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失敗したときほど、自分の課題に気づく

 こんばんわ。今日もおつかれさまです。

 というわけで、社会性0の女が社会人やると結構しんどいこともあるんですが、ここ最近なんとなくマンネリを感じていました。
いや、マンネリなのだろうか? 何だか、やる気があまりわかないというか、自分仕事してるのかな、と思うことが多々あったわけです。

 で、今回仕事上で失敗というか、未だ失敗にはなっていないんですが、個人的に「あーできなかったな」と思うことがありました。詳しくは書けないですし、表面的には失敗もミスもないのですが、僕的には失敗でありミスであり、そこで「どうして自分は出来なかったんだろう」と自分と向き合うことにもなりました。

わかっていて失敗した

 僕の場合、今回については、もう失敗するのはわかっていました。ミスというか、まぁ上手くいかないなというのはわかっていたわけです。そのため、取り返しがつかなくなる前に上司にSOSを出すことができました。
 これまでの経験から、僕は「取り返しがつかなくなる」と思う直前にSOSを出す癖がついています。でも、これは大事なことですよね。特に若者と呼ばれる年代の方々は覚えていて損はないと思います。とはいえ、人によっては「いや、わかってて失敗するバカはいない」と考えることもあると思います。
 はい、ここにいます。
 実際のところ「取り返しがつかなくなる」前にSOSを出せば、会社は何とか僕の失敗やミスをなくすために動いてくれます。何故なら、僕の失敗やミスは会社の損失だからです。決して、僕のことが好きだからとかではありません。ただ、会社のために皆やっているわけです。そうすると、僕が想定した失敗やミスはなかったことになり、炎上しそうだった案件もゆらゆらとどこか軌道に乗ったように見えるわけです。
 物凄く曖昧な内容で「話が見えん!」という人もいると思いますが、大体の人が同じような経験をしているのではないでしょうか。失敗やミスというのは、どこではかるべきなのか。それこそ、表面上は大成功した案件も、人によっては「でも、私はここが出来ていない」と思う人もいれば、「何か良くわからないけど上手くいった」と思う人もいるのではないかと僕は感じています。
 さて、話は戻しますが、僕の今回の失敗やミスについては、僕自身もわかっていました。きっと大変なことになると思っていました。でも、僕にはできなかった。そして、日数だけが経過していって、でも解決策もなく悶々として、最終的に「取り返しがつかなくなる」前にSOSを出したわけです。そして、前述した通り、本案件は周囲の助けもありゆるゆると軌道に乗ったかのように見えています。そこで、改めて考えたいのです。

課題を追求する作業

 何故? どうして? 僕は失敗するとわかっていながらもできなかったのか。
 往々にして、ある問答です。とはいえ僕のようにわかっていながら失敗するような人間も頭がおかしいと思いますが、逆にいえば恵まれているといえばその通りです。僕は僕の評価を引き換えに、自分は何故できないのかを考えることになりました。これは、本当に表面上のことではありません。
 というか表面上の話をするのであれば、実際のところは僕と上司以外は僕のミスや失敗に気づいていないわけですし、そもそも上司も恐らく、僕が何を考えているのか、どうしてやらなかったのか、出来なかったのかもわかっていないと思います。何故って、僕も自分はどうして出来なかったのかもさっぱりわからなかったからですね。
 人には苦手なことがあります。苦手なことは幾ら訓練しても、人並にしかなれません。その一方で、苦手なことだからこそ丁寧に大切に扱うことにより、上手くいくことが多いのも事実です。
 僕は、多人数と関わるのが苦手でした。全員の気持ちを推し量り、全員に対して正しい答えを出すのが苦手ですし、まぁ多様性を認めたいという気持ちがあるから、と言えば聞こえが良いのですが。何というか、人って聞こえの良い言葉に逃げる節があります。実際に僕もそうでした。だから、今回の失敗についてもそういう「気持ち」「価値観」という部分で避けようとしてしまったのだと思います。
 つまりは「僕はそういう人間なんだ」と。もう、開き直りも良いところですね。でも、それでは今後同じことを繰り返すわけです。更に言えば、気持ちの問題だと言われたら、相手も追及することが出来なくなります。一番逃げやすいところなのです。僕も、知らない間に甘えた方向へ行こうとしていました。
 ただ、今回こうして実際に失敗をしたとき、僕が思ったのは「駄目だな」ということでした。気持ちの問題や苦手という言葉を使っていれば、確かに逃げ続けられるのかもしれません。でも、それではいけない。じゃあ、気持ちの問題でもなく苦手意識ではない部分で、自分は改善できるところはないのか?
 そう考えたとき、僕は「わかっていて失敗した」ことが「何とかなった」瞬間に、安堵感を覚えたわけではないことに気がつきました。

