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何故サブヒロインは人気キャラとなるのか?1920's〜1940'sの軽戦車の発展から紐解く

 創作において、主人公とキャッキャウフフするヒロインではなく、そこから一歩引いたキャラが人気を博することは、広く観測されている。
 一体なぜ、可愛いの権化であるヒロインではなく、少し冷めて距離を置くサブヒロイン(以下、混同を避ける為に"サブキャラ"と表記する)が人気となるのだろうか?

 そんな謎が「戦間期の軽戦車(或いは豆戦車)」から紐解けることは、最早説明不要であろう。


 現代のヒロインは主人公に対して専ら動的であり、その隙を見出してはラブコメ展開を加速させ、最終的な突破的勝利を目指して動くものである。
 これは一見して「主人公にあまりアクティブな活動をしない」と見なされるヒロインも同様で、かのラブコメの「隙さえあれば舌を入れた某副会長」の活動も記憶に新しいところだ。
 本質的にヒロインとは積極的な突破を尊ぶ存在なのである。

 対するサブキャラはこうした主人公に向けた「動的な活動」は少なく、もし徹底的な隙が生じても、本格的な活動に移ることは少ない。
 むしろ周囲を警戒するだけに終わったり、積極的な活動が皆無に終わったりも珍しいことではないだろう。
 
 こうした違いを見ると、我々は「ヒロインのほうが優れている。魅力的で強力な存在である」とみなす。
 しかしそれは誤りではなくても、危険な思想だ。現代の戦闘では古典的な突破戦術や、主力の撃破に捕らわれない視点や活動こそが重要である。
 歴史を見ると、古典的な重戦車は敵の要塞や陣地の突破を任務とした結果、その任務に偏重した存在となり、キャラとしての柔軟な運用が困難となった。

 重戦車的ヒロインも同様で、主人公の一点突破に重点を置いた活動や、強力な装備を整えた「対主人公用突破戦車」となった結果、むしろ扱いにくくなる危険性を秘めているのだ。


 対するサブキャラは、元来メインヒロインの活動をサポートしたり、活動の場を整えたり、或いは必要な情報を収集することを専らとする。
 こうした広範な活動と任務は、必然的にサブキャラの存在を「より柔軟に」するだろうし、また周囲はそういう存在としてサブキャラを欲することとなる。
 
 つまりヒロインは、元来から主人公の突破を最終目標とすることで、その活動範囲や人間関係も、その任務を中心としたものとなる。これは古来からの正当な戦術ではあるが、同時に重大な弱点ともなる。
 こうした活動は、ヒロインの存在や戦術を硬直化させ、兵力としての魅力を著しく減退させ、ヒロインとしての魅力を損なう要因ともなるのだ。
 対するサブキャラは、それ本来の任務として「柔軟かつ広範に」活動することが求められていたが故に、主人公やヒロインの関係性のみに捉われない存在として活動が能うのである。
 
 こうしたヒロインとサブキャラを取り巻く要素は、時間の経過と共に露わとなるだろう。
 

 例えば極初期は、前線で主人公と対峙し、積極的に戦線の突破を目論むヒロインの存在が、戦争の趨勢を決する重要な存在として認知される。
 しかし短期連載での決戦が適わず、長期戦を視野に入れた連載体制が整い、停滞した戦線での睨み合いに移行した場合、ヒロインの活動もまた停滞し、鈍重なものとなる。

 こうした鈍重な状況下では、ヒロイン単体での突破活動が著しく困難となるだろう。

 何故なら、長期戦を見越した停滞した環境下では、元来から突破を任務とするヒロインは、限定的で反復的な活動に終始する他ないからだ。
 下手な陣地転換は、その重量(任務に特化したキャラ設定)が弊害となり、スピーディなものとは成り難い。
 例えばヒロインが突然転校したり、部活を変えたり、性別が変わるような劇的な陣地転換は、事前からの入念な下準備が求められるもので、容易には行えないものである。
 


