9045パーソナリティ

自分を知るための5つの「モノサシ」—『パーソナリティを科学する』試し読み

メンタリストDaiGoさん「おすすめ」の本書は、自分の性格を知るための科学的な本です。自分の性格を客観的に知ることができれば、自分に合った生き方を選ぶことができますし、あえていつもの自分とは違う行動を起こして、自分の殻を破ることもできるようになります。2020年、新年の目標を立てるにあたって、自分を見つめなおしてはいかがでしょうか?

DaiGoさんオススメの『パーソナリティを科学する』から「はじめに」をお届けします。

DaiGoさんのオフィシャルブログ


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9045パーソナリティ

パーソナリティ研究のルネッサンス


リーは頭の切れる成功した実業家だ。三十五歳になろうといういま、出世への階段も順調に歩んでいる。仕事ぶりは優秀で精力的と評されている。たしかにそうに違いないが、実はそれだけではすまない。彼はまわりの馬鹿な連中に我慢できない。同僚や取引先の人間が自分より優位に立ちそうだと思うと、すぐさま相手に食ってかかる。猛烈に腹をたてて痛烈な皮肉をとばし、自分が相手のことをどう思っているか、遠慮会釈なく口にする。その結果、仕事はできるが、敵も作るということになる。いつも争いごとにはまりこみ、社内で孤立しては、結局は何回も会社をかわったり、部署をかわるはめになる。そうすると気のいい同僚たちが介入して争いを収めたり、彼が新しく作った敵とかかわらないですむようにいろいろと苦労するわけだ。

職場以外でも、リーが嫌っている人間はたくさんいる。彼はこれまでに何度も外国に行っているが、そのうち少なくともいくつかの国については、そこに暮らす人たちが嫌いだと公言してはばからない。いわく野蛮だ。いわく、のろまだ。いわく、パーソナルスペースに踏み込みすぎる……。外国だけではない。運転している車の前に割り込んだり、並んでいる列でのろのろ進んだり、ぐずぐずして自分を待たせる連中を彼は許せない。こうしたことが起こるとすぐにカッとなって、汚い言葉で相手を罵って何とも思わない。かといって、別に社交が嫌いなわけでもない。それどころか、パーティに行くのは大好きなのだ。だが、集まった人々が彼の基準からすれば「まずい」タイプだったり、あるいはまたパーティのやり方が「間違って」いたりすると、彼はたちまち退屈し、せっかくの夜を無駄にしたことに苛立ちを隠さない。たとえ「良い」パーティであっても、最後には自分と政治的立場や趣味が違うどこかのだれかと派手な口論を演じて終わるかもしれない。

リーにはわずかながら親しい友人がおり、今でもつきあいはつづいている。だが、そこでもトラブルがないわけではない。どの友人との間にも、言い争い、喧嘩、不機嫌、そして和解へとつづく長い歴史があるのだ。恋愛も同じである。必ずどこかしら考え方の違いが見つかったり、相手が情緒不安定だとか、しつこいとか、いずれにせよ自分にはふさわしくないことが判明するのだ。女性のほうも、リーがエゴイストだとか、思いやりがないとか言い出して、破局になる。そんなわけで、長期にわたってうまがあうパートナーは、まだ現れていないようだ。

リーと対照的なのがジュリアンである。彼は(現時点で)旅関係の雑誌に記事を書いている。仕事の性質上、彼は世界中を旅し、インドの宗教儀式やシベリア横断鉄道についての話を調べてまわる。旅は彼の現時点での情熱の対象である。ただしいつもそうだったわけではない。大学時代、彼は音楽を勉強し、卒業と同時に熱狂的なバンド活動に身を投じた。その演奏は、伝統的な中東音楽とモダンポップとの奇妙なコンビネーションだった。ジュリアンの熱意は仲間たちを巻き込み、数年の間、彼らのバンドは地域でかなりの成功をおさめた。もっとも、音楽業界で「かなりの成功」というのは、外から見えるほど華やかなものではない。それが意味するのは、せいぜい三〇人か五〇人くらいの観客の前でライブをたくさん行い、移動中のバンで眠り、不潔な赤の他人とアパートをシェアすることである。だが、そんなことは問題にならない。とにかく音楽がすべてなのだから。

