この家の者は誰も働いていない 2 #創作大賞2024 #エッセイ部門
墓参りは大さわぎ ≪父の話≫
年末年始、春と秋の彼岸、お盆、法事…。これらの墓がらみのイベントで一番、張り切るのは父である。長男であるがゆえに、常に我が家が、親戚一同が会する法事などで、主導権を取って来たことも大きいだろう。ただそこを差し引いても、父の仏事に対する、愛にも近い情熱は並々ならぬものがある。
仕事を定年退職してからというもの、新しい趣味を見つけようと、やれ卓球だ、DIYだ、などと手を付けだすものの、まるで身についてこなかった父。
さすがにひと頃より勢いは衰えたものの、そんな彼が唯一、生き生きと取り組むのがこの寺がらみの行事なのである。
墓参りをはじめとする寺がらみのイベントは、総じてめでたくはない。それなのに時々ちょっと飛び跳ねるような喜びのオーラさえ感じられる、父のこの様子は何だろう。父に、生きていて「うれしい」「楽しい」と思う生きがいのようなものがあるのはいいことだけど、何だか不謹慎じゃねぇか?みたいな気持ちも混じり込んで来るので、娘はその複雑な気分に揺さぶられながらいぶかしむ。
なのでこの疑問を何度か考えを進め、自分が納得できる落としどころを探してみた。で、煮詰めに煮詰めた現在の答はこうだ。
日本には昔からある、いわゆる家柄、というやつ。天皇とか、武士とか、華族とかの言葉が一番、分かりやすいかもしれない。
彼らにとっては「家の存続」が重要事項の一つだった。DNAなんて言葉を誰も知らなくても、血筋を絶やすことが、自分がこの世から完全に消えてしまうことだ、とみんな本能的に知っていたかのように、家の継承者として長男は尊(たっと)ばれた。
文献とか時代考証がなされた小説やドラマでしか知らない時代だけれど、そのために長男はメチャクチャ厳しく躾けられたらしい。(だから逆に、次男以降の男の子や、嫁としての能力を鍛える以外の女の子への躾は割と緩かったケースさえあったようだ)中でも自分たちの家の血筋を絶やさないことは長男の、生涯かけての一大使命だった。
つまり家がなくなること(=墓がなくなること)は恥ずべきことの真骨頂、長男の決定的な失態だった、というわけだ。
国民みな平等、の考えは大正時代の近代化や、第二次世界大戦後など、何度か叫ばれてきたけれど結局、定着するのには長い時間を要した。昭和後半生まれの私の子ども時代、「家を存続させる」考えは、表立っては鳴りを潜めていた。けれど地下を脈々と流れ続ける河みたいに、この考え方はごうごうと音を立てて不気味に流れ続けているのを、どことなく肌感覚で感じていた。
父は昭和初期の生まれである。しかも超・女系家族の中で唯一の男子として生まれた。そんな環境下では、家の名前を絶やしてはならない、とか、親を最後まで看取らなければならない、とかのいわゆる「長男プレッシャー」は私の想像以上に、そして通常以上に輪をかけて強い圧力だったと思う。
そう考えると尋常じゃない仏事への熱の入れようについての説明はつく。ただ、こういった行事はたいてい墓がらみなので、家の存続、というより墓守が史上最大の仕事みたいに見えて、何だか悲しい。
思えば弟が生まれた時、「後継ぎができた!」と一番喜んだのは父だった。当時5歳、と幼かった私は(ふーん、よかったね。)くらいにしか思っていなかった。が、父としては「家」を継ぐ者(=墓を維持してくれる者)ができた喜びが、何より大きかったようだ。
弟が大きくなってから、実は「お前は後継ぎなんだから~」で始まる英才教育を父から密かに受けていたらしいことを初めて聞いた。弟は弟で卒業文集の「将来の夢」に「アトツギ」とカタカナで書いていたのを私も目撃していたのだが、それもあながち冗談ではなかったようだ。後継ぎ思想、恐るべし。
それはさておき、このイベント(仏事の中でも主に墓参り)では必ずゴタゴタが起こる。
白状しよう。そのきっかけを作るのは、他ならぬ私だ。
私はとにかく時間の読みが甘い。小学生時代から「8時15分までに登校しましょう。」と言われれば、8時15分0秒にベルが鳴ろうが、8時15分59秒までに登校すれば問題なし、という信念を、強い心で貫き通してきた女だ。
そんな心構えでいるので当然、わずかでも不測の事態が起これば遅刻。そうでなくてもこの「59秒までセーフ」の信念をもってして物事にかかれば、一つ一つの行動が遅くなりがちなので、高確率で遅刻した。
―――当たり前である。
さすがに社会人になってこの遅刻(良く言っても遅刻ギリギリ)癖が原因で、仕事で致命的に手痛い目に遭ったので、この信念が通用しないことを痛感した。おかげで私はその後、社会生活で仕事に支障がない程度には、その行動を修正することができた。けれど未だに時々、仕事などでみっしり疲れていると、この「〇分59秒」信念を、主に家族相手に発動させてしまう。家族だからついつい甘えが生まれてしまう、っていうのも確かにある。
一方、父は(前にも書いた通り)退職しても仕事以上に熱中できる趣味が持てないほどの仕事人間。ついでにかなりの“シゴデキ”なので10分前、下手したら20分前行動が骨の髄まで染みついている。母は、と言えば、生来の超せっかち。
何がしか家族行事があれば父がタイムスケジュールを立て、皆に通達してくれるのだが当然、のんびり目に支度をする私の部屋に「まだか、まだか」と二人が代わる代わる顔を出すことになる。そうして支度を終えない私が「まだ出発時間になってないでしょ?もうちょっと待ってよ!」と最後にはキレ気味に返事をする。確かに墓参りにタイムリミットは存在しない、という理由から私がつい、こういうのんびりモードを持ち出してしまうのがいけないのだ。
