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元看護師の30代専業主婦が未経験でIT職に転職した話

今の会社で働きはじめてもうすぐ3年になります。

  • 看護師から一般企業

  • 専業主婦から未経験業種

  • 30代半ばからの転職

ということで、履歴書的に「難しい」と言われていた私が今の仕事に出会った経緯をこの辺りで振り返ってみようと思い、noteを開きました。

正直、今のお仕事に出会えたのは運の要素が大きいと思います。
一般的な就職活動のように、大量の企業研究を行ったわけではありませんでした。

看護師が医療と関係のない一般企業に転職する例としてこんなケースもあるんだーということで、どんなことが今の仕事につながったのかをまとめてみたいと思います。

ご興味があれば最後までお付き合いください。

どんな仕事をしているのか

今の私の具体的なポジションは伏せますが、仕事内容としては、自社商品、サービスに関連するWebシステムの開発をチームで行っています。

システム開発といえばエンジニアでしょ?と思われるかもしれませんが、基本的にコードは書いていません。システムを作るにはたくさんの工程と役割があり、私はそのひとつ、開発に関するマネジメントを担っています。

とはいえスタートアップなので業務はかなりフレキシブルで、経理補佐やデータベース管理、営業補佐や社内向け、クライアント向けのマニュアル作成などなんでも巻き取ることも。

スタッフは私を含め半数以上がリモートワーカーで、私のチームには日本人以外のメンバーもいるので日本語3、英語7くらいの割合で仕事をしています。

業務の忙しさにもよりますが、基本的に1日5〜6時間の時短勤務です。
こどもが学校に行っている間だけ働きたい、ということで、かなり融通の効く働きかたをさせてもらっています。

なぜ看護師から一般企業に転職したのか

大学卒業後、10年ほど急性期の看護師として大学病院で働きました。

毎日新しい学びを得られる環境がとても楽しく、緊張感のなかチームで一瞬一瞬を乗り越える一体感と充実感を感じていました。
もちろん、責任の重さや悲しい別れから仕事がつらかったことも多々あります。かなりクセの強い人間関係に悩み抜いた時期もありました。
しかし、部署を異動しながら「ライフワークは医療だ」と思えるくらい看護にのめりこみました。

日本国内であれば、どこでもニーズのある看護師という職業。
まさか看護師として働けない場所があるとは思っていませんでした。

夫の仕事で、海外に住むことになったのです。
しかも任期のない片道チケット。

海外でも医療に関わっていたい、といろんな道を模索しましたが、滞在国は外国人の医療行為を認めない国でした。

初めて専業主婦になり、「〇〇の配偶者」「〇〇の母」としてのみ認識されるような日々。
「個」の自分が失われたような、社会から切り離されたような感覚に陥りました。

当時から専業主婦は家庭にも世の中にも貢献していると思っていたし、今振り返ると私は私、自分らしく生活していたと感じるのですが、どんどん経験を積んでいく日本の友だちたちのなかで自分だけキャリアの空白を重ねる焦りはどうしようもありませんでした。
帰国に備えて英語を勉強したり、現地の医療ボランティアをしたりしながらアイデンティティ・クライシスと向き合う日々。

そんなとき、精神的に大きなダメージを受ける出来事が起こりました。
それをきっかけに、開き直った心境に。

人生はいつどうなるかわからない。
悩むなら飛び込んだほうがいい。

その気持ちの変化から、医療へのこだわりを捨て、一般企業に目を向けることにしました。

専業主婦から大手企業にフルタイムで転職したときにやったこと

とはいえ一般企業への転職活動をいきなり始めたわけではありません。
「一般企業」について知らないことが多すぎて、自分が何をしたいのか、何ができるのか、完全にキャリア迷子になっていました。
なにより、一般企業の転職市場では看護師経験は「社会人経験」としてカウントしてもらえないことが多いという現実を知りました。

そのため、まずは「キャリアの棚卸し」として、自分のスキルが一般企業にどのように活かせるのか言語化していきました。
同時に「一般企業の職種」についても調べていきました。
興味のある仕事内容のポジションの求人票を見て、求められるスキルがどんなものかを把握し、自分に足りないもの、未経験でもこれまでの経験から応用ができそうなものを切り分けていきました。

当時私が履歴書に書けそうなスキルといえば、このくらい。

  • コミュニケーションスキル

  • 英語(読み書きメイン、会話は社内コミュニケーションレベル)

  • 最低限のPCスキル

英語については医療系の就活で不要なのでTOEICなどのテストを受けたこともなく、実際どのレベルなの?と客観的に示すのが難しい。
なんとも心もとない、、。

まぁでも一般企業ならまずはPCスキルだよね、ということで、簡単なコーディングやgoogle スプレッドシートなど基本的なものを改めて勉強しました。

PCについてはおそらく当時でも医療職の中では詳しい方だったと思いますが、実際に使ってみないと「できます」と堂々と言えなかったので、家計簿のスプレッドシートに関数を使ったり、WordPressを立ち上げて簡単なデザインコーディングをしたりブログを書いてみたりといった形で日常に勉強した内容を取り入れていきました。

