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社会性0の女

 最近、自分に足りないものは「社会性」なのではないかと思う。そんでいうと、この「社会性」というのが社会人として大切なんじゃないかなんてのも思うわけです。
 集団行動をしてきた経験があんまりないんですよね。家族については、最近色々な論調を聞くというか、毒親とか何かそういうのとか、見た目に見えるものだけではなく、見えないところも見えようとしている社会の流れを感じます。見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込んじゃってるけど、果たして本当にそれが良いことなんでしょうかね?
 いってしまえば、僕は家族という組織の中で「普通なら」学んでる筈の集団行動であったり、協調性であったり、無償の愛というのをさっぱり学べてこなかったんだと思います。すみません、親の教育が悪かったもので。と言いたいところなのですが、逆に言えばそれ以外のことは色々学んできたわけです。
 殴られるときは歯を食いしばらないと舌噛むから危ないとか、「あれ」と言われて瞬時に何が必要なのか判断するスキルとか、自分が評価されたらその分だけ自分の代わりに評価される筈だった人が評価されていない現実だとか、世の中平等じゃないこととか、有り余る金があっても幸せにはならないかもしれないけど最低限の金があれば不幸にはならないこととか、相手を変えるならそれよりも自分が変わらなければいけないこととか、世の中には必ず「やらなきゃいけないこと」があってそれは自分の身体や精神関係なく行わなければいけないこととか。
 所謂外面の良い家だったので、礼儀作法とか言葉使いも結構きちんとしてるんですよ。酒と煙草が趣味なので、ちょっと意外だと思いますけども、簡単に言うと我が家って没落貴族の成れの果てみたいな。丁度、昭和の終わり頃からはじまって平成の波に乗って、めちゃくちゃになっちゃったんでしょうね。数年前までは「どうして僕はこんな人間になってしまったんだ」って悩むこともありましたが、今はまぁ生きてるだけで良いかとか思いはじめてます。
 ていうかさ、世の中にはもっと悲惨なニュースで溢れかえってるわけで。それこそ、食べるものもなく死んでしまう人がいる現実で、僕は殺されなかっただけマシだなとか思うんですよね。それに、なんだかんだ親に金だして貰って大学まで行ったのは本当だし、それに比べたら多少の苦労(?)もそんなもんかなって。我慢すれば養ってもらえるんだから、まぁ良いかってやつですかね。一人で生きるのはなんだかんだ大変だ。昔は「家出なよ!」って言われることも多かったですが、今思えば僕の執着地点は「生きていたい」ってことだけだったんで、何故敢えて家を出る必要が……? って感じだったんだと思う。とにかく明日生きてればそれで良いかって。ほんとそんな感じ。ある意味、不思議な人間になってしまいました。
 昔から捻くれた性格というか、KYというか、不謹慎のレベルがわからないところはあった。別に不良ではなかったんですが、不登校だったし。大学もほぼほぼ行ってなかった。大学デビューしたいなと思って髪巻いてキラキラ系女子になったんだけど、一ヶ月ぐらいで飽きた。というのも、インカレサークルってのに入って飲み会に参加したんだけど、そこで出会った人達の醜悪さに「自分は向いてないな」と思った。酒に慣れてない人に飲ませまくってゲロ吐かせて「きもーい!」とか笑ってる同級生とか、「俺、ブスとは話したくないんだよねー」とか平然と言う同級生とかを見て、ここは僕の居場所じゃないと判断して辞めました。話す内容もつまらないし、変な場所に迷い込んだ感じだった。
 大学時代は、何かのオフ会で知り合った夜の仕事してる子とつるんでたというか、見知らぬ人と飲んだり、深夜の新宿でだらだらしてたり、クラブ行ったり、ぼちぼち生きてた気がします。毎晩飲んでたけど、相手は毎回違った気がするな。とりあえず明るい場所が好きだったし、楽しければオールオッケーだった。
 そういえば、お金に困ることはなかったな。そもそも、アルバイトもお金稼ぎじゃなくて「社会勉強」ってことではじめたし。本当に、そういうとこだけ没落貴族感あって笑う。「恥を忘れたら人間は終わりだ」とか親に言われたりもしたな。人間として生きることに厳格な親だったような気はする。ただ、社会で生きるというよりも、本当に人間そのものについてだから、僕は社会性を学んだことはない。ただ、人間については考える素養は幼少期に培われたんでしょうね。多分ね。
 例えば、今この社会が崩壊したら、自分にどれだけの価値がつくんだろう。そう思うと、肩書きなんてどうでも良いなってなる。だから、僕はあまり肩書きが欲しくないし、偉い人にもなりたくない。これは社会人になって数年経って行き着いたんだけども、偉い人にはなりたくなかった。何故かと言えば、僕はそういう器じゃないから。誰かと一緒に何かをするっていうのは、相手の歩幅を理解しなければいけない。僕も相手もお互いを理解した上で、同じ目的地を目指さなければいけない。
 クッソメンどくせぇぇぇえぇ~~~~~~~~~~~~~~。
 偉くなればなるほど、見なければいけないものを増えていく。僕は僕のことを見るだけで精一杯なのだ。言ってしまえば、社会の歯車でいたい。偉い人の言うことに従って、毎日歩き続けるほうがよっぽど楽だ。っていう話をすると「本当は違うでしょ?」って言われますが、その通りです。本心から言うなら、一人回ってる歯車になりたい。その辺のゴミ捨て場に落ちてるやつで良いから、そこでずっと回っていたい。そしたら、知らない色んなのが引っかかって、大きな歯車になるかもしんないじゃんね。でも、そういうのって許されないんだよね。
 兎に角、僕は偉い人というか偉そうな人がそういうわけで、嫌いなんですよね。嫌いなものはあんまりないんだけど、偉くないのに偉そうな人は嫌いです。この偉そうな人が何かというと、僕に対して「お前はそういう奴だ」と決めつけて話し始める人です。確かに、偉そうな人は実際に偉いわけだから、そこに至るまでに色々な悩みや努力があったんじゃないかと推察する。するよ? でも、それを見せられる前に「俺に従え」みたいなのは「はぁ、わかりました。良くわかんないけど、貴方の言う通りにします」ってなってしまうよね。
 僕には尊敬する上司がいるのですが、この人は僕が社会にでてはじめて、僕を理解しようとしてくれた人です。現密に言うと、上司ではない人で僕を理解しようとしてくれた人はいたのですが、上司に理解してもらうことがこんなに幸福感を得られるものなんだと知ったのは、これがはじめてでした。で、こういう上司に対して、僕は「偉そう」だなんて思わないし、更に言えば「俺に従え」と言われれば「わかりました。先ずは、内容を教えてください」って答えるんだよな。さっきと何が違うかと言えば、僕は心の底から相手を尊敬しているから、相手の指示に対して+αの付加価値をつけたいと思うわけです。それが、僕なりの恩返しなんです。相手の言う通りにするのではなく、相手が達成したいことに対して、相手の立場ではできないこと&僕でしか出来ないことを考える作業に入るわけです。
 でも、これもその上司限定ですからね。社会性が低いんです。動物的といったほうが良いんでしょうか。動物でも恩は忘れないでしょう。僕はどっちかというと動物に近くて、それが「竹を割ったような性格」とか「良くわからない」とか言われてしまうのかもしれませんね。ただ、僕は人間は考えることをやめたら葦になってしまうと思うので、毎日考えています。それも、社会性が低いことらしいんですけどね。あ、動物的で思ったけど、だからあんまり相手のこと信用しないのかも。僕が相手のことを明日急に嫌いになるかのように、相手も明日急に僕を裏切るかもしれない。っていうのはいつも思ってますよ。だから毎日、何か結果をださなければいけない。まだ僕に期待していると思わせて欲しい。そうすれば、大抵のことはやるんじゃないですかね。絶対にできないこと以外は。
 こういう風に自分のことを書いていると、絶対上司にも部下にもしたくないタイプだな~って思いますね。適性検査の結果とかも笑っちゃうし、僕の結果を見せると大抵の人が「使い方を間違えなければ凄く有能なんだろうけど、扱いが難しそう」って言います。意外と適性検査って当たってるのかもしれませんね。


