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タスキをつなぐ

1月3日お昼過ぎ、箱根駅伝が終わった。
今年は番狂わせがあったとか、思わぬ学校の躍進があったとか。出場選手の皆さん、関東学連の皆さん、中継や運営に関わった皆さん、本当におつかれさまでした。今年もありがとうございます。
(社会人になってから、関西出身の友人に、箱根駅伝?何それ?と聞かれて驚いた。「学連選抜」とか誰でも知ってる単語かと思っていたのに。)

以下、全く箱根駅伝と関係ないお話。

今ここに在るのは、昨日までのわたしのおかげ

年が変わるときというのは、なんとなく節目感があって、1年を振り返って翌年に想いを馳せる、明日のわたしにバトンタッチする感じがある。あ、タスキじゃなくてバトンだな。

振り返るタイミングでなくたって、いまここに在るのは、昨日までのわたしがつないできたタスキを受け取っているからだ。

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星野源さんの『よみがえる変態』を読む。文字通り、死の淵から蘇った、その日々が綴られているのだけれど。

この頃の自分が文字通り死ぬほど頑張ってくれたから今の自分が居るのだということも、改めて強く意識することになりました。彼が必死にもがきながら前に進んでバトンを渡してくれたから、今がある。

とあとがきに書かれている。
駅伝を見て、タスキをつなぐことを考えながらこの本に出会った私はやっぱり「持っているな」と思った。笑

わたしにとっての1月

1月は、元旦があり、誕生日があり、母の命日、祖母の命日、そして大好きだった同級生の命日も。

だから、「今年は良い年に」と書かれた年賀状や、SNSや、多くの人たちからの晴れやかであたたかいメッセージを受け取っても、家族でゆっくり過ごしていても、全く心が落ち着かないのが、本当のところ。

休みが明けて仕事が始まっても、1ヶ月くらいはまだ始動できてない感覚。

身体が、心が、緊張しているのだろうと思う。
ざわざわしたり、そわそわしたり。
いま在る幸せの有り難さに感謝しつつも、この幸せを喪ってしまうのではないかと心のどこかで感じている。

今年は、訳あって、1月は休息の月になった。

心のざわつきは変わらないけれど、
外側のざわつき(仕事始め)と無縁でいられるのは、ありがたい。

明日のわたしへ

こどもたちや、次世代へのタスキをつなぐことには熱心なれど、どうしても「明日のわたし」に想いを馳せることは少なくなってくる。

こどもたちの生きていく未来へタスキを繋ぐことを願うなら、今日のわたしが明日のわたしへ、無事にタスキをつなぐことから。

心のざわつきや、ちいさな不調を見逃さない。
何より、不調を生まないメンテナンスを。

そういう意味では、わたしにとって1月は浄化の月になるのかも。自分をととのえてこそ、人に何かを渡せるのだし。




皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。