そして、周りには「仕事をしようと考えている」という話を積極的にしていきました。
転職エージェントもいくつか登録。

するとびっくり、その中のひとつ、エージェントのキャリアアドバイザーの方とお話しする中で、「うちで働いてみませんか?」とお声かけをいただくことに。
看護師として患者さんや医師など多くのスタッフとコミュニケーションをとってきたスキルを活かせることや、さまざまな業種について幅広く知識を身につけることができるので、自分に合った職種を考える上でも良いのでは、という提案でした。

いくつか他社のエージェントさんにもお仕事のご紹介をいただき面接もしてみましたがピンとくるものがなく、お誘いいただいたエージェントにフルタイム正社員として就職することに決めました。

フルタイム企業をやめたきっかけ

初めての一般企業での仕事は毎日が新鮮で充実していました。
名刺の渡し方といった基本のビジネスマナーから、クライアントの求める職種に関わる特殊技術についての知識まで、幅広いことを学んでいきました。

現地エージェントのジャパンデスクだったので、クライアントは日系企業、求職者は日本人やローカルの人、という環境。
人間関係のストレスもありましたが、海外ならではの同僚の明るい雰囲気にも助けられ、忙しくも楽しく過ごしました。

そんなとき、世界の常識がひっくり返るような出来事が起こります。

コロナ禍の始まりです。

滞在国の行動制限はかなり強烈で、文字通り24時間家から一歩も出られない日々が続きました。
スクールがなくなり、お世話をしてくれるメイドさんも来れなくなった遊び盛りの子どもがいる部屋で、ずっとPCと向き合って仕事をすることに。

転職エージェントのクライアントは事業縮小や体制変更などで慌ただしくなり、採用どころではなくなりました。
内定が出ていた人も外国人のビザ発給がストップしてしまったので就職できません。
そんな状況でも会社は数字目標への圧力をかけてきます。

子どもの相手をできない苦しさ。
いつ終わるかわからないロックダウンのなかで求職者の方に就職を勧めなければならない葛藤や上司からの圧力。

「今一番大切にしたいものは何?」

精神的に追い詰められ、自分に問いかけた結果。
退職を決めました。

新しい会社と出会う

国の方針が二転三転し、振り回されるストレスにも徐々に慣れてきた頃、第二子を授かりました。
コロナ禍の妊娠、出産。
この過酷な状況で、無事に生まれてきてくれるのだろうか、、、
でも、我が家にとってはこれ以上ない希望の光。

妊娠期間は感染対策のためほとんど家から出ない毎日だったので、開き直ってのんびりしたり、子どもとの時間をゆっくり過ごすことにしました。
子どものオンラインスクールは絵の具や工作など親ありきのダイナミックなアクテビティも多く、隣で一緒に成長の様子を見ることができたのは貴重な経験でした。

そして、厳戒態勢の中、無事に出産。
産後の記憶は曖昧ですが、当時は無事に乗り越えた安堵でしんどさよりも喜びの記憶が強く残っています。
久しぶりに出会った赤ちゃんがとにかくかわいかった。

一方、そのころはコロナ禍の影響でリモートワークの求人やオンラインのミートアップも増えていました。
具体的な就活はもっと後にするとしても、情報収集だけはしておこう、ということで、育児の合間にぽつぽつといろんな説明会に顔を出したりしていました。

そのことをSNSでふと呟いたところ、、、

ある人から、「新しい事業の立ち上げに関わってくれる人を探しているのですが、興味ありませんか」とメッセージをいただきました。

エージェント登録時のスカウト以来のびっくり。

その人は私の背景のどこを見て声をかけてくれたのかはわかりませんが、いただいたメッセージがしっかりしていたことと、何人か共通の知り合いがいて信頼できそうな人だったため、まずは話を聞いてみよう、となりました。

ミーティングでは、一般企業の経験が少ないことを正直に伝えました。
が、現地のスタッフと一緒に働いた経験、当地のカルチャーや背景を知る強みなどからポテンシャルを評価していただき、CEO面接からの採用へ。

思わぬ形でお仕事のオファーをいただくことになり、もちろん夫にも相談。

返事はシンプルで、「面白そうならやってみたら」。だよね。

ということで、トントンと全く未経験業種の扉が開いたのでした。

まとめ

新規事業の立ち上げから今のシステム開発マネジメントの仕事に移行するまでにはもう少しエピソードがあるのですが、長くなったのでまた機会があれば。

看護師から一般企業というと、医療系の会社に入ったり、産業保健師として働いたり、といったキャリアパスが最も一般的かと思います。

もちろんそれも良いと思います。
ただ、看護師のスキルを分解して言語化し、それ以外のものと組み合わせることで、全く新しい分野へのチャレンジができることもあります。

私自身は、今でも医療へのパッションは忘れていません。一般企業から見る医療業界の課題も、外に出たからこそ感じています。

今の仕事は充実していて面白いので必要としてもらえるなら続けるつもりですが、またひょんなきっかけで医療の世界に戻ることも十分ありえると考えています。

あまり参考にはならない経験談ではありますが、外の世界を見てみたい、という看護師の皆さんの背中を少しでも押すきっかけになればと思います。

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