バンドの生活に二年ほどはまったあと、ジュリアンは幻滅を感じはじめた。彼は落ち込み、ひきこもるようになった。当時、彼は同じバンドにいるレバノン人のバックシンガーと同棲していたが、彼女との生活もまたマンネリ化していた。すでに当初の歓びは感じられなくなっていた。彼は悩んだ。二人の関係はどこに行き着くのか。かつては信じられないほど興奮と刺激に満ちていたものが、ふいにその光を失い、今ではどこにも行き場のない踏み車に乗っているかのように感じられた。やがてジュリアンはバンドをやめ、女性とも別れて、今度は何を思ったか、ビジネスマーケティングの修士課程に編入した。友人たちは驚いた。ロック歌手のジュリアンが背広を着る?何を言われても、ジュリアンは気にとめなかった。ビジネスというのはほんとうに面白い。その対象は人間である。人間がどのように交流するかを扱うのがビジネスだ。実際これはクリエイティブだ。新しい人間関係と、よりよい生き方をもたらすためのものなのだ。

言うまでもなく、これも長続きしなかった。卒業する頃になると、彼の熱意はすっかりさめていた。目の前に広がっているのはただ、このさき三〇年間、朝の九時から夕方五時までオフィスで働くという罠だけだった。このときには彼は本物のうつとなり、医者とカウンセラーの両方にかかった。医者からは抗うつ剤を処方してもらい、カウンセラーからはニューエイジ志向のサイコセラピーを受けた。そのあとしばらく、当時つきあっていたガールフレンドと一緒に、レイキ〔霊気:手で触れてエネルギーを送り込む治療法〕、サイコドラマ〔即興劇の手法による集団精神療法〕、インド式ヘッドマッサージをやって生計を立てた。二人は都会を離れ、田舎のだだっぴろい農家に住んで、つつましく、だが健康的に暮らした。外国旅行など、彼らには必要なかった。「生気あふれる健康的生活」というのが、二人の生き方だった。

この生活は三年つづいた。やがてパートナーとの間にひびが入り、やっていたセラピーにも幻滅を感じはじめた。そしていくつかの偶然の出会いを通じて、旅の雑誌に文章を書くチャンスを得たのだった。一年前から始めたこの仕事を、彼はひどく気に入っている。とびきり素敵なフランス人の恋人もいる。彼女は写真家である。旅すること、そして旅の記事を書くこと。これこそ自分がずっと目指してきたものなのだ。

リーとジュリアン。これほど違った人生を送っているにもかかわらず、この二人は同じ年齢の男性である。容易に想像できることだが、おそらく二人ともまあまあ普通の中流家庭の出身で、同じ程度の知能と学力をもち、おおむね似たような文化的期待や価値観にさらされて育ってきたはずだ。こんなふうに本質的に同じひとそろいの経験をして育った二人の人間が、少なくともリーとジュリアンくらいの違った人生をたどるというのは、私たちが常日頃から人間について知っていることからすれば、けっして不思議ではない。それにしても、彼らが生まれ育った当初の社会的環境がこれほど似ていたとすれば、その後の二人の人生がこれほど違ってきた理由は何であろうか。

この問いに対して、心理学者でない人々は直感的にこう答えるだろう――二人の人生に異なる結果をもたらしたものは、彼らが個々にもっている異なるパーソナリティ、もしくは気質、もしくは性格である。それではパーソナリティとは何か。彼らはこう答えるだろう。パーソナリティとはその人の内部にあって、生まれつき備わっている変わることない何かであり、何らかの出来事の流れに直面したときのその人特有の選択、モチベーション、反応、そして障害に因果関係をもつものである。彼らはつづけて言う――パーソナリティが働いていることは、その人が遭遇する人生のさまざまな出来事のなかで、いわば主題の再現のようなことが起こることからわかる。たとえばリーの場合、職場では数年のうちにほとんどの同僚と敵対してしまうし、同じように汽車や飛行機の中でも、隣りにすわる人々に敵意を抱くのだ。そこに至るまでの時間もまったく違うし、たがいの関係で生じる利害にも大きな差があるけれども、彼のごく近くにいる他人は遅かれ早かれ彼が嫌がることをするという事実は、リーの人生を通じて一種のライトモチーフとして繰り返される(本人はライトモチーフなどとはけっして考えないだろう。彼は心理学者や心理学の本など、人を退屈させる以外の何ものでもないと見ているのだから)。