だが結局この事で、家庭内にはオーバーヒート気味の空気が出来上がっている。
一方こんな時、弟はただただ黙って静かにこの風景を気に病んでいる。
汚れちまった私から見るとまるで嘘みたいだが、ヤツは本気で(僕がてんかんなんかでなければ。後継ぎとしてしっかり役目を果たせていれば、僕がこういう場面を治められるのに)と深く自分を責めている。彼が一家の中で一番きれいな魂の持ち主だと、こんな時、痛感させられる。
が、弟の、その清い魂をもってしても我が家のすったもんだは治まらない。
そんなこんなでスケジュール押し気味になるものの、やっとこせ私の運転で墓へ出発する。最近、近所に新しい道路ができたのでこれを試してみようと、私はそちらの方へハンドルを切る。
と、ここで父の声が上がる。
「さっきの道、曲がるんじゃなかったのか?」
彼は営業マン時代に最短距離、最速で顧客のもとにたどり着ける自分に圧倒的な自信を持っていた。もちろん、これは素晴らしい能力だ。でも、だからこそ、自分が想定したルート以外の道が選択されることに、強烈な違和感を覚えるらしい。
「今度できた新しい道、試してみようと思うんだよ。Yahooのカーナビ(我が家では父も含めGoogleのナビより高い信頼を得ているアプリ)でも近いって出てるよ」と返事をすると、
「そうか」と父は引き下がりはするものの、不満の色は隠せない。というよりあんまり隠そうともしない。いつもの“察してちゃん”発動、である。
その“察してちゃん”を無視して、私は新しい道の方に進む。自分が遅れ気味に支度をしたのだから、多少時間はかかっても父の言い分を通してやればいいのだ。それなのに何から何まで「察してよ」と言われているようでイラッとしている私はあんまりそれを聞かない。
だがそれと同時に「老化、とは新しいものを受け入れられなくなることから始まる」と唱える哲学の説を、私は密かに信じ、恐れている。だから今回みたいに新しいことを受け入れたがらなくなったり挑もうとしなくなることで、父が更に精神的に後退するような気がしてそれを跳ね返したくなる、という気持ちも私の言動の根っこにはある。
ただそんなこと知らない父にとって、こんな時の私は単なる嫌な娘だ。
その結果、車の中にまた不機嫌な空気が霧のように発生する。不思議なことに母はこの一連のやり取りをまるで気にしていないのだが、家族の小さなささくれでもひどく気にしがちな弟は、助手席でまた少し身をすくめる。
私はその霧を吹き飛ばしたくて、前だけ見ながら寺へとひたすら車を飛ばす。
そのお陰か、さほど時間をかけることなく寺へ到着。父は長男たる弟と寺に挨拶に出向く。母と私は花を買い、墓に水をかけまくって拭き上げたり草を取ったりと、一通りの掃除をする。この辺りの家族それぞれの仕事ぶりはスムーズで、めちゃくちゃ段取りがいい。
そのせいで父はみるみる機嫌を持ち直す。長男の務めを果たせた満足感もあるのか、スタートダッシュが遅かったことや、道順がいつもと違ったことなど大した問題ではなくなっている。
車中の不穏な霧はもうすっかり消えている。これが我が家の墓参りツアー良い所だ、と私は思う。
こうして朝からすったもんだした墓参りにも、終了の背中が見えてきた。
と行きたいのだが、最後の打ち上げ花火のように、この行事へのこだわりを持ち出す者がいる。母だ。彼女は墓参り以上に、帰りがてらに回転寿司に寄ることに、全情熱を注いでいる。
この場合、食事は寿司一択。他はまず認められない。
みんなのメンタル、フィジカルのコンディションが良い、大抵の場合はそれが通るのだが、本当に一択なので、たまに反乱が起こる。
そんな時の父は、本来、旅行とかお出かけが好きじゃない性格を全面に押し出し、さっさと弁当を買って家で食事を済ませたい、と言う。
私は、といえば夏場はまだしも冬になると、冷え冷えした酢飯と冷たいネタを食べるのが嫌で、ラーメンとかうどんが食べたい、と抵抗を試みる。この時ばかりは弟がこれに加勢してくれる(彼もラーメンが大好きだ)。
だが、決して母はこれを譲らない。
とうとう最後に私が高齢者の希望をかなえてやるか、とばかりに(結局、実質、私が負ける形で)「まぁ、しゃーないか」と締めて回転寿司屋に向かう。父も最後まで争うのは面倒、という理由でやっぱり折れる。
最近では、両親が確実に外食に行く体力をなくしている。こういう要求そのものも、なくなってくるだろう。こんな風に「~したい」と言ってくるうちが花かもしれない。
そして大体30分後ーーー。
行きつけの安い回転寿司屋で、全くタッチパネルを扱えない両親の代わりに注文を打ちこみ続ける私の姿がある。弟は外で発作を起こして倒れる可能性が高いため、普段は全く外出する機会がない。ので、両親ほどではないが、やっぱりタッチパネルの操作が苦手で極端に遅い。だから私が自分の注文を後回しで、ひたすら父の中トロとか、母のホタテとか、弟のサーモンの注文を打ち続ける。そして最後に自分の分としてイマイチなラーメンやうどんや、茶碗蒸しなどで腹をなだめるのだった。
我が家の墓参りは大抵、こんな顛末になる。果たしてこんなに浮足立った人たちのお参りで、本当に祖先は供養されているのだろうか…。
※今回は nakanoemi3 さんのイラストを使わせていただきました。