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『家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている』試し読み

家の中には、生き物(ペット以外)はいないし、入れない。そう思っているかもしれませんが、そんなことはあり得ません。生態学者である著者のロブ・ダン氏が調査したところ、欧米の一般的な家の中には平均で20万種を超す生物がすみついていることが明らかにされました。そして、アジアの家々はそれ以上の生物がいることもわかったのだそうです。20万種! 最近、腸内細菌が注目され、人体には人間の細胞の数を軽く上回る微生物がすみついていることが知られるようになりました。それと同じように、人間の家にもたくさんの生物がすみつき、それぞれが役割を果たしているのです。

そんなほとんどの人が考えもしなかった屋内の生物に注目した、ユニークな科学書から「序章 ホモ・インドアラス(屋内人)」をお届けします。自粛生活がつづき、室内で過ごすことが多くなった昨今、そして除菌を入念に行うようになったいま(除菌をやりすぎたら家の生態系はどうなるのでしょう)、とってもタイムリーなテーマを扱った本です!


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序章 ホモ・インドアラス(屋内人)


 子どものころ、私は外で遊んで大きくなった。妹と二人で砦を築いたり、穴を掘ったり、小道を作ったり、蔓にぶら下がったり。家というのは、寝るために帰る場所、指がちぎれそうなほど外が寒くなったときにだけ遊ぶ場所だった。私たちが住んでいたミシガン州の田舎は、春先になってもそれくらい寒かった。それでも子どもたちはみな、普段は屋外で過ごしていた。

 私たちの子ども時代以降、世の中はすっかり様変わりした。現代の子どもたちは、しばらくある建物の中で過ごすと、また別の建物に移動するというように、もっぱら建物の中で育っている。これは誇張ではない。現在、平均的なアメリカ人の子どもは、生活時間の九三パーセントを屋内または車内で過ごしている。アメリカの子どもたちだけではない。カナダの子どもたちや、ヨーロッパやアジアの多数の国々の子どもたちについても、同様の調査結果が報告されている。

 このような話を持ち出して、世界の現状を嘆こうというのではない。そうではなく、このような変化は、人類の文化的進化が全く新たな段階に入ったことの表れだと言いたいのだ。私たち人類は「ホモ・インドアラス(屋内人)」になった、あるいはなりつつある。私たちは現在、戸建住宅や集合住宅の、壁で仕切られた世界で暮らしており、しかも、集合住宅の各戸は、屋外よりもむしろ、廊下や周囲の家々とつながっている。

 こうした変化に照らして考えるならば、どんな生き物が私たちと一緒に家の中に棲んでいるのか、そうした生き物が人間の健康や暮らしにどんな影響を与えるのかを知ることこそ、私たちが真っ先に取り組むべき課題のように思われる。ところが実際には、ほんの上っ面のことしか解明されていないのである。

 微生物学の黎明期以降、家の中には他の生き物も生息しているということが知られるようになった。当時、アントーニ・ファン・レーウェンフックという一人の男が、自分の家屋や身体、さらには隣人たちの家屋や身体に、おびただしい数の生き物がいることを発見したのだ。彼は異常なほどの喜びと、畏怖の念すら抱きながら、このような生き物たちを研究した。しかし、彼の没後一〇〇年の間、中断された研究を再開しようとする人物は一人も現れなかった。やがて、家にいる生き物のなかに病気を引き起こすものがあることがわかると、研究の主眼はそのような生き物、すなわち病原体へと移っていった。その結果として、一般大衆の認識にも大きな変化が生じ、人間と一緒に棲んでいる生き物について考えると、頭っから、それは悪者であり、殺すべき相手だと考えるようになった。

 こうした変化が人々の命を救ったわけだが、それが高じすぎて、その結果、ちょっと立ち止まって、家にいる他の生き物を研究したり、評価したりしようとする者が誰もいなくなってしまったのだ。ところが数年前、その状況が一変した。

 私たちのグループを含めた複数の研究グループが、家の中にいる生き物について真剣に再検討を始めたのだ。コスタリカの熱帯雨林や南アフリカの草原にいる生物種の目録を作るようなやり方で、家の中にいる生物種を調べ始めたところ、調査を終えてびっくり仰天。当初の予測では数百種程度と考えられていたのだが、私たちの分析手法によると、二〇万種を超える生物が発見されたのである。その多くは顕微鏡でなければ見えないほど微小な生物だったが、肉眼で見えるにもかかわらず見過ごされてきた生物も少なくなかった。

 息を吸ってみよう。大きく深く吸い込もう。呼吸をするたびに、肺の奥にある肺胞に酸素が届けられるが、それと一緒に数百種ないしは数千種の生物が肺の中に入って来る。腰を下ろしてみよう。どこに座っても、その周囲で何千種もの生物が漂ったり、跳ねたり、這ったりしている。私たちは家の中で決して一人ぼっちではない。

 ではいったい、どんな種類の生物が私たちと一緒に棲んでいるのだろうか? もちろん、肉眼で見えるほど大きな生物もいる。世界中では、数十種、ことによると数百種に及ぶ脊椎動物と、それよりも多種類の植物が家の中で見つかっている。脊椎動物や植物よりもはるかに多様性に富んでいて、やはり肉眼で見えるのが、節足動物、すなわち昆虫とその親類である。節足動物よりも多彩で、しかも、必ずしも小さいとは限らないのが菌界の生物だ。菌類(真菌)よりも小さくて、肉眼では全く見えないのが細菌である。地球上に生息している鳥類と哺乳類の種の数よりも多い細菌種が、家の中で見つかっている。細菌よりもさらに小さいのがウイルスで、植物や動物に感染するウイルスの他に、バクテリオファージと呼ばれる、細菌を攻撃する特殊なウイルスもいる。

