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アショーカの木の下で。

さて、僕たちはどこから来て、どこに向かうのでしょうか。

今回の旅の途中で僕は、たくさんのお坊さんやグルとお話をさせていただきました。

そして僕は彼らに決まって「 ”死” とは何ですか?」と尋ねました。

バラナシで出会ったヒンドゥーのグルはこう言いました。

「我々は死んだら、命のサイクルを止めます。そして、魂は空へと昇って行き、生前に良いカルマを積んだ者は神様の宮殿に入ります。そしていつか我々は、神様の宮殿で再会を果たすのです。」

サルナートで出会った仏教のお坊さんはこう言いました。

「我々は死んだら、輪廻のサイクルによってまた現世に帰ってきます。生前に良いカルマを積んだ者はまた人間の体に生まれ変わります。悪いカルマを重ねた者は人間の体には生まれ変わりません。」

およそ2500年前に悟りを開いたブッダ。その4週間後にブッダが7日間に渡り瞑想を行ったというアショーカの木。その木の下で僕は、あるお坊さんに出会いました。

お坊さんは言いました。
「あなたにブレッシング(祝福)を授けたい。」

彼は僕のために地面に小さな布を敷き、僕を座らせると、僕の手にマリーゴールドの花を握らせました。

そして、長いマントラを唱え、マリーゴールドの花弁で祝福をしてくれました。

なんでも20人ほどの弟子がいるお坊さんだそうです。
僕はその透き通った瞳に安心し、先日父が亡くなったこと、父はいまどこにいるのかを知りたくてインドに来たことを洗いざらい話しました。

そして聞きました。

「 ”死” とは何ですか?」

僕の問いに、彼は逆に問い返しました。

そして、僕は直感的に理解しました。
すべてが一本の線につながった気がしたのです。

僕はこの度ホリスティックな旅を続けてきましたが、宗教と科学とを隔てていた壁は近年少しづつ壊され始めていると感じます。

多くの宗教は、我々は「無」から産まれたと説き、
科学はこの宇宙は「何もないただの”揺らぎ”」から唐突に始まったと言います。

多くの宗教は、死者の魂は天国あるいは宮殿あるいは涅槃に入って生き続けると説き、
ある科学は、全宇宙の記憶は我々の周りに存在する真空エネルギーの中にすべて畳み込まれていると言います。

あのアショーカの木の下で、僕はお坊さんに問いました。

「 ”死” とは何ですか?」

そしてお坊さんは僕に問い返したのです。

「では、”あなた” とは何ですか。」

「 ”死” とは何か。」「 ”あなた” とは何か。」

このふたつの問いは究極的に同義であり、だからその答えも同一であるのです。
「生」と「死」は、同義なのです。
「生まれること」と「死ぬこと」は、同義なのです。

我々は埃からやってきて埃に帰するのです。

だから、父はもうここにはいないけれど、
父はいつもここにいるのです。

だから、僕は父にいつでも「ただいま」と「おかえり」を言うことができて、
父もまた僕にいつでも「ただいま」と「おかえり」を言うことができるのです。


本日も文末までお付き合いいただきありがとうございました。

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