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ズボラゆえに大掃除・模様替え・断捨離をする

心が疲れてくると汚部屋やゴミ屋敷の片付け動画を延々見続けたりします。
春呼屋です。

世のいわゆる汚部屋住人はちょくちょく「部屋での探し物は過去の自分との心理戦」だと言う。最近も見かけたが去年も同じこと言ってたのを見た覚えがある。周囲の友人にも汚部屋民がいるが、やっぱり似たようなことを言っていた。

断捨離しないと心が死ぬみたいな極端に走るタイプには探し物なんぞに心理戦をするだけの余力はないので、雑然とした部屋でも健康に生活できる人は肉体的にも心的にもけっこうな体力があるんだろうと思う。

逆説的だが、私は面倒くさがりなので、部屋の片付けもするし、モノもちょくちょく捨てる。
要するに「掃除したくない」が根底にあるため、いかに掃除をサボるかを考える方にエネルギーを注力しているんだな。

なので探し物にしても、探すことでエネルギーを消耗しないために、部屋を片付けることにエネルギーを使う方を選んだということになる。そっちの方が省エネだと感じたのでそうなった。

部屋片づけてるとか掃除してるとか言ってるけど、以前は物を捨てられないタイプだった。
贈り物の包装紙を丁寧に取っておいたり、ゴミじゃんって今なら思うものを後生大事に仕舞い込んだりしていた。足の踏み場くらいはあったが、モノが収まらないと言っては大型の家具を買い、部屋はどんどん狭くなっていった。

それがある日突然、模様替えをしたくなり、部屋の中にあるもの一切を廊下に出して片付けをし始めるのだから、人間って分からないもんですね。
その当時は断捨離なんて言葉は知らなかったし、まだなかったと思うので、ただただ模様替えをしたかっただけなんだと思う。
違う場所に行くのはそこまで好きなわけじゃないけど、同じ景色を見続けるのは退屈だと感じる方なので、モノでギチギチになった部屋を見飽きてしまったんだろう。多分。

この模様替え、数年にわたって少しずつ進行していった。ずっと捨てられなかったモノを最近やっと捨てられたので現在進行形かも。最初は寝る場所の確保さえできなくて居間で寝たりした。捨てるものの選別もかなり時間と気力を使ったのでめっちゃ疲れた。

こんな疲れることをなんで突然やりだしたのか本当に分からない。人生にはタイミングというものがあるのでしょう。
何度目かの模様替えで、43型前後のサイズの液晶テレビを落下させて破壊したことがいまだにトラウマ。高かったのに……。移動させるのに横着したらこれだ。ズボラの祟り。

模様替えをする際に重視したのが掃除をしなくてもいい部屋にすることで、これに関してはいまのスタイルに落ち着くまで何年か試行錯誤した。
おかげでいまは掃除をサボっても致命的なことにはならない状態なので、心置きなく掃除をサボっている。

そんな感じでかなりのエネルギーを投入して片づけや掃除の省エネに成功したのですが、その一方で探し物などに傾けていたエネルギーが今はどこに注ぎ込まれているかというと、おおよそ際限なく増え続ける利用しているウェブサービスの管理という泥沼である……。

ひとところに留まるのが嫌なわりに、色々と試したくなるタイプでもあるので、なんていうか、SNSにしてもそれぞれのサービスで複数の人格を持つみたいな感じになる。
個人的にはこれ、かなりエネルギーを消耗する。あっちを気にしたりこっちを気にしたり、なんで私こんなことやってるんだ? と思うことがしばしば。必要だからやっている、いざという時にないと気持ちの置き所がなくなる、ということは分かっているのだけど、気が散って集中できない。かといってあっちの私やこっちの私をすべてこの私に一本化するのは嫌だ。
どの私を優先したいかをまだ決めかねていて、そのまま置いておくこともできなくて、結局どれも中途半端になっている。

部屋が散らかっていた頃は、あっちの私やこっちの私を作るなんてことはなかった。一つの私だった気がする。
生活を省エネ化して生まれた余力を、別のことで消耗しているんじゃないかと思う。もしかしたら因果関係がそもそも違うのかもしれないんだけど、ぼちぼちネット上の断捨離をして事実を確認してみたいね。

人は何かしら雑然とした部分と、一貫して整った部分の両方でバランスを取っているのかなー。

おもしろいことしたいな~