 話がガチャガチャしてきましたが、これが灰音ハルという創作者の一面です。とはいえ、これもエッセイなので嘘塗れかもしれませんよね。自分のことは自分が一番良くわかっていると言いますが、正直僕は自分のことが一番良くわかりません。だって僕の腹かっさばいても、自分では見えないじゃないですか? だから意外と、近しい人から見る自分が一番現実では正確なのかもしれませんよね。ちなみに僕はよく「優しすぎる」とか「真面目すぎる」とか「頭が良い」とか「少し休め(ワーカーホリック」って言われますが、僕自身はそんなことないんじゃないかなーと思ってます。でも皆がそう言うならそうなのかも。
 でもさ、僕のことを「頭が良い」って言う人は大抵が「だからバカの言うことをそんなに気にするな」って言うんですよ。これが優しすぎるっていう感想にも繋がるのかもしれないんですけどね。どうなんでしょうね。僕は自分は頭が良いっていうよりは、自分に対して誠実なだけだと思っています。人間という生物に対しても誠実でありたい。だから、相手のことを理解したいと思ってしまう。相手の複雑な心を理解したい。人生を理解したい。僕の人生なんて、たかが一人の数十年だとしても、他人の人生という歴史を知れば、僕の人生にも色々な意味が見いだせるんじゃないかとか思ったりする。
 たかがと言っても、何の因果か人間として生まれて終わりがあるものなら、自分が納得するまで思う存分に自分の人生を生きたい。そう思うことも変わってるんでしょうか。意外と楽しいぞ、人間って。

 という感じで、ちょっと真面目に書いてみました。えらくない?!
 あと、実はちょこちょこnote構築していってます。平日はお仕事なので、基本は週末に書くかもしれません。三日坊主にならないようにしたいな。飽きっぽいというか、楽しいことが好きなんですよ。まぁこんなこと言って、明日になるのは憂鬱です。お仕事……最近忙しくて……。
 いつか、どっかでお仕事話も書きたいですね。それでは、ちゃおー。

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