隠された課題について

 普通、ミスや失敗がなくなれば人は安堵することだろうと思います。でも、僕は全く安堵できなかった。ゆるゆるふわふわと進んでいるように見える。でも、じゃあ次はどうなるんだろう。そして、また次は。と、上司の書いてくれた線をなぞってみても、どうにも安心できないわけです。
 人によっては「やりたくない、したくない、出来ない」というものに対して「じゃあ代わりにやるよ」と言われれば安堵するのだと思います。でも、僕は今回については全く安堵できなかった。一つ一つ物事が進む度に、軋んで行くのを感じました。次は? この次は? そのまた次は?
 そう悶々としながらも進んでいき、ふと、一つのことをしたとき、安堵した瞬間がありました。これこそが、自分の隠された課題だったわけです。つまり、自分が「やりたくない、したくない、出来ない」と思っていたことの本質なんですね。ほっと安堵した瞬間、「なるほど、これをもっと早くにやっていれば良かったんだ」と思ったわけです。
 そこで、僕は自分の中に隠された課題を発見することができました。

僕の課題

 「社会性0の女」を読んでいただければわかると思いますが、僕は兎に角他人を信用しない性質を持っていますし、非常に生真面目で、自分一人で物事を進めるところがあります。
 そのため、今回についても「自分の中で納得できる結論がでるまでは、誰にも話してはいけない」という成約を自身に課してしまっていたのです。本当に、これは無意識なのですが。これはもう、僕の性格ですね。
 ただ、完成品や綺麗な結論というのは世の中に溢れています。でも、その全てが誰か一人で作ったかというとそういうわけではありません。それなのに、僕は自分一人で全部を作ってからではないと、一歩目が踏み出せなかったのです。その結果、時間ばかりがぐずぐずと流れて、失敗へと至りました。
 僕が安堵を感じたのは、僕が持っている材料を全てえいやと投げて、相手の返答を待つだけ、となった瞬間でした。それと同時に「そうだ、最初から相談してしまえば良かったんだ」と思いました。そのときの、自分の脳内を言葉にするのは難しいのですが、青天の霹靂というか、今思えば「何故自分は一歩目を踏み出せなかったのだろう?」に帰結します。
 僕は結論や完成品を作って、完璧な流れを考えてからではないと、一歩目が踏み出せないのだ、と思い当たりました。しかし、時間は流れていきます。その一歩目を踏み出すのが遅すぎて、周囲からすると「何故今頃になって?!」となるわけです。つまり、僕は本来は非常に真面目で考え過ぎという程に考え過ぎているわけですが、裏を返せば自己中心的な人間に見られるということですね。
 というわけで、今回の僕の課題としては、完成品を考えるのは良い。ただ、そこから逆算して、先ず一歩目を考える。冷静に考えてみれば、全ての工程を自分の思い通りにやろうとしすぎていたとも言えます。たくさんの人がいる中で、落とし所を考えるのは大切ですが、会話をしていく中で変動することもあるわけですから。そして、僕はその一歩目が他人よりも圧倒的に遅い。
 ただ、これに関しては僕と会話したことがある人ならわかると思うのですが、大枠を話されると僕は直ぐに詳細について話しはじめるところがあります。「わかりました。それでは、これは? あれは?」と所謂、詰めてしまうところがある。それも、僕は相手に何かしらのアクションをした時点で、自分の中での落とし所を決めているからなのだと思います。だから、相手もそうだと思ってしまう。「いや、まだそこまで話は進んでないから……」と言われる度に「あ、そうなの?」となって「てへー」と笑っていました。
 一歩目を踏み出すのは一番勇気がいることです。だからこそ、警戒深い僕は、こうなってしまっていたんだなぁと思いますが、今後は意識して変えていかなければと思っています。まず自分が発端となる覚悟と、完成品を考えるのは得意ですから、そこに至るまでの流れを適当に考えて。兎に角、一番大切な一歩目を踏み出すこと。そこからは流れで、最終的に僕の思う完成品に辿り着けば良いわけですから。
 まぁ、勿論気持ちの問題とか価値観については、一歩一歩進む毎に発生するのだと思いますが、一歩目を踏み出すのは誰にでも出来ますからね。気持ちの問題でもないし。まずは、そこから自分を変えていきたいと思います。(し、実際に今日から変わっています)

最後に

 社会性0の女が将来どうなるかはわかりませんが、仕事についてはこんな感じで生きています。最近、何となく悶々としていたのですが、自分の課題について追求することができて、僕としては良かったです。ただ、それに巻き込まれた上司や関係者の皆様にはお詫びを申し上げる所存です。
 ていうか、最近何か上手くいきすぎててつまらんかったのはあるよね。自分が変わっていくというのも面白いものだなぁ、と思います。僕はやっぱり何か課題があったほうが、人生楽しく生きられるのかもしれません。平坦な道よりも凸凹な道のほうが生きてるって感じがする。
 というわけで、恐らく6月から就職活動も活発化すると思いますので、ここで就活生の皆さんへ一言。
 社会人って結構楽しいぞ!(多分、読んでないと思うけど)

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