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その他の考察・コラム

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その他の考察・コラム一覧です。一部有料記事。
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月とシンデレラ

 おせちに入っている海老は「腰が曲がるまで長生きしたい」という願いが込められた縁起物とされていますが、「伊勢海老」は腰が曲がってないにも関わらずやはり縁起物として扱われています。実は伊勢海老や蟹は「脱皮する」ことによって何度でも生まれ変わると考えられ、同じように脱皮をする蛇や、あるいは角が生え代わる鹿などと同様に古来から「再生の象徴」として扱われてきました。  帝政ロシアの出身で、日本でも数多くのフィールドワークを行った東洋学者のニコライ・ネフスキーは、沖縄には「生まれたば

「天上のアイスクリーム」~ 宮沢賢治 考 ~(無料公開版-全文-)

 文学フリマ等で頒布した宮沢賢治作品考察同人誌の内容を抜粋して最後まで無料公開します。(とはいえ主人による具体的な作品考察の部分をごっそり省いてしまいましたが……。もし希望者が複数出るようでしたら完全版の有料記事販売を検討します) ※本記事は宮沢賢治作品の読み解きが本旨であり、特定の宗派や団体を推奨・否定する意図はございません。また著者は特定の宗教に入信することもございません。ご理解いただけた方のみ先へおすすみください。 「天上のアイスクリーム」 ~ 宮沢賢治 考 ~

「わざわざ」声に出してみること。

 古代ギリシアの伝承に「オイディプス王」にまつわるものがあり、ソフォクレスの悲劇に詳しい。フロイトの提唱した精神分析学の概念「エディプス・コンプレックス」の元にもなったこの物語には、主人公オイディプスにその不幸な運命を告げる盲目の賢人、テイレシアスが登場する。物語によれば、テイレシアスは盲目であるがゆえに「真実が見えている」のだという。 (テイレシアース:wikipedia)  JRの電車に乗車拒否をされたと告発する車椅子ユーザーのブログが物議を醸している。事の詳細は省くが

儀礼のその先にあるもの

 古代ギリシアの中心都市アテネの守護神アテナとは、ゼウス以下オリンポスの神々(征服民のもたらした父性原理の神話)と、被征服民の地母神信仰の対立を終わらすべく創出されたハイブリッド神である。  古代ギリシア世界では、現世における理不尽や不幸は、征服者オリンポスの神々と地下に追いやられた地母神たちの「呪い」の対立によって生み出されるとされ、神々を和解させる「儀礼」を執り行う事によって現世の不幸も解消されると考えられていた。  この「儀礼」の、ひとつの究極形が新しい神(アテナ)の創

「セメント樽の中の手紙」を読んで

(ブログ https://grimm.genzosky.com の記事をこちらに引越ししました。)  葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」を読んだ主人の解釈が少し面白かったのでメモ程度に書いておきます。  ウラをとったり資料を当たったりといったことは一切していません。根拠のないほんの思いつき程度の読み解きですが、まぁ少しでもここをご覧になられた方の参考になり何なりになれたらいいなと。おそらくこの物語をこのように解釈するのは主人くらいでしょうし10人中10人が「いやそれは違う」と

夏目漱石の「こゝろ」を読んで

 とある読書がテーマの小説を読みました。そこで採り上げられている作品の中に夏目漱石の『こゝろ』があり、どんなお話だったか内容を思い出してみたのですが、教科書にも採用されよく知られている【下】の部分くらいしか記憶がありません。『こゝろ』は高校生の時に通読したはず……と思って書棚を漁ってみると三十年以上前の文庫が出てきたので、この機会に再読してみることにしました。  教科書以外では『こゝろ』に触れたことが無いという方に説明しますと、この作品は【上・中・下】の三部構成となっており、

サテュリコン ~享楽と退廃のオデュッセイア~/トリマルキオンの饗宴 考

文学フリマで頒布した同人誌『「トリマルキオンの饗宴」考 ~享楽と退廃のオデュッセイア~』の内容を有料記事として公開します。 ガイウス・ペトロニウスによる古代ローマの小説「サテュリコン」内の一場面「トリマルキオの饗宴」を、歴史的資料としてではなく文学作品として読み解いていきます。 本記事は原作をお読みいただいている前提で書かれていますのでご了承ください。 Written by : M山 はじめに 『サテュリコン』は、一世紀帝政ローマの時代に【趣味の権威者(elegant