ジュリアンの人生にも同じように、いくつか繰り返されるパターンがある。フュージョン・ミュージック、サイコドラマ、自給自足の農場生活、旅行記事を書くこと――どれもふつうと違っており、またクリエイティブだ。しかもジュリアンは、まだ若くしてこれらすべてに惹きつけられたのである。そこにはまるで、つねに新しいやり方で世界を経験し、新しいやり方でその経験を表現しようという、不断の欲求があるかのようだ。ジュリアンの人生選択にはもう一つ、特徴的なパターンがある。彼は新しい領域を見つけると、すっかり夢中になって人を巻き込み、それに衝き動かされていく。このことは、彼が新しいプロジェクトを立ち上げるときには、きわめて役に立つ。立ち上げてからしばらくの間は、ひたすらそれに熱中し、その難点も限界も耳に入らない。だが、時とともにこれらの感情は色褪せる。当初の熱中にかわって、疑惑と将来についての悩みが彼を襲う。あふれんばかりのエネルギーにもかかわらず、彼は不安と悲しみに打ちひしがれる人でもあるのだ。

ジュリアンの仕事のキャリアに一貫して流れるパターンは、恋愛関係においても顕著である。彼の場合、関係はおおむね二年か三年つづく。当初の激しい情熱の時期から(その間はどんなに家族が穏やかに諭し、それがいかに愚かで、浅はかで、無理があるか悟らせようとしても無駄である。夢中になっている本人からすれば、そんな忠告はひたすらばかげていて、表面的で、何もわかっていない連中の戯言でしかない)、惨めさや不安感がつのる段階を経て、引きこもりへと移っていく。この時期、ついにあきらめた家族が彼の選んだ恋人を受け入れようとすると、今度は逆に恨まれてしまう(「なんでみんな、ぼくには彼女なんか必要でないことがわからないんだろう?」――間違っているのはいつも親のほうなのだ)。このあと、いくぶん興奮に満ちた適応と立ち直りの時期がつづき、そのうちにつぎの情熱の対象が現れてくる。

当初の熱中とそれにつづく引きこもりと拒絶というこのライトモチーフは、他のレベルでも認められるだろうか。そう、私には想像できる。彼の家には本屋から持って帰ってまだ読んでいない本が何十冊も置いてあることだろう。「ニーチェは最高だ。彼の本は全部読むつもりなんだ」――興奮しながら言っている彼の姿が見えるようだ。本だけではない。とつぜんのハイに駆られて買い込み、二度だけ使ったパン焼き機、一回だけ弾いたヴァイオリン、それにフルサイズの織り機(!)。これらはすべて、ふいに訪れた熱中状態と、なにか変わったことを始めようという欲望、そしてその後はそれをつづけていくほど充分満足が得られなかったり、あるいは意欲をそぐネガティブな感情の泥沼に落ち込んだりしたことを示す記念品なのだ。これは恋人との関係や仕事に見られるのと同じパターンで、ただ規模が違うだけなのだ。

違った規模で、同じパターンが現れるというのは、きわめて興味深い性質である。それはたとえば、フラクタルと呼ばれるあの優美な形状のもつ性質でもある。複雑性理論の学者や、グラフィックデザイナーが愛してやまないあのフラクタルだ。フラクタルの場合、きわめて大きなセクションを見ても、きわめて小さなセクションに注目しても、同じパターンが現れる。部分が全体を表し、またその逆でもある。フラクタルがこの性質をもつのは、それらを生成する数学関数の特質による。

