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鬱になれない環境

考えたいことがありすぎて何もしてないのに時間が足りない。毎日自転車を漕いでる2時間で短歌とか考えて長風呂してる1時間で多少はプロット練って、課題しないで机に座ってる2時間でこれを書けばいいものを、ラジオ聞いたりYouTube見たり歌ってると一番時間速いのに歌ったり頬杖で寝たりしてて気づいたら3月。

やらなきゃいけないことをやらなきゃいけなかった時間の多分3分の2とかでコンボイファンクラブを再生していた期末テスト期間が過ぎ、先日やっと期末テストが終わって、今日は卒業式のため1年次は家庭学習でした。
もう嘘以外では二度と書くことのない言葉だと思うと感慨深い。

ここで私(とそのなかまたち)のぬるま湯について記録しようと思う。 

2024年現在我々の舞台は人口密度の小さい田舎で、それなりに独特の空気の中にある。電車も街灯も服屋も降雪も少ない。
コンビニの駐車場は広くて青山も住宅も2階建てなわけで、朝すれ違う近所のご老人には挨拶をするわけで、うちの犬の名前もそのへんの犬や猫の名前も周知の事実で、家から最寄り駅に歩いて行こうとすれば2時間かかる。高校の外階段から線路と田植えの様子と紅葉が見える。

このへんに関しては単に悪くない選択をしてきただけなのかもしれないけど、何の気負いもなくスラックスを履いて学校に行けるし、教室移動も一人で行けてたし、K-POPと今季のドラマとmbti診断の話を片目で聞いて、プリクラとTikTokと匂わせを心底恥ずいと思ってるような奴でもここまで、殺伐としたスクールカーストによる損害に直面してこなかった。幸運なことです。

また、少し前にすごく素直で純情な友達に西加奈子さんの「円卓」を貸した件だが、彼女が読み終わる前に彼女のお母さんが最後まで読んだそうで、「最後のほうにすごく気持ちが悪い人が出てくるから読まないほうがいい、読むならその部分を飛ばして読んで」というようなことを言われたと教えてくれた。
彼女は確かに私が今まで知り合ってきた人の中で(傍から見ていて分かる分には)一番繊細な女の子ではあるけど、それって卵と鶏みたいなやつだったんかもしれんと思った。

詳しくは忘れてしまったけど以前聞いた、小さい頃のちょっとしたトラウマを一因として、彼女は文化祭でお化け屋敷を作ったときに使ったマネキンの頭や血糊すらを本気で怖がっていたけど、私はそれを軽視しようとは思わなかったし思わない。
そのことは全部彼女と彼女の家族の中のことで、ただフィルターのかかったSNSに何の反発もないのはすごいなと、想像の至らなかった価値観を見たなと少し思うくらいで、「嫌かなって思うなら全然読まなくていいよ、でもちょっと過保護なんじゃない?」というふうなことを、たまたま後ろの席に同じ本を読んだことのある子がいたので一緒に言っておいた。

私は現時点でそれほど極端に、単純ではない物事から隔離されているわけではないけど、我々の属すコミュニティの温度は改めて実感した。
それは最近生活の端々から感じていることだ。

私(たち)は、地球規模で比較すれば恐らく可及的完全に、身体も精神をも損なわれない空気の中にいてそれなりに尊重されている、多分。
社会的な立場や属性や指向や人種だとかの差別による明確な不利益を受けずにいる。ここはよく晴れる。昼間目にする人間はだいたい人間の顔をしている。精神衛生に関してこれ以上は望めない環境にある。鬱にはなれない。

無論私(と恐らく大多数の人)は「鬱」という字について十分な感性と見解を持っていない。こと私はなにせマセガキであるから活字から天才の憂鬱をいくつも摂取しそれを自分の浅い煩悩といっしょくたにしている。

ただ、こうして言葉をぺたぺた触っていられるのも今息を吸えているからなのは知っている。
苦しいとか他人に言って困らせるのもましてや馬鹿にされるのも嫌だし、無遠慮無知なりにせめて言葉を軽々しく扱うことはしまいとは思う。
でも、これを外に出す資格などないってことだけは分かる、見るに堪えないようないつかの希死念慮をTwitterの下書きやルーズリーフの端に見かける瞬間も、自分の両手が変に小さく見えた時期も、うまく言えないけど本当に何も考えられなくなる日も確かにあって、この先いずれは危ないときが来るかもしれない。

だからってどうすればいいんだろうな、どうするの?
2年後とかにこれ読んでる自分、クソがって思ってる? 現状だけ書いとくよ。

自分の学力がどれくらい致命的なのかは知らないし展望もないのに、この頃、出会うべくして出会ってる片割れを持ってる人が眩しくて現実から目を逸らし始めていて、お笑いサークルが強いとこに行くのに都会に出るか、などと考えている。

生まれてこの方ネットリテラシーに準じたインターネットの使い方をしてきた私だが、最近相方募集掲示板から連絡をくれた知らない人とメールをやり取りして、探している人に出会う難しさを痛感している。
会ってみるくらいすればいいんだけど会えないよな、何かあってからでは遅いし、せめて自分についてるのが女性器でなければと思う。 

とはいえ出会いかそれに相当する何かしらを求めてここから出ていっても、女子高生に日帰り埋没を勧める電車のグロい広告とか人間やめた大人とかに晒されてればあっけなく病みそうで悩ましい。
金銭的な問題も、嘘みたいな方向音痴の懸念もある。

内容は絶対に墓場まで持っていくと決めている小説も、細々と2年目に突入した。死ぬまで懐に入れておくにしては冴えない秘密ではあるけどこればかりはもうどうすることもできない。
技巧の良し悪しは別にしてなんとかリアルで背負える小説を書くか、書きたいけど、私にしか書けないものが果たしてあるかと思ってる。
私が歌える歌が、書ける詩が果たしてあるのか、あったとして私はそれをどうすることができるんだろうか。

とりあえずあと2年間ちゃんと勉強しようとは思う、だらだら昼間まで寝るのやめて、できることとやらなきゃいけないと思うことをするしかないとは思う、けど、どうなるんでしょうね本当に。
いやさすがに結論もオチもない文章過ぎるか。たぶん何らかのメタファーです。

時が来たら投票と献血には行くつもりです


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