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FFⅥ 感動のエンディングのはずが何1つ頭に入ってこなかった話【ネタバレ注意】

※この記事にはFFⅥ(ファイナルファンタジー6)のネタバレが含まれます。ご注意ください。




FFⅥ(SFC版)をクリアーして早一週間、いつものようにゲーム感想を書こうかなーと思いましたが、記事のタイトル通りの状態であまり書く気がしませんでした。

FFⅥ、登場キャラクターが全て主人公の触れ込みに通り、どのキャラクターにも深い設定があり本当に楽しい作品でした。

物語の起点となったティナ、あまりにもむごい仕打ちを受けたカイエン、後半から一気に頭角を現すセリスなどどのキャラクターも本当に思い入れが出来て物凄く楽しいゲームでした。

そんな楽しい作品なのに、どうして感動のエンディングが何も頭に入ってこなかったのか。

それは


私の推しがシャドウだったからです。


初登場シーンから、「俺はいつでも死神に追われている」と、とんでもない効くセリフを発言しており、そのキャラビジュアルから速攻お気に入りになりました。

なげるコマンドは使ってて痛快でしたし、そのキャラクター性から仲間になったり、ならなかったりとじらす感じも凄く私の心をつかんでいました。

シャドウのイベントも全てこなし、彼の過去や人間関係なども全て網羅し、積極的に連れていきレベルも一番上がっていました。

そんなこんなで冒険メンバーは隠しも含めて全員仲間に最終決戦。

熱い語りや問答を終え、流石FFⅥと言わんばかりのギミック戦闘を終えていざ感動のエンディング。そこでは仲間にしたキャラクターのエピローグ的なものがありました。

どのキャラクターも味が出てて、私は推しのシャドウのエピローグを心待ちにしていました。


そして彼は死にました。


嘘……だろ……


これ以降のエンディングはあまり頭に入ってきませんでした。

崩れ行く瓦礫の塔から脱出なるか! 幻獣であり人間であるティナ運命は! など盛り上げ要素だらけだったのですが、まぁーまぁー。

やめてくれカカシ、シャドウの死は俺に効く。

ってなりましたね。

私のオタク人生はそれなりに長く、アニメやゲームなどで推しが死ぬことは結構ありました。ここ最近クリアーしたゲームでも好きになったキャラが死んだことは多々あります。

じゃあどうして私の心が彼の死にここまで揺れたのかなーと自己分析しました。

さて、ここから先は完全に私個人の解釈と感想になります。それでもいいという方はこのまま読み進めていってください。










それでは。


私の気持ちがどうしてここまで揺らいだのかなーと自己分析して一つわかりました。

シャドウの死には意味がないのです。


こう書くと聞こえは悪いかもしれません。ですが私がダメージを負ったのは多分そういうことなんだろうなーといった感じです。

先ほど今までも推しが死ぬことはあると書いていました。ですが推しというのは推すほど理由があり、推すだけのキャラの魅力があります。

そしてそんな魅力的な推しは、推しにふさわしい死ぬべき理由が用意されています。

近年でプレイしたゲームでも、『世界を救うため』『大切な人を助けるため』『主人公の覚醒のシーン』『たった一つの小さな希望を繋ぐため』など死に対して華々しいシーンを用意されていました。

死んだキャラクターの思いを胸に、残されたキャラクターが生きていく。とてもいいシーンです。

ですが、シャドウの死はそれらがありません。

人知れずいなくなった彼は、人ではない相棒インターセプターにだけ自身が死ぬことを伝えその命を終えます。

その死には外的意味がありません。ここで彼が生きてても、ラスボスが蘇るわけでも、世界が崩壊に向かうわけでも、何十年と正体を明かしていない家族が悲しみに暮れるわけでもわけでもありません。

ここでシャドウが生きようが死のうが世界は問題なく回り続けるのです。

この展開が最後、ラスボスを倒し終えたあとに来るのは正直かなり効きました。

SFCのゲーム構造上、完全に仕方がない部分はあるとわかっていながら、ファルコン号の最後のシーンで、シャドウがいないことに誰も触れてないのもまた効きました(FFⅥはゲームシステム上、全員を仲間にしなくてもクリアーが出来るため、もちろん仕方ないこととわかっていますけどねw)

そして何が一番辛いって、シャドウ自身が死ぬことでしか救済されないことですね。

先ほど外的に彼の死は意味がないと書きましたが、シャドウ自身としては死ぬことでしか終われないと思っていたのでしょう。

だけどただ簡単に死ぬだけでは相棒のビリーに申し訳が立たない。そうしていつ死んでもおかしくない修羅の道に自身を置き、それでも死ぬことがなかった彼は、『世界を救う』という大業を終えようやく自死の道を選ぶことが出来ました。

それだけのことをしないと自分の許せなかった彼が、ようやく自分を許すことが出来た。これは彼にとって救いなのでしょう。

ですが、プレイヤーとしてはなかなか呑み込めないのは事実だと思います。

なかなか仲間にならない! 生還させるのも大変!! その後仲間にするのも前情報なしではかなり大変!!

それらを乗り越え一番使用し、一番好きなキャラクターならなおのことだと思います。

少なくとも私はシャドウのエピローグを見て、その後の感動のエンディングが全く頭に入ってきませんでした。

これが私が感動のエンディングが全く頭に入ってこなかった理由です。

シャドウの厄介なところは安易に『実は生きてた!』って後付け設定をされても、あくまで私個人の感想としては蛇足だと感じることです。

ようやく死ぬことで自身の業から解放されたのに、安易にその死をなかったことにしたくないのが私の考えです。

さて想いのままに書いているうちに何だかよくわからなくなってきましたが、FFⅥ、噂に違わずきっちり楽しませていただきました!

次はどんなゲームをしようかなーと思いながら、ここらで話を締めたいと思います。

それでは~ ノシ



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