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卒業前のことば

 暖かい陽の光が降り注ぎ、桜の蕾も膨らみ始め、春の訪れを感じるようになりました。私は明日、卒業の日を迎えます。最後の一年は、特に学校行事に関わりました。
 体育祭はほぼ非公認活動とはいえ、私がいなかったら成り立たなかったものだったと胸を張って言える。もう全員が私のことなんて忘れているけど。最後にもらった卒業生へのインタビュー。そのエピソード、私いなかったら生まれてないよ。忘れているだろうけど。そんなことのためにやったわけじゃないんだけどな。
 身を滅ぼしてまで、やることじゃなかったです。何を得れたわけでもなかった。楽しいところギリギリで私も投げ捨ててやればよかった。投げ捨てたら最後までどうせ文句言うくせに、頑張ったら当たり前だと思われるの、どうにかしてもらえませんか。

 もちろん、公認活動も行ってきた。文化祭実行委員の局の長とか、パンフレットの写真撮影とか。もういいんですけど、どうでも。教師はそういうの見てくれるって思ってたんですけど、そういうのもないもんなんですかね、高校生はもう放任だから。自由が多いと、一人ひとりが何してるかなんてわかんなくなっちゃいますよね(笑)特に自分のクラスで頭がいっぱいだと。

 やっぱり楽しくなかったな、と思う。全ての活動。仕事してる時はまだ楽しい、なんか作ったりとか編集したりとか。けどそれを提出する、とか、確認する、とか、共有するタイミングが本当に地獄。具体的な、人が嫌い(人間という大きな概念は好き)なので。

 自分が辛いこと、見せるのってかっこわるいとずっと思ってたから、自分の弱さは見せても、辛さは見せないようにしてた。けれど見せないと、誰も見つけてくれない。この葛藤に悩まされた高校生活だった。辛いの、分かってほしいけど見せたくはない。誰かに気付いてもらいたい。そういう気持ちで、自分の辛さを翻弄していた。
 まあ結局気付かれなかったから自分で言ったんですけどね。だっせー!

 そういうことがあったせいで、でくのぼうのような大人子供が生まれました。そう、それが私だす。心だけは達観しているのにも関わらず、手続きみたいな書類作業はなにもできない。私を持ち上げた人はもれなく、私を救わなきゃいけませんよ。これこのままにしておくつもりですか。
 結局なにもできない、ただ物事を客観的に見れるだけの人が生まれてしまった。もはや化け物ですよ、、これこそ日本教育の敗北。思わずFワードを口に出してしまうほどです。

 卒業したら、なにをしようかな。
 海が見える場所に、家でも買おうか。そこで生涯幸せに暮らそう。そうだ、猫でも飼おう。白くてふわふわな。まるでわたしたちのような_____

非常に気に触る。私の幸せは私が願っているのに、同時に私が幸せになってはいけないことを私が1番知っている。皮肉だ。何も求めない人間になりたい。そういう人と結婚したい。そういう人に、愛されるわけないんだけどさ。てかまず人に愛されないんだけどさ。イライラ。

 とりあえず、私に何かを考える暇を与えないくらい忙しくしてほしい。そのまま苦しくて死んでもいいから、とにかく忙しくなりたい。もうね、今更誰かに認められようとか、誰かに気付かれようとかおもわないよ。

他人に期待するべきじゃないことは、他の誰でもない高等学校様が教えてくれたから。

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