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僕はインドにも父を見る。

インドに限ってのことではないですが、
外国の旅で出会う人たちは僕に真っ先に問います。

「家族は元気か?」

僕はこの質問がとても好きでした。
外国人である僕に何よりもまず尋ねてくるこの問いに、彼ら自身の家族への愛情を感じずにはいられないからです。

今回の旅でもそうです。
出会う人出会う人に聞かれます。
「家族は元気か?父さん、母さん、爺ちゃん、婆ちゃんのことだよ。」

いつもなら「元気だよ。」と笑って答えるところですけれど、今回は少し勝手が違います。

別に「元気だよ。」で誤魔化してもいいんですけどね。
それもなんだかな、ってことで、
僕は正直に話すことにしました。

「父はこのあいだ亡くなったんだ。」

そう答えると、彼らはみんな悲しそうな顔をしてひととき時間を止めてくれます。
そして、知っているはずのない僕の父親に、小さく祈ってくれるのです。
そんな彼らの姿を見て、僕は思います。

「あ、いまここに父が産まれたんだな。」

と。

僕に話しかけてくれたはずの異国の彼らはみんな、僕の言葉に父の影を見るのです。

彼らの心には、一瞬でも、それぞれの形で父が生まれるのです。

僕たちは親や先祖のカルマを癒すためにこの世に産まれてきている、という人がいます。

そして、父のために祈ってくれた彼らは、今を生きる僕の姿に父を見たのです。

父はとても穏やかな人でした。
もしも僕がそんな父のカルマを背負っているのだとしたら、
異国の地でたくさんの人に話しかけられ友人や家族のような存在が増えていく幸せなこの経験は、父のおかげなのかもしれません。

そして、僕は思います。
「ならば、僕も丁寧に生きなくてはいけない。」

いつか僕にもその時が来る。
そして、そののちに、残された僕の家族に人々が僕の影を見るのならば、僕は1秒1秒を丁寧に生きなくてはならないのです。

本日も文末までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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