人間のパーソナリティもいくぶんフラクタルに似ている。別に人生における主要なストーリーのことだけ言っているのではない。恋愛、キャリア、友情――こうした人生の大きな局面で私たちがとる行動は、時を経ても一貫している傾向があり、しばしば同じ種類の成功や失敗を繰り返すのは確かである。だが、それだけではない。買い物をしたり、身支度をしたり、電車内で見ず知らずの人に話しかけたり、家の中を装飾したりといったちょっとした交流場面での行動が、人生全体から見えるものと同じタイプのパターンを見せているのだ。私たちはよくこんなふうに言う――「それっていかにもボブらしいね……。」こういうことが言えるのは、それまでのさまざまな状況のなかで私たちが観察してきたボブの行動が、今後の状況――まったく違う状況をも含めて――で彼がとるはずの行動を予測する合理的なガイドになるからなのだ。フラクタルの自己相似特性が、それを定義する数学関数によって生成されるのと同じように、パーソナリティのもつ自己相似の性質もまた、人間の神経システムのもつ何らかの物理的特質によって生成されているように思われる。言い方を換えれば、私たちはこんなふうに感じているのだ――だれかのパーソナリティについて語ることはすなわち、その人物の神経システムがどのように配線されているかを語る手っ取り早い方法である、と。

本書はパーソナリティの心理学について考察するものである。このなかで私は、人間には永続的なパーソナリティ傾向があることを証明するつもりだ。それらのパーソナリティ傾向は神経システムの配線のされ方に由来するものであり、さまざまな状況でどのように行動するかをある程度まで予測するものである。本書ではまた、パーソナリティ研究の基となる科学を紹介していく――どのようにパーソナリティを計測するか、計測とは何を意味するのか、それは何を予測するのか。そもそもなぜ、個人間にパーソナリティの違いがあるのか。最近までパーソナリティ心理学は、心理学の他の分野にくらべて、どちらかというと低いステータスに甘んじていた。科学的裏づけはおそまつなうえ、内部ではさまざまに議論が分かれ、「ハード・サイエンス」としての心理学の最先端からはるかに遠いところに位置づけられていたのである。かつては、こうした見方もいくらかは正しかったかもしれない。だが、状況は変わった。現在、パーソナリティ研究においてはルネッサンスが進行中である。私の願いは、この本がそのルネッサンスを世に知らしめるさきがけとなることである。なぜ、今がルネッサンスにとって理想の時なのか。それにはいくつかの理由がある。第一に、今ようやく私たちは、使用に耐えるパーソナリティ概念のセットをもつに至った。しっかりした科学的根拠に基づき、われわれ心理学者たちが同意できる概念セット――パーソナリティの五因子モデル、もしくはビッグファイブと呼ばれるものがそれである。五因子モデルはここ数十年にわたる研究のうねりの中から現れてきたもので、人間のパーソナリティを論じるための枠組みとして、これまで現れたもののうち、最も総合的で、最も信頼性をもち、また最も役に立つものと思われる(第1章)。このパーソナリティ・モデルの基本となる考えは、パーソナリティには五つの主要次元があり、すべての人間の性格はそれぞれの次元に沿ってさまざまに異なるというものである。すべての個人について、五つの次元にそれぞれ対応する五つのスコアを出すことができる。そしてそのスコアからは、その人物が一生を通じて見せる行動傾向について、きわめて多くのことが見てとれるのである。

パーソナリティ研究にとって、五因子モデルの出現はまことに役に立つものであった。この分野では、これまで長い間、さまざまな研究者がさまざまに異なる概念を使って研究しており、それが大きな弱みとなっていたのである。以前なら、ある心理学者はあなたのパーソナリティ評定として、報酬依存と損害回避の傾向に大きなスコアを与えたかもしれないし、別の心理学者は思考タイプ、感情タイプ、感覚タイプ、あるいは直感タイプに分類したかもしれない。この結果、おびただしい数の研究がたがいに系統的関連性をまったくもたないまま、それぞれ違ったパーソナリティ概念をばらばらに測定するという苛立たしい状態がつづいた。このすべてが、パーソナリティ研究分野を科学活動としての低いステータスにいよいよ甘んじさせたのだった。すでに一九五八年には、ゴードン・オールポート〔1897-1967米国の社会心理学者〕がこの状況について苦言を呈し、「どの査定者もお気に入りのユニットをもち、診断のためのお気に入りのテストバッテリーを使っている」と述べているが、事態はその後何十年もますます悪くなるいっぽうだった。