 しかしサブキャラはこうしたヒロインが持つ欠点を補うポテンシャルを秘めている。
 確かに、最初はヒロインをサポートし、その活動の邪魔となるものを排除したり、ヒロインがより突破したりしやすい環境を作り出すという、地味な活動に終始する地味な存在として扱われるだろう。

 しかし戦線が停滞し、ヒロインを基軸とした古典的な突破による解決が不可能となったとき、元来の「サポート」が戦闘における主要な活動となる。
 専ら停滞したまま睨みあったり、反復的な牽制的攻勢に終始したりするヒロインとは異なり、サブキャラは柔軟に活動を行い、その時々の状況に合った独立的な活動を行うのだ。
 例えばサブキャラは、ある時部活に入ったり、或いは辞めたりすることが容易である。またアルバイトを始めたり、知らぬ間に何らかの委員会に入ったりすることも珍しくはないだろう。
 


 こうした自在な活動は、サブキャラに多彩な「バリエーション」を与えるキッカケに繋がる。
つまりサブキャラの各部活やアルバイトの服装や、普段とは異なる口調や表情が、状況に合わせて複数備えられることとなるのだ。

 これがサブキャラが人気となる一つの重大な要素となる。

 過去の軽戦車や豆戦車がそうであるように、柔軟性に富み、多様な任務を任される兵器群は、それぞれに対応可能な特別の改良や、別個の装備を搭載するに至る。
 そして現代的な広範囲で迅速に展開する陸戦において重要な役割を持つようになるのだ。
 
 元来は重戦車のサポートに適した機関銃や、小型の歩兵砲程度を積む程度だったのが、偵察用や歩兵支援用に改装されたり、また武装も多様なものを使ったりするようになる。
 こうして多様な姿となったサブキャラは、実際的な戦闘力以上に魅力的かつ驚異的な存在となるだろう。

 例えば、平時は無口クール系のキャラが、バイト中は笑顔でハキハキと接客していたら、それはもうドチャクソかわいいのは言うまでもない。
 また逆に平時はうるさい元気っ娘だったり、またヤンキーだったりしたキャラが、実は実家が金持ちのお嬢様や真面目委員長であったらば、そしてそれをサラッと流されたらば、それもまた読者の想像力を刺激し、多くの人を虜とするだろう。
 


 この柔軟な変化と多様性こそが「サブキャラ」の恐るべき点である。
 ヒロインとは異なり、偵察や援護といったサポートに徹するが故に、その活動は柔軟性に富み、また任務に応じたバリエーションも豊富となるのだ。
 そしてそうしたキャラの多様な可能性を見せられた時、我々は実際以上のポテンシャルを秘めているように感じてしまう。
 この実に多様な姿や在り方を示すことで、その時々で違う魅力を増し、また薄い本でも自在な活躍をしたキャラは少なくない。

 例えば真面目メイドの同人誌を出すとき、古典的な事務的なえっち本か、そのメイドの隠された積極的な面を押し出したイチャラブえっち本か、また学校の部活の顧問からの脅迫えっちかを、軽戦車的なバリエーションの多さから、自由に選択することが可能なのだ。
 
 これは本編においても同様で、主戦力として主人公と対峙しているヒロインは、その任務を完遂するための活動に終始し、活動を完遂するために周囲を完全に守られ、またその活動や意志はギリギリまで悟られないよう行動することが求められる。
 もしヒロインの前に主人公以外に対峙する異性が存在し、またヒロインの活動や気持ちを見透かされ、それが戦闘に及ばんと積極的攻勢を仕掛けてきたらば、それは避けるべき恐るべきNTR事案である。
 当然指揮官は厳罰に処されるであろう。2人の純愛に邪な気持ちを抱いて接近し、ヒロインの純情を鈍らせんとするNTRチャラ男要員は、一切不要なのは最早言うまでもない。
 


 しかしサブキャラの中にあるNTR要員、即ち突然現れる異性の友人や幼馴染、部活の先輩は、サブキャラの活動の中で重要な要素ともなる。
 一見すると、サブキャラもまたヒロインのように十分に守られ、安寧であれば良いと思えてしまう。
しかしサブヒロインの良さは、より多くと接触し、より広く活動することで生まれる。
 つまり背後で決戦的展開に備えて待機するヒロインとは真逆、広範囲にわたる偵察的接敵活動によってこそ、その価値を高めるのである。

