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辻堂をゆく
どういうわけか、十数年前から辻堂に縁がある。
ある日、面白いイタフラ中古車屋が湘南にあるから見に行かないか、と後輩を誘った。ふたりでわたしの買ったばかり(買ったばかりではあったがすでに10万キロほど走行済み)のフィアットパンダに乗って出かけた。
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初めてお邪魔したそのイタフラ中古車屋は、いかにも、な感じでカンタンには人を寄せ付けないオーラを纏っていた。しかしわたしは直感で、自分との相性は良いだろうと確信した。
しかし驚いたのは相性が良かったのはわたしではなく、後輩の方であった。彼はその場である車に一目惚れをしてしまい、以来、6回にわたって訪問することになる。
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その車とはあろうことか『アルファ・スッド』である。好事家ならわかると思うが、人生初のマイカーとしてアルファ・スッドはあまりにも、な存在である。
しかし後輩は惚れてしまった。それ以外の車は車じゃないっすよ、ぐらいの勢いで対象物にグイグイ迫っていった。
当然のことながら、店主は首を縦に振らない。後輩がどれだけ売ってくださいと頭を下げても熱意を示しても「うーん、スッドはねぇ…」と話に乗ろうとしないのだ。
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よく考えればおかしな話である。
そこはイタリア製、フランス製の中古車を販売して生計を立てている店だ。目の前には品物を売ってくれ、と懇願している男がいる。当然のことながら成人だし、なんなら中年だし、普通自動車運転免許証も持っている男性である。
その彼が売ってくれというのに売ろうとしない。とにかくおかしな店である。
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わたしもきっかけを作った張本人としての責任を感じ、6回中5回は付き合った。そのうちの1回は店が閉まっていた。無駄足だったわけだ。
「後輩クン、キミねえ、最初の輸入車はホラ、この辺りがいいんじゃないの?」
知る人ぞ知るイタフラ車の権威、元ギャラリー・アバルトの山口館長は優しい口調でこういいながたVWパサートをレコメンドしてくる。しかし後輩はガン、として譲らない。
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わたしは普段の後輩の仕事ぶりを見ていて、筋を通す男だと認識していたのだが、まさかこういう場面においてもその一刻ぶりが発揮されるとは。
そしてとうとう、最初の出会いから半年。6回目の訪問で店主は折れた。
最後の訪問は後輩一人であった。彼は単身、電車に乗ってはるばる大船まで行き、そこからバスを乗り継いで件の店に辿り着いたのだ。
それまでは先輩(わたしのことですね)の運転するパンダに乗って、物見遊山チックに、あるいは半分冷やかしに、はたまたいっときの恋煩いの如くで「スッドをくれ」と言っているものだと思っていたのが、どうやらその熱意は本物である、と気がついたらしい。
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ある日曜日、わたしが部屋でタバコを吸っていると(当時はまだ1日にキャメルマイルドを3箱吸う生活だった)電話が鳴り、受話器の向こうの後輩から興奮気味にローンの組み方や職場に確認の連絡が行く際のお作法を聞かれて「そうかそうか」と指南したことを思い出す。
納車の日は当然、一緒に電車で現地入りした。ただしその時は大船ではなく、辻堂から徒歩で店に向かうことにした。
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その日がわたしにとってはじめての辻堂であった。マイ・ファースト・ツジドウ。今様のコピーライターならそんな表現をするだろうか。
ガレージでエンジンをかけようとするが、かからない。後輩は自動車学校では習わなかったチョークに苦戦する。やがて点火するがアクセルを思い切り踏んでいたことからいきなり全開で空ぶかし。みんなに怒られる始末。
国道134号を山口館長の指導のもと、走ったのも懐かしい。帰り道、生まれて初めての左ハンドル重ステマニュアル、という三重苦に凹んだ後輩に変わってハンドルを握ったらあまりにも楽しくて、そのまま東雲のスーパーオートバックスまで行ったっけ。
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それからしばらく、10年ほどその店とは縁がなかった。
しかしある居酒屋をきっかけに奇跡的に店主と再会し、再び交流が始まったというわけだ。後輩はその後、スッドを売却しパンダの四駆(これはおしゃれ雑誌によく登場した)そしていまはシトロエンBXでお世話になっている。
わたしも店主が気に入って足車にしようと整備していたフィアットパンダを無理やり譲り受け、おかげで年間5回は辻堂参りを数年続けている。
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そして今年もまた、車検に出したパンダを引きとりに、辻堂駅から店まで20分かけてえっちらおっちら歩くのだ。この行程が結構楽しくて、迎えに行くよ、という店主の好意を断るのである。
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