイクを持っていたので、休日は田舎道を自転車で走り回って十分楽しく過ごしていました。サッカー観戦も、元から月に1〜2回スタジアムに行く程度でしたが、Jリーグの入場料は高いので、社会人リーグの試合を自転車で観に行ったりしていました。

 つまり、収入は少なくてもなんとかやって行けるかな、好きな世界で仕事できることの方が大事かも、と考えたのです。

 早速、32年ぶりの履歴書を作成しました。再就職支援セミナーの担当者にも添削してもらいながら、職務履歴書だの、志望動機だのも唸りながら書きました。あまりに文章書くのが時間かかるので、書くことを習慣にするためにこのnoteを始めたのもその頃です。

 証明写真は、茶道研修に参加した際に必要となり、着物姿で撮った写真があったのでそれを使いました。研修用は急ぎだったので、写真家の夫が家で照明を組んで撮影してくれたものです。気合、入れたつもりです。まずは、面接に行ってお茶の世界を覗いてみたい!

 結果は、ちょうど1週間で断りのメールが届きました。あっさり、終了です。

 あんなに、面接に行ったらどんな感じなんだろう、もし、採用されたら本当にローン払って行けるだろうか、そもそも自分がお茶の稽古を経済的に続けられなかったら本末転倒だ、とかぐるぐる考えていたのに。

 後でハローワークで聞いたところ、2名の募集に47人もの申し込みがあったそうです。応募を悩んでいた時間も長かったので、多分45番目くらいの応募だったはず。特別な技能や経験のない私に下された不合格理由は「相対評価」、他にもっと適切な候補者がいた、ということでした。

 先ほどの癌を受け入れる5段階、「受容」の段階はまだ訪れていません。

 「早期退職に応募することで、改めて仕事との付き合い方を見つめ直し、より幸せな仕事に出会えた。」そう言える日がくるのだろうか、半年経った今もまだ結果は出ていません。その間、着物世界への挑戦もいろいろあるのですが、その話はまたあらためて。

 世の中には、同じように50代で転職に悩んでいる方も多いと思います。文句を言いながらも、一生同じ仕事をしていくと思っていました。今更ながら、何がやりたいのか、何ができるのか、いくら位の収入が必要なのか、いつまで働くのか、という問いに直面することになりました。

 結論の出ていない状態ですが、もう、ありのまま発信していこうと思います。どうぞよろしく、同じような状況の方、一緒にがんばっていきましょう!

<続く>

次行ってみよう

 追記。よく考えたら4月に履歴書書いていました。縁があって、視覚障害者の同行援護者の研修を受けて資格を取った時に、障害者福祉サービスの事務所に登録した際に提出したのでした。(これは、アルバイト出来るのですが、まだ実績はありません。)





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