こうした混乱に、ある秩序をもたらしたのがこの五因子モデルであった。これまでの構成概念が無価値だったと言っているのではない。そうではなく、以前に使われていた構成概念のほとんどが、事実上、五因子の枠組みのもとに含まれてしまうということなのである。それが五因子のうちの一つであれ、その下位特性の一つであれ、二つの因子を一つにまとめたものであれ、いずれにせよそのほとんどは、新しい五因子構成のなかに組み込むことができた。これがじつに役に立ったというのは、その結果として五因子モデルがパーソナリティ心理学研究分野での混乱をおさめ、人と人の主要な違いを理解し特徴づけるための軽便な枠組みを提供したからである。パーソナリティ心理学の分野で大きな影響力をもつポール・コスタとロバート・マクレーによれば、五因子モデルは、パーソナリティ研究の個々の成果がすべて飾りつけられる「クリスマスツリー」だという。この本のなかでも、五つの因子は私のクリスマスツリーとなっている。ビッグファイブのそれぞれが、各章のテーマなのである(第3章から第7章まで)。

パーソナリティ研究のルネッサンスが、今まさに花開こうとしている理由は、もう一つある。近年の神経科学の驚異的な進歩がそれだ。ことに陽電子放射断層撮影法(PET)や機能的磁気共鳴映像法(fMRI)などの脳画像診断テクニックがそれを後押ししている。これについては、このあとしばしば触れることになろう。これらのテクニックによって、生きたまま、目覚めたまま、そして考えている状態のままの人間の脳の構造と機能を、非侵襲的に、つまり外科的処置なしに見ることが可能となった。人々はこれらの新しいテクノロジーを使った研究に殺到した。最初の波は、脳の働き一般を探ろうというものだった。脳のどの領域がどの機能とつねに結びついているのか、という問題である。だが第二の局面は、個人間の違いに関わるものとなった。(通常の)集団内において、人によって脳の構造の相対的なサイズは異なる。そしてまた、脳が特定の仕事に反応する場合の代謝活動にも、個人間できわめて大きな違いがある。このような個人間での脳の構造と機能の違いから、いまや新しい科学が出現しつつある。そしてこの新しい科学の研究成果は、そのままビッグファイブのパーソナリティ次元にぴったりはめこむことができるのである。

パーソナリティへの関心におけるルネッサンスをもたらした第三の領域は、人間の遺伝学とゲノム学である。ヒトゲノムの配列は二〇〇一年に完成された。脳画像化の場合と同じように、最初の関心は個人ではなく、人間一般を理解することに向けられた。それゆえヒトゲノム計画の最初の目標は、私たちすべてが分かちもっている二万五〇〇〇〜三万の遺伝子の共通の構造を決定することだった。これはおよそ二〇〇人のDNAの「コンセンサス(共通)」配列に基づく。すでにコンセンサス配列は公表されており、今や遺伝子の個体性への関心が強まっている。それらの二万五〇〇〇〜三万の遺伝子の多くにはいくらかのわずかな違いが存在する。病気へのかかりやすさだとか、特定の薬品への反応、特定のタイプの心理的問題への弱さなど、その他さまざまな点で、個人間で甚だしい差があるのはよく知られている。そしていま、人によって違うこれらの傾向が、それぞれがもっていると考えられる遺伝子変異体に関連しているらしいことがわかってきた。私たちはみな自分の血液型を知っているが、あまり遠くない将来には、自分のゲノムの配列を知って、乳がんや心臓病にかかりやすいかどうか、ある種の薬剤に敏感かどうかがわかるようになるだろう。遺伝子の個体性についてのこの新しい科学もまた、パーソナリティと結びつく。あとで述べるように、人のパーソナリティは、その人がどんな遺伝子変異体をもっているかによって、なかば決定されるからだ。