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芥川龍之介「藪の中」考察

文学フリマ等で頒布した同人誌の内容を有料記事として公開します。 有難いことにお読みいただいた皆様からご好評いただき、弱小サークルながらも(小部数ですが)二度も増刷させていただいたのですが、流石にそろそろおサイフ事情や在庫抱えるリスクとにらめっこするのはキツくなってきたので……。 「犯人が誰か知りたい!」のような、真相を求めるような方にはおすすめしません。「藪の中」を推理小説ではなく純文学として捉え、作中の描写を吟味し作者の意図を考察、その読み解きの結果「私なりにこんな気づ

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個人の権利と幸せの問題について

 社会の中には様々な制限があります。私たちが一般に認識している最大のものは「法律」ですが、そのように明記されているものだけではなく道徳やマナーなどの不文律も存在します。あるいは、ときに不可解にも思えるような、家族、会社、地域などの中のみに設定された「しきたり」が存在することも事実です(それに公平性があるかどうかは別にして)。では、なぜそのような制限が社会の中にあるのでしょうか?  人類という種に社会的な集団が形成されはじめた頃には、いくつかの特性を持つグループが自然発生的に

七夕とオシラサマのおはなし。 おまけで河童のおはなし。③

オシラサマ  「動物の皮」で思い出されるのが、東北の民間信仰に連なる遠野の「オシラサマ」伝説です。オシラサマに関する習俗は東北各地でいろいろと異なるのですが、この有名な伝承では、馬と娘との悲恋から養蚕業の起源へとエピソードが繋がっていきます。  このオシラサマ伝説も先述の七夕と同様、実は中国に元ネタがあり、元のお話でも同じように馬と娘の結婚譚(馬の娘に対する一方的な愛情とも…)から養蚕業の発祥へと話が続いていきます。娘が馬の皮に包まれ空へと飛び去り、その後に馬の皮の中で蚕とな

七夕とオシラサマのおはなし。 おまけで河童のおはなし。②

 ところで「ひょうたん」はどうなったの? ……と、実はこの杓子、元々はひょうたんから作られていたのです。  ひょうたんをタテに割ると、細長い首の部分が柄となり下の膨れた胴の部分で水をすくう、あの杓子の形になります。プラスチックや3Dプリンターなど存在しない時代の話ですので、もし木をえぐってくぼみをつけ、おたまの形を作ろうと思ったら、相当の労力と洗練された道具が必要になってしまいます(繊細な加工が可能な鉄の刃物が人類史に登場するのはせいぜい三千年前くらいです)。ひょうたんのあの

七夕とオシラサマのおはなし。 おまけで河童のおはなし。①

はじめに  今なお広く親しまれている夏の風習のひとつに「七夕」があります。天上の世界では彦星と織姫が一年に一夜だけの逢瀬を待ち、地上では願いびとが想いを短冊に書きその成就を祈ります。人々は七夕の夜が晴れることを願いますが、もし雨が降れば川が増水して天界の恋人たちは次の年を待たなくてはならないのです。得てして七月は梅雨の季節、一年に一度のチャンスが雨で流れる事も少なくありません。なんでまたこんな時季に……と首を傾げてしまいますが、その裏には日本人と水との深い関わりがあるのかもし

王様と暦のおはなし。

 以前、ツイッターで「お金」についてこんなつぶやきをしたことがあります。  同人誌即売会を例に考えてみます。  お客さんの心の中には「この作品萌える!」とか、あるいは「この作家さんを応援したい!」などの思いがまず先にあって、そこについている値段は、決してそれだけで独立しているわけではありません。  持ち帰った戦利品を「この本は〇〇円の価値がある……」としみじみ眺めたところで、ではそれが他人にとって同じだけの価値があるのかというとそんなことはなく、むしろ興味の無い人からすれば