 なのでサブキャラはヒロインとは違い、物語的に大敵となるNTR要員、異性の幼馴染や部活やバイトの先輩等を、積極的に投入し、サブキャラと匂わせ的な活動を行うことが良しとされる。
 そうすることでキャラとしての可能性や展開を自由に変化させ、物語に画一的でない柔軟性を持たせ、またその活動がヒロインに重大な決断をさせるキッカケともなることが期待できるだろう。
 また幼馴染や先輩にしか見せない一面が、物語の根幹を揺るがさない程度に読者を刺激する。
 


 もしこれがヒロインであれば作戦の根幹から崩壊するだろう。主力が攻撃前に発見され、斥候と戦闘状態に入ったに等しく、今後の作戦の大幅な変更や、大規模な撤退と立て直しが求められる。
 しかしサブキャラは、元来が決戦的存在でもなく、その活動の活動意義を増幅させる前提が「より広く、より深く、より多数と、より迅速に接触する」ことだからだ。
 
 これは専ら威力偵察や斥候を担う軽戦車も同様で、こうした存在は敵となる存在と積極的に触れ合うことで、その真価を発揮する。
 むしろ広範囲に渡る活動の結果、敵となる存在と全く関われなかったらば、それはサブキャラとして十分な活動をしたとは言い難い。積極的に男と絡んで、戦術的匂わせを発揮することで、その価値を高められるのである。
 


 しかしここで、忘れてはならない重要な点として、「偵察の最優先は無事に帰還すること」であることを強調して伝えておかねばならないだろう。
 確かにサブキャラが異性と絡んで、主人公やヒロインには見せない所を垣間見せるのは、重要である。しかしながら「完全にNTR状態となる」ことは避けねばならない。
 何故なら、警戒や斥候は無事に帰還してこそ次の活動に移れるからである。
 万が一、サブキャラが男キャラとえっちにゃんにゃん状態に移れば、サブキャラはその異性との戦闘に終始せねばならず、結果として自由な活動は困難になるだろう。
 故にサブキャラをサブキャラとして、十分な活動を行わせるのであれば、異性との親しい関係や悪友的な関係こそ望まれても、本編での本格的戦闘に類似するイチャイチャは避けねばならない。
 
 こうした一連の「自由と柔軟さ尊び、多くの可能性を秘めた」サブキャラの活動は、実的な成果だけに留まらない。
 その周辺国や関係者に「自分たちであればもっと活躍させる事ができる」という幻想を抱かせることになるだろう。
 実に自由な同人活動も先に挙げたところであるが、優れた軽戦車が軍事強国による専門的かつ大規模な導入や、改良型の設計や生産が行われる事は、歴史が示している。
 古くはルノーFT17や、英国のヴィッカース6t戦車がそれに該当する。比較的安価で、自由な運用と改良が可能であるこれらの戦車は、戦間期には多国間に渡る採用と運用がなされた。
 


 こうした軽戦車の多様な採用実績は、まさしくサブキャラの「スピンオフ」の可能性を示している。
 即ち、主戦力となるヒロインを支える存在であった軽戦車的サブキャラを、メイン戦力において、元来持っていた能力をより前線に近いところで運用し、必要に応じたヒロイン的攻勢や戦闘に従事させるのである。
 元来のサブキャラが限定的に行っていた戦闘や偵察に重点を置き、それに特化した能力と任務を付与することは、多くの国で行われている。
 例えばポーランド軍が豆戦車に対戦車ライフルを搭載し、限定的な対装甲能力を付与したり、フランス軍はFT17を大規模に改修して自走砲化を行ったりしている。また中小国では軽戦車をメインの機甲兵力として扱った例も多いだろう。
 


