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マイ・ホームセンター・ゴー・ホーム

ホームセンターが好きだ。

できれば23区外にある、比較的大型のホームセンターが好ましい。
1階にはいわゆる生活雑貨から家電、ガーデニング用具、ペット用品。
ちょっと専門的な建築資材なんかも揃っていると嬉しい。
誰が買うんだろう、というような商品が並んだフロアは歩くだけで楽しい。

2階では趣味性高めのインテリアや寝具など大きめの商品を扱っている。
趣味性高め、と書いたが、本当に趣味性が高い必要はない。
いわゆるライク・ア・趣味性でいい。
バブル期の「レノマ」とか、あんなので。

3階はフードコートとゲームセンター、書店で構成されるのが望ましい。
フードコートは寿司以外の和・洋・中華がバランスよく揃っていてほしい。
ゲームセンターはあくまで小学校低学年対象のかわいいものがいい。
書店は「くまざわ書店」クラスであれば及第点である。

4階から上は駐車場でいい。

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自宅からはクルマで40分ぐらい。
近すぎるとつまらない。遠すぎるのは疲れる。
ホームセンターを出たあとにもう一件ぐらいどこかに立ち寄れる距離。
フードコートが埋まっているとき「がってん寿司」が選択できるような。

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いちばん微笑ましいのは同棲をはじめたばかりのカップル。
主役は彼女だが彼氏も買い物を「じぶんごと化」しやすい時期である。
キッチンの水切りや洗濯ハンガーなど実用性より見た目で選びがちだ。
とにかく夢がある、希望がある、明日という字は明るい日と書くのである。

つぎに初々しいのは新婚カップルである。
まだふたりの住まいはさほど大きくはないから買い物の量も控えめである。
主導権は彼女のほうだが、まだ彼氏にも発言権はある。
同棲を経ていないふたりであれば楽しさもひとしおであろう。

子ども連れになると様相が大きく変わる。
奥方が財布の紐を握っており何を買うかの決定権も彼女である。
旦那は疲れた表情で子どもと一緒にカートを押す係に成り下がるのだ。
こうなると買い物の大半はトレペやティッシュ、洗剤などの消耗品となる。

子どもが高校ぐらいになるとふたたび夫婦で来るようになる。
不思議なのは旦那が結構、主体的に品選びに参戦することだ。
安かろう、多かろう、悪かろうから意識的に脱出しようとするのだろうか。
無印良品にシフトしようにもしきれない層がここにいるのかもしれない。

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日曜日。

ホームセンターに一人で行ってみる。
するとすさまじく寂しい感じがする。

ときどき、この寂しい感じをわざと味わうために一人でホームセンターに行く。このときの一人という字は独りのほうが適しているだろう。

ほとんどの客が喋っている。会話になっているものもあればなっていないものもある。だがしかし誰もが誰かに話しかけている。

自分だけが、話す相手がいない。
すさまじく寂しい感じがする。
これがたまらなくいいのである。

寂しいなあ、と思いながらフロアを回っていると、時折、同じように独りでうろうろしている客にでくわすことがある。たいてい老齢の域に入っている男性だ。なぜか同じぐらいの年齢の女性を見かけることはない。彼女たちはホームセンターに用はないのだろうか。だとすると老齢男子はホームセンターに用があるのか。

ないような気がする。

つまり彼らもわたしと同様に、すさまじい寂しさを味わいに来ているということなのか。日常生活における寂しさと別の寂しさを。

わたしは今年で55歳になる。
あと10年もすればこの疑問に対する回答が得られるのだから年を取るのも悪くないなと思う。

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ホームセンターには欲しいものはなにひとつ売っていない。
ホームセンターに売っているのは必要なものだけである。
だから目的を持たずにホームセンターに行くべきではない。

必要がないのにホームセンターにいくと、本当に何もすることがない。必要ではないときに洗濯用洗剤や食器用洗剤、柔軟剤、歯磨き粉、消臭剤、防虫スプレー、鍋、ペットのトイレシートなどを眺めるのは世界一無駄な時間だ。

だから周囲の客に目が向くのだが、幸せそうな家族の風景を見て、ああいいな、俺にもあんな子どもがいたらな、とか、家族だんらんっていいな、とか思ってもそれらは売っていない。

ホームセンターには欲しいものはなにひとつ売っていない。必要なものしか売っていない。

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ホームセンターが好きだ。

ホームセンターを利用する上で必要不可欠なものがある。それがホームだ。
ホームを持たない人にとってホームセンターほど無駄な場所はないだろう。

ホームセンターに行って、生活に必要なものを買う。
その瞬間、ああ俺にも帰るホームがあるのだ、と確認できる。

そこにいる人たちみんなにも等しく帰るホームがある。

名前も知らない人たちではあるが、薄くて細いつながりを感じるとき、えもいわれぬ安心感に包まれる。

すさまじい寂しさを覚えたとしても、欲しいものがひとつも置いてなくても、ホームセンターが好きなのは、わが身の安心を確かめられるからかもしれない。

そうしてわたしはまた週末にホームセンターに行くのだ。

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