チャンスの神様には後ろ髪もあるかもしれない。
「幸せ」とは一体何でしょうか?
2ヶ月前に父親を亡くしたにもかかわらず、僕がいまとても幸せなのはどうしてでしょうか。
それについて考えました。
そして気がつきました。
「幸せ」は「感謝の心」が連れてくる、と。
僕は父を亡くし、とても悲しくてとても寂しい。
しかし父を想うたびに、心に父への感謝が溢れ、幸せに包まれているのでした。
それは「幸せ」があるから「感謝する」、という順番ではなく、
「感謝する」から「幸せ」を感じる、という順番でした。
ならば、「幸せ」なんてすごく簡単なことなのかもしれません。
では、「感謝」とは何でしょうか?
僕たちはどんな時に「感謝」を感じるのでしょうか。
それはきっと「与えられた」ときです。
しかもそれが無条件であればあるほど、「感謝」は大きくなるのではないでしょうか。
「無条件の愛」なんてよく言いますが、父が僕に与えてくれたのはまさに「無条件の愛」でした。
だから僕の心は「感謝」で溢れていて、その結果今とても幸せなのかもしれません。
では、「無条件の愛なんて感じられない!」という人に幸せは訪れないのでしょうか?
いいえ、きっと違います。
なぜなら、僕たちは平等に「貴重な体験をするチャンス」を与え続けられているからです。
年始を機に、ゴールセッティングをする時間を取りました。今年1年のゴールを決めて、そのゴールにたどり着くまでにいまこの瞬間にできることを棚卸してみました。
そして、気がつきました。
僕たちには、次の瞬間に何でも選ぶことができるチャンスが与えられているのです。しかも毎秒毎秒何度でも。
宇宙は無条件で僕たちに、「貴重なチャンス」を洪水のように与えて続けてくれているのです。
これはもう、生きているだけで感謝ですね。
感謝に気がつけば笑顔になる。
笑う門には福来たる、てなもんです。
本日も文末までお付き合いいただきありがとうございました。
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みなさまの幸せをお祈りしております。
それではまた次回。
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