 このように、軽戦車により特価した能力や、メイン戦力としての能力を付与して運用することは、サブキャラを扱う上で多大な参考となるはずだ。
 多くの読者が望むであろう「特定の異性とイチャコラする展開」としての、主戦力としての運用や、特定の活動をより強化した(部活やバイトを主軸とした短編)の活動は、サブキャラが持っているポテンシャルの一例である。
 
  多くの場合で、こうしたサブキャラは飄々とした態度で恋愛展開を回避し、読者の手も異性キャラの手もすり抜けるものだが、時としてその性格が重大な欠点となることもある。
 特にスピンオフ的に、メインとしての突破戦力としての戦闘を担い、意外と弾く装甲を持ち、それでいてちょっと責めに弱く、退路を断たれた反撃されると弱い有様は「軽戦車の利点と欠点」を浮き彫りにする事にも繋がる。
 元来の性格と運用を十分に理解し、それを踏まえた運用を行えなければ、軽戦車は解釈違いによって材偉大な被害を被り、また謂れのない低評価を受けることにもなるだろう。
 
 故にサブヒロインのスピンオフ的なメイン戦力としての運用は、あくまで限定的かつ短期的な決戦に落とし込むか、或いは旧来の活動の延長線上にあるものに収めるのが望ましい。


 ごく稀に、こうしたメイン戦力としての活動に耐えうるハンチョウやトネガワも存在するが、それは登場時からメインを張れるだけのインパクトがあり、また自身の窮地(オチ不足)を救う強力な火力(インパクトと名言)を持っていた。
 そして脇を固める存在も初手から存在し、軍団の司令塔として機能しており、同レベルの他キャラよりも頭一つ抜きんでた火力(インパクト)と装甲(個性)と機動性(潰し)を保有していた。
 サブキャラでありながら「実態として小規模な部隊の主力であった」のである。
 
 こうした「重戦車と軽戦車の能力を両方保持する」という「中戦車」的なキャラは極めて稀であるから、まずサブキャラスピンオフ、特に大規模かつ長期のイチャラブメイン展開は、リスク面から避けるのが望ましいと思われる。
 軽戦車は軽戦車としての役割や能力が先にあり、あまり攻勢や突破に重点を置きすぎると、他の戦場での活動や、キャラ設定に重大な欠点を生む危険性を秘めていると考えるべきである。
 


 以上を踏まえたとき、最初から徹底した主人公との対峙と突破を担うヒロインよりも、サブキャラのほうが多様な活動や任務を担うが故に、より魅力的に見えてしまうものがある。
 これは決してヒロインが不足した存在であるとか、魅力的ではないということではなく、ある一定の状況下でのみ輝く兵器よりも、より大きな可能性を提示し、想像力を刺激し、多様な運用や改造性に富み、また比較的自由に扱えるものに、人は惹かれがちということだ。
 


 サブキャラは主人公との関係性や固定化された環境には固執せず、自由な活動が担保されている。ある意味で人気が出る地盤が出来上がっているのだ。
 また昨今のソシャゲも、多様なキャラを状況に合わせて自在に扱い、それぞれにメインとサブの役割を与えることで、各キャラも深みを増している。
 昨日まで不人気だったキャラが、ある時から急激に人気になるのはソシャゲあるあるだが、こうした要素もまた「サブキャラ軽戦車論」に繋がる活動とも言え、固定化された運用に捉われない在り方を示している。
 
 しかしメインヒロインにはどういった状況でも「主人公の突破」を担う頑強さがあり、それを完全に軽戦車が代替することは難しいものだ。
 サブキャラの活動はヒロイン在りきの物語のサポートであり、どうあれお互いに足りない部分を補い、そうして目的を完遂するのだ。これもまた百合である。
主人公の突破を成し得る為の作戦と戦術の応酬が、この二つの関係性を増し、ヒロイン×サブキャラの薄い本に厚みが出すことになるのだ。
 
あらゆる兵科は、お互いを決して軽視せず、尊重し、サポートし合い、時に離れ離れになってもお互いを前提とした活動に従事し、そして勝利を得る。
 
実に尊い。やはり百合なのだ。こういった百合こそまさしく至高である。
 
 

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