なぜ今がパーソナリティ・ルネッサンスに理想的な時期なのか、これまで三つの理由を見てきたが、最後にもう一つ、進化論的考え方の広まりが挙げられる。進化論的思考とは、集団がどのように自然淘汰を通じて今の状態に至ったかという根源的な問いとともに、直接的にはどの遺伝子が、あるいは脳のどの部分が関わっているのかを問う考え方である。進化論的思考は、心理学の分野で大きな広がりを見せており、心理学のさまざまな領域に新たな深さと説明力をもたらしている。さきに述べたさまざまな新しい科学の分野と同じように、進化心理学においても、当初の関心は私たち全員が共有する心のメカニズムのデザインを理解することにあった。したがって、個人による違いにはたいして関心は寄せられなかったのである。だが、ここでも状況は変わりつつある。私たちはみな、人間以外の種においても個体間の気質には違いがあることを知っている。進化論的視点でこれを見ると、いくつかの重要な質問が浮かび上がる。なぜそこに差異があるのか。自然淘汰は究極的にそれを排除するのか、あるいは結果としてそれを増大させる方向へ導くのか。どんな環境のもとで、自然淘汰は集団内部でその個体差が存続するのを許すのか。これからパーソナリティ特性について考えていく道筋のなかで、これらの問いは繰り返し立ち現れることだろう。

本書は、心理学の研究者のみを対象としたものではない。私はこれを、関心のある一般読者に向けて書いた。このため、研究論文につきものの学術的な詳細や出典は最小限にとどめている。このように一般読者にとっての読みやすさを心がけながらも、内容は批判の目を忘れてはいないつもりである。この本のなかで私は、現時点でわかっていることをしっかりした科学的根拠に基づいて書き、私が知っていることと、今の時点では推測でしかないことを、公平な立場で区別するように努めた。考察はいくつかの要素に基づいて展開されている。第一の柱は、多くのすぐれた学者たちによる研究文献であり、第二の柱は私自身が行った最近のパーソナリティ研究、そして第三の柱は、世界中に広がる私の通信者が書き送ってくれた驚くべきライフ・ストーリーである。全員、私の研究に被験者として参加してくれた人たちで、したがって彼らの五因子パーソナリティ・データは手元にある。私の求めに応じて、彼らは自分の人生について、感情について、そして他者との関係について――しばしば詳細にわたって――啓発的な文章に綴ってくれた(これらのストーリーを引用することで状況がむしろややこしくなるという苦労はあったけれども)。ストーリーを引用するにあたっては、匿名性を確保するために細部を変えている(リーとジュリアンのケースはこれに当たらない。彼らのストーリーはフィクションである。あとはすべて実際のライフ・ストーリーである)。

このように実在の人々にライフ・ストーリーを書いてもらい、それを本書のなかに引用した理由は、ほとんどの読者は理論のためのパーソナリティ理論よりも、人間を理解することのほうに関心があると思われるからだ。とりわけこの本を読んでいる読者ならば、きっと自分のパーソナリティを知り、理解したいと思っていることだろう。そのため巻末には「ニューカッスル・パーソナリティ評定尺度表」を載せてある。読者には、読み進める前にまず、そこで自分のスコアを出すことをお勧めする。読んでからでは、答が何を意味するのかわかってしまうからだ。この尺度表で出た自分のスコアを手元において、これからの各章、とくにビッグファイブを一つずつ説明している第3章から第7章を読んでほしい。だがその前に、避けて通れない段階として、二つの予備的な問題を探らなければならない。一つは「パーソナリティ特性とは何か」であり(第1章)、あと一つは、「なぜ進化は、同じ種の個体間に生物学的な多様性が持続するのを許すのか」(第2章)という問いかけである。


『パーソナリティを科学する』の紹介ページ

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