 私たちは、こうしたさまざまな種類の生物をすべて、別個のものとして捉えている。しかし実際には、一緒にまとまって家に入って来ることが多い。たとえば、玄関から入って来た飼い犬は、体にノミを付けているが、そのノミの腸内には真菌や細菌が生息しており、その細菌にはバクテリオファージが付いていたりする。『ガリヴァー旅行記』の著者のジョナサン・スウィフトには、「ノミの体には、その血を吸う小さなノミ」という詩があるが、実際に起きていることはもっともっと複雑だったのだ。

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 生き物のことをこんなふうにいろいろ聞かされると、家に帰って掃除しよう、もっとごしごしこすってきれいにしなくてはと思うかもしれない。ところが、また別の意外な事実も明らかになっている。同僚たちと私が家の中の生物について調査したところ、生き物がわんさかいて多様性に富んでいる家屋に生息している生物種の多くは、人間の役に立っており、場合によっては人間にとって不可欠な存在であることがわかったのだ。

 このような生物種のなかには、人間の免疫系が正常に機能するのを助けてくれているものもある。病原体や害虫の発生を抑え、それらと張り合ってくれているものもある。新しい酵素や薬剤の供給源になりそうなものも少なくない。新しいタイプのビールやパンの発酵に役立つものもある。そして、数千種の生物が、水道水を病原体のない状態に保つなど、人間にとって価値ある生態学的処理を行なってくれている。家の中にいる生物のほとんどは、害がないか、役に立つかのどちらかなのだ。

 残念なことに、家の中にいる生物の多くは善良で、人間にとって不可欠でさえあることに科学者たちが気づき始めたちょうどそのころ、社会全体は、家の中を殺菌消毒することに精力を傾けるようになった。躍起になって屋内の生物を殺していくうちに、意図していなかった結果、しかし当然予想できたはずの結果を招くことになった。家の中を外部の世界から遮断しようとするだけでなく、殺虫剤や抗菌薬を使用すると、その矛先が有益な生物にも向かい、そのような生物を死滅させ、排除していくことになる。そして、知らず知らずのうちに、チャバネゴキブリ、トコジラミ、さらには命取りのメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)のような、薬剤耐性をもつ生物種に加勢してしまうことになるのである。

 私たちは、このような薬剤耐性をもつ種の残存を有利にしているのみならず、その進化の速度を速めてもいる。人間と共に家の中に棲んでいる生物種の進化の速度は、おそらく地球上のどこよりも速いと思われる。たぶん地球の歴史上、最も速いに違いない。私たちはわざわざコストをかけて、屋内環境生物の進化の速度を速めているのである。その一方で、こうして新たに進化した、より厄介な系統と競り合うはめになった弱い生物種は姿を消していっている。そして言うまでもなく、こうした変化の影響はとてつもなく広い領域にまで及んでいる。というのも、屋内環境は、この地球上で最も急速に成長しつつある生物群系のひとつであり、いまや屋外環境の生物群系よりも大きくなっているからである。

 このような変化について考えるには、特定の場所に注目したほうがわかりやすいのではないかと思う。そこで、ニューヨーク、その中でもマンハッタン島だけについて考えてみよう。図P・1《図は白揚社HPのPDFを参照》に、マンハッタン島内の土地面積が示してある。大きい円が、屋内の床面積、小さい円が、土地面積である。マンハッタン島の屋内の床面積は、今や、土地面積の三倍に達しているのである。

 こうした屋内の環境で生き残ることができた生物種はみな、大量の栄養源(人間の身体、食品、家屋)と、生存しやすい安定した気候を獲得している。そのような現実を考えるならば、屋内環境を無菌状態になどできるわけがない。「自然は真空を嫌う」という言葉を耳にすることがある。だが、それは正確ではない。むしろ「自然は真空をむさぼる」と言うべきだろう。競争相手がおらず、栄養源や棲処を占有できる状況に置かれると、どんな生物種もあっという間にそこに棲みついてしまう。まるで、氾濫した川の水がドアの下から忍び込んできて、たちまち部屋の隅々にまで行き渡り、棚やベッドの下にまで入り込んでいくような素早さである。私たちに望めるのは、せいぜい、人間にとって害がなく、益をもたらす生物種を家の中に棲まわせることくらいなのだ。けれどもそれを意図するのであれば、まず最初に、すでに家に棲みついている生物種、ほとんど知られていない二〇万種ほどの生物種について理解を深める必要がある。

 本書では、家の中の私たちのかたわらにはどんな生き物がいて、それがどのように変化を遂げつつあるかをお話ししようと思う。家の中の生き物たちは、私たち人間の秘密、選択、そして未来について語る。人間の心身の健康にも影響を及ぼす。家の中の生き物たちは、極めて大きな影響力を秘めながら、ちらちらと不思議な微光を放っている。家の中にいる生物種のほとんどはその実態がつかめていないが、ある程度はわかっているものもある。それをお話しするだけでも、あなたはびっくりするだろう。私たちのかたわらで交尾し、餌を食い、繁栄を遂げている生物種の実態となると、見かけとはだいぶ違ってくる。

『家は生態系』紹介ページ

著者 ロブ・ダン
ノースカロライナ州立大学教授、コペンハーゲン大学自然史博物館教授。著書に『世界からバナナがなくなるまえに』『心臓の科学史』(青土社)、『わたしたちの体は寄生虫を欲している』(飛鳥新社)、『アリの背中に乗った甲虫を探して』(ウェッジ)がある。ノースカロライナ州ローリー在住。


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