親友の死と向き合った1週間の記録
訃報を聞いた当時の自分について。
高校で一番最初に仲良くなった親友が亡くなった。相手の親族からの訃報だった。
突然の知らせに対し、僕は悲しみも驚きもなく、専ら「?」だった。「永眠」という文字が見慣れず、もうとにかくよく分からず、故に状況や感情の言語化は疎か、自分が何を考えているのか、考えたいのか、考えるべきなのか、頭で整理することもできなかった。
毎日LINEでたわいもない短文メッセージを送りながら駄弁ってたこと。親友が遠方で一人暮らしを初めてすぐ、泊りがけで遊びに行ったこと。僕が恋人に振られ号泣しまくってた時に、親友が電話でめっちゃ慰めてくれたこと。逆に僕が親友の受験や就活の相談にめっちゃ乗ったこと。僕の弛んだ考えに対して、本気で怒ってくれたこと。でも、何をやらかしても好きでいてくれたこと。訃報を聞いてから1時間くらいして、様々な思い出が蘇った。ここぞとばかりに細かいシチュエーションまで思い出されるので、ますます親友が亡くなった実感が湧かなかった。
身近な人の死に向き合うのは初めてではない。ちょうど物心が付き始めた頃に父方の祖父と母方の祖母が亡くなり、中学2年生の時には母方の祖父が亡くなった。しかし友人、しかもここまで距離の近い親友が遠くに行ってしまう経験は初めてだった。祖父母が亡くなった時とは全く異なる感覚だった。
親友とは仲がいいからこそ「いつでも会える」と思ってしまっていた。20代でこの世を去ってしまうなんて考えたこともなかった。でもいなくなってしまった。サークル活動や仕事が忙しく、余裕がなく「また今度」とご飯の誘いを断ってしまっていたことが本当に悔やまれる。本当に何やってんだよ自分って。いつでも会えると気を抜いてたら、いつでも会えなくなっちゃった。「僕は薄情者だな」と痛感せざるを得なかった。
しばらく時間が経つと強烈な罪悪感、寂寥感、無力感が僕を襲った。「人の存在を感じられないとどうにかなりそう」と思い、ラジオを聞きながら一人で無気力に泣き、一方で笑顔を作りごきげんに鼻歌を頑張って歌った。けれど、瞬間接着剤の如く強くこびりついた複雑な感情は、なかなか身体から離れてくれない。ジャーナリングという手法があるくらいだし、こうして文章を綴ることで少しはカタルシスを得られるかと思ったけど、それも無理。
夜。特に家のお風呂で独りシャワーを浴びている瞬間がとてもキツかった。頭の中が亡くなった親友の顔で埋め尽くされ、酸素が行き届きづらくなった感覚があった。ほぼ過呼吸状態。
これ以上一人で過ごすのはマズいと危惧し、お風呂から出て真っ先に気の知れた大学時代の友人に電話をかけた。一瞬で応答してくれて、本当に助かった。ここから1時間とちょっと、相手してもらった。
この時、気の知れた仲間たちを少し頼りつつ、ただ真っ直ぐに現実を受け入れられるその時を待つしかないのかもしれないと悟った。
弔問前日、新宿のデパートで菓子折りを買う。
仕事を終え、デパートで菓子折りを買うことにした。小田急百貨店の地下へと進み、「何があるかな」ととりあえず無目的に歩き回ることにした。
せんべい、クッキー、チョコ・・・見れば見るほど、選ぶのに苦労した。親友は何をあげたら喜んでくれるだろうか。弔問当日が、親友の24歳の誕生日であることから、尚更迷った。お供物である以上に、大好きな親友に渡す誕生日プレゼントなのだから。
同時にここでも親友との色々な思い出が蘇った。鳩サブレを見かけると、二人で鎌倉に遊びに行って、熱々のしらすたこ焼きを一口で食べようとして火傷をしたことを。どら焼きを見かけると、以前誕生日プレゼントを選ぼうとした時に、「つぶあんは嫌いだから辞めて」と言われたことを。微笑ましくもなり、またしても切なくもなってしまった。
小田急百貨店では決めきれず、京王百貨店にも行ったが、ここでも中々決めきれず、1時間超デパートを闊歩した末に、無難に落ち着いたデザインの箱に詰められたおかきを購入。準備は整った。
弔問当日。
亡くなった親友と仲が良かった面々6人と一緒に、弔問に伺った。この6人もまた僕の親友。
朝は正直とても気分が優れなかった。頭が重く、意識的に歩かないと人に無ぶつかってしまうのではないかというくらいには、ボーっとしていた。
親友が住む地域の最寄り駅あたりで一緒に弔問に行く6人と合流。その時も僕は変わらずボーっとしていた。僕は人の前では虚勢を張ってしまうタイプだが、この時ばかりはその体力もなく、ボーっとしていた。気の知れた親友らだし、別に気を張る必要もないなと自然とスイッチを切っていたのかもしれない。
亡くなった親友の実家に到着した。インターホンを押すと、親友のお母さんがドアを空けてくれた。室内を真っ直ぐ進むと、綺麗な着物姿の親友の写真と、その目の前には骨壷が見えた。ここで改めて事実を突きつけられた感覚があり、言葉にならない驚きと軽い虚無感に襲われた。
僕が一番はじめにお線香を上げた。手を合わせた時、親友との無数の思い出が改めて思い出された。それは全て楽しかった思い出。「違う世界でも幸せでいてほしい」と5分、10分、15分と祈りたかったが、後ろがつかえていたので我慢。
皆がお線香をあげ終え、リビングでお母さんと一緒に、亡くなった親友との思い出を語り合った。お母さんと親友との仲睦まじい間柄、共通の友人と親友との、僕とはまた違った雰囲気の思い出等々、違う視点で語られる親友を話を聞くと、「本当に色々な人に愛されていた子だったんだなあ」と、とても愛おしい気持ちになった。また、それと同時に「なんでこんなにも早く消えちまったんだ」と、とても惜しい気持ちになった。
弔問は約1時間ほどで終了。家を出て目の前に広がる景色には、何故かあまり色が感じられなかった。空も、木々も、住宅街も白、黒、灰色でしか構成されていなかった。なんとも不思議な感覚だった。
訃報から1週間が経って。
弔問までの約1週間、僕一人で亡くなった親友について悶々と考えては、気持ちの整理がつかず、定期的に苦しくなっていた。けれど、色々な人と親友について気持ちを共有できたことで、段々と事実を受け入れられるようになってきた。どんなところにいてもとにかく元気で過ごしていてほしいと、本人の幸せを願えるようになってきた。とは言いつつも、「LINEしたら返信返ってくるんじゃないかな」と一日一回は自然と考えてしまうのだけど。
これからも考えすぎてはダメになりそうになったとき、心を許せる誰かと一緒に過ごそうと思う。そして時間はかかるかもしれないけど、現実を受け止め、平常心で親友の別世界での幸せを純粋に願えるよう生きていきたい。
本当に今までありがとう。
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