グリム童話考察②/「2」と「3」についての薀蓄

(ブログ https://grimm.genzosky.com/ の記事をこちらに引越ししました。) 

※あくまでもひとつの説です。これが絶対正しいという話ではないので、「こういう見解もあるんだな」程度の軽い気持ちで読んでください。
※転載は固くお断りします。「当サークルのグリム童話考察記事について」をご一読ください。

「輪るピングドラム」というアニメをご存じでしょうか。
気がついた方も多いかと思いますが、あのアニメは、あちこちに「2」と「3」が出てきます。
そして、みんな「3」になりたいんだけど、どうしても「3」になれない。一番分かりやすいのは、「トリプルH」になれなかった「ダブルH」。
ほかにもいろんなところで「2」と「3」が出てきていたと思います。

主人曰く、西洋では「3」は完全な数字、という考えがあるそうです。
キリスト教では「父と子と聖霊の名において」と、3つ言います。
「3」の世界はこの世とは別の、“完全なる世界”とか“イデアの世界”とか“魔法の世界”みたいなものを指すそうです。
分かりやすい例だと、カメラなどを乗せる三脚がなぜ3本足なのかは、それが一番安定するからで、2本だとそもそも立たないし、4本だとでこぼこのところに置いたときに3本よりかえってがたがたしてしまう。
そんな風に、「3ってスゴイ」というような感覚が昔から感じられてきたのではないかと思われます。
そして「3」は「完全」なんだけど、逆に「2」は「不完全」を表すそうです。
「2」の世界……それは我々の住む、この世界を指します。
肉体と精神、男と女、右と左、善と悪、光と影、などなど。この世は不完全な「2」なのです。
そして人間が人間である以上、どうしても「3」にはなれない。どうしようもなく「2」、なんだそうです。
要はこの世の中は理不尽でやりきれない世の中だけど、それは不完全な「2」の世界であるからなんだという考え方ですね。
※補足。「1=3」だそうです。神様は「1」という存在(三位一体)。ところが人間がつくられるときに、「2」という神様の劣化コピーになってしまったんだそう。

輪るピングドラムの話に戻ると、あのお話は「2」の世界でつらい目にあっている子が「3」を手に入れて救われようとしているお話なんじゃないかなと。でもみんな人間である以上、どうしても「2」になってしまう。
「2」の世界は、光があれば影ができます。選ばれる者と選ばれない者がいます。こちらを立てればあちらが立たないし、誰かが得をすると別の誰かが何かを失う世界です。
うばいあうことでしかこの世界は成り立たないのだろうか? この世界の住人である我々はどうすればいいんだろうか?
輪るピングドラムは、それに対するひとつの答えを表したお話なのではないでしょうか。
うばいあいの世界から、違う何かを土台とした世界へ。
ただの娯楽作品では終わらせない、心に何かを残す良作だと思います。

